俺の災厄 その2
次の日、俺は都内のある大学へ行くため、地下鉄の駅のホームにいた。
ウィークデーの午後、ちょうど一時を少し回ったところだったので、人はいるにはいたが、さほど混雑をしていたわけでもなかった。
アナウンスが、列車の到着を告げた、丁度その時である。
背後に人の気配がし、はっと思った瞬間、誰かが俺の肩を押した。
二・三歩たたらを踏んでよろけたが、危うく踏みとどまった。
もう少しタイミングがずれていたら、俺はホームに転落し、入って来た列車に
俺は思わず懐に手を入れ、周囲を見回したが、それらしい人物は見当たらず、そして誰も今起こった出来事に気づかなかったのか、自然に車両に乗り込んでいった。
俺もそのまま乗りこんだが、その後は何も起こらなかった。
そして、そのまま行き先の大学の最寄り駅に着き、俺は外に出た。
大学は地下鉄の上り口の、すぐ目の前にあった。
それほど有名ではないが、そこの大学に、戦前の左翼思想について研究している教授がいたので、細貝秀之助に関する情報を聞き出そうとしたのだ。
前もって連絡を入れて置いたせいか、俺が探偵だと名乗っても、それほど嫌な顔もせずに面会をしてくれた。
『そうですか・・・・「夜の底の死神」の初版をねぇ・・・・貴方も勇気のある方ですな』
皮肉とも、憐れみともつかぬ笑みを浮かべながら、教授は俺を見て言った。
『細貝についての資料というのは、実は殆どなくてね。私の手元にも簡単な履歴と書評が書かれた本が一冊あるきりでして』
『細貝秀之助と言う人物は、実を申しますと、当時から左翼界隈でもあまり評判が良くなかったようです。当時は社会主義にしろ、共産主義にしろ、或いは無政府主義にしろ、今なんかよりは先鋭的であったのは事実なんですが、彼はその中でも度が過ぎていましてね。目的のためなら手段を選ばんといいますか。つまりは革命達成のためなら、本来支持されねばならない労働者大衆まで、平気で犠牲にするようなところがありましてね。それに貴方もお読みになったでしょうから分かりますが、彼の小説は、作品としてもあまり面白い方ではなかったものですから・・・・』
『確かに、詰まらんですな』
俺ははっきり答えた。
教授氏は俺の言葉にちょっと声を潜めた。
『呪いや祟りなんてものは、私も信じたくはないんですがね。彼にはなるべく関わらん方がいいですよ』
『では、先生も?』
教授は少し言葉を濁し、辺りをはばかるような眼をし、それから頷いた。
『何があったんです?』
『駅の階段で突き飛ばされて足をくじく。交通事故でむち打ちに遭う‥‥私の場合はその程度ですがね・・・・あと・・・・』
『あと、電話でしょう?錆びた鉄をこすり合わせるような声の』
教授氏は何も答えなかった。肯定も否定もしなかったが、俺には肯定をしたように見えた。
『悪いがこれから講義があるんで』と、如何にもこの問題とは関わりたくはない、そう言いたげなそぶりを見せた。
もう情報は拾えそうにないな。
仕方ない。そう思って、俺は研究室を後にした。
大学の門を出た時である。
俺はまた嫌な気配に襲われた。
案の定、俺の顔のすぐ横を、何かがひゅっと掠めた。
俺はその場に屈んで、ガードレール伝いに腰を低くし、懐の拳銃を抜いて当たりを確かめた。
そっと、顔を覗かせる。
道を隔てた100mほど向こうの、8階建ての雑居ビルの屋上で何かが動いた。
第二波が来ないことを確認し、俺は路上に屈むと、さっき俺が立っていた場所のすぐ後ろの植え込みを探ってみた。
長さ20センチほどの棒状の金属・・・・恐らく、クロスボウから発射されたものだろう・・・・が、突き刺さっていた。
『細貝秀之助?』
俺がおごってやったうな重の松をぺろりと平らげると、奴は渋い番茶を一啜りしてから、物好きな、とでも言いたげな眼差しで俺を見た。
ここは渋谷区の明治通りにあるうなぎ屋『萬月』という店だ。
少々お高いには違いない。
俺の懐具合にも影響がないといえば嘘になるが、しかし情報を聞き出すためだ。やむをえまい。
ある。
『仮にも俺は第一線を退いているとはいえ、元警視庁の公安部にいた人間だ。守秘義務って奴がある。民間人であるお前さんにベラベラ喋る訳にはいかん』
奴は野太い声で苦虫を噛み潰したように答えた。
俺は黙って、ポケットから写真を撮り出して彼の前に置いた。
『元公安の腕利きが18歳の女子大生に酒を呑ませてラブホテルに連れ込んだ・・・ 結構なスキャンダルになるだろうなぁ』
彼は苦い顔をして、写真をひったくった。
『・・・・どこから手に入れた?』
『俺にも守秘義務って奴があるんでね』
『‥‥分ったよ。何が知りたい?』
『細貝秀之助の事だ。彼の事なら何でもいい。警視庁なら古い資料は幾らでもあるだろう?』
『‥‥分ったよ・・・・』
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