陥穽(おとしあな) その2

『私は結婚した時、姑からその頃の話を聞かされましてね』


 姑によれば、秀之助は高等学校に入学した時に、一年上の先輩から、マルクス主義と無政府主義について聞かされたのだという。


17~8歳と言えば、多感で、何事によらず『情熱』に流されやすいのは、今も昔もさほど変わることはない。


 彼はそんな時に、無政府主義の素晴らしさについて情熱的に語る先輩に惹かれ、いつの間にか学業そっちのけで、アナーキズムの勉強会に熱心に参加するように|なったという。


 当時、日本のみならず海外ではどこでも共産主義だの、無政府主義だのが、カジュアルな思想なっていた。若者がそれにかれたとしても無理からぬことだ。


 加えて、秀之助は優秀な頭脳を持ち、純粋な性格でもあったから、勉強を続けるうちに、より先鋭的になっていった。


 もう一つ、彼が夢中になったもの、それは文学だった。


 彼は外国のものから、国内のものまで、あらゆる書物を読破した。


 そのうちに自分でも小説を執筆するようになり、その中で彼は自らの過激な思想、つまりは革命によって日本そのものを転覆するという、つまりはあの『夜の底の死神』になったというわけだ。


 俺は手文庫の中にあった、細貝秀之助の写真を初めて見た。


 木綿の羽織と対の着物に袴姿。


 縁なしの眼鏡に細面の顔立ちは、当時としては『どこにでもいる』インテリの若者の典型、といった姿形だった。


 こんな人間がこんな攻撃的な主張を本当にするもんだろうか?


 そんなことが頭に浮かんだ時、俺は何だか脳の中に妙な違和感を覚えた。


 視線が歪み、目の前の景色が、まるでメリーゴーランドに載せられているようにぐるぐると回り始めたのだ。

(あ、あれ?)


 俺の前に座っていた女性・・・・ええと・・・・名前はなんて言ったかな・・・・?


 彼女は笑っている。


 俺に向かって、


 しかもその顔は、何だか酷く嫌な顔に見えた。


 純朴そうな眼差しが、今では眼が吊り上がり、口が耳まで裂け、般若のような顔立ちに変化していた。


 そこで、意識が完全に飛んだ。


 



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