第5話 女の人とぬいぐるみ



 夕飯の材料を買いに商店から戻っている時、いつもと同じように噴水広場の前を通るのだが、そこで困ったようにキョロキョロした長身の女性がいることに気付いた。

 長い黒髪で毛先が腰のあたりで舞っているようだった。あまりにも見つめ過ぎたのか、彼女のその大きな黒い瞳が僕の視線とぶつかる。困り果てた様子で、藁にも縋るような潤んだ瞳だ。

「どうか、したんです?」

 目が合ってしまったからと、僕は彼女に話しかけてみた。

「えぇ……」

 女性は髪を耳にかけ、視線をまた地面へ落とす。

「大事なぬいぐるみを落としてしまって……」

「ぬいぐるみ?」

 女性はため息をついて再び僕を見た。

「そう、男の子の可愛いぬいぐるみ。小さいのよ。あなたの手のひらの大きさくらいなの」

 そして、片方の手に持っていた女の子のぬいぐるみを僕に見せた。

「かわいいでしょう? でもこの子、いまひとりぼっちになってしまって」

 そう言い終えると、また一つため息をついて、足元を探り始めた。せっかくの高そうなコートに葉っぱや細い木の枝が絡んでしまっている。

「あの……、よかったら手伝いましょうか?」

「あら、いいのかしら?」

 買い物帰りとは言え、買ったものは少なかったのでそこまで手荷物もない。

「晩御飯の用意をしなくちゃいけないので、そんなには手伝えませんけど」

「晩御飯の用意だなんて、偉いのねぇ」

 彼女は微笑みながらクシャクシャの僕の頭をさらにクシャクシャにした。

 そして、僕は草むらの中でまだ形のわからない男の子のぬいぐるみを探すこととなった。

「ちなみに、そのぬいぐるみってどんな色をしていますか?」

「そうね、あなたの来ている服の色に似ているわ」

 僕が今着ているのは濃い緑色の薄手のコートだ。元々僕がマリーさんの家に行ったときに来ていたもので、部屋着はマリーさんのものを借りてはいるが、コートはこれ以外に着られるものがなかった。

「なるほど、草に隠れちゃうと余計に見つかりにくそうですね」

「そうなの、本当に困ってしまって……」

「だ、大丈夫ですよ、きっと見つかりますから」

 僕はそう言って彼女を励ましつつ、そのぬいぐるみを見つけるために自分も草だらけになりながらも地面を這うようにして探した。


「見つからないものですね……」

 どれくらい時間が経ったかはわからないが、風がだんだんと耳を傷めつけ始めたころ、そろそろマリーさんが帰ってくる時間だということに気付いた。

「ごめんなさい、そろそろ帰らないと……」

「いいのよ、こちらこそごめんなさいね。ありがとう」

「あの、明日になってしまうんですけど、もしまだ見つからないようだったら、僕明日もちょっと探してみます」

「あら、ありがとう。そうね。私も日を改めようかしら……」

 相手に悪いなという気持ちでいっぱいで思わず言ってしまったが、よくよく考えたら僕は自由に外に出ることが出来ないことをハッと思いだす。マリーさんにお願いしておかないといけない。

「本当にありがとう。私はもう少し探してみる。見つかったとしても私は明日ここであなたを待っているわね」

 彼女はそう言って、後ろ髪を引かれている僕を押し出すように手を振った。

 対のぬいぐるみなのに、片方が無くなってしまったら確かに必死になって探す気持ちもわからなくはない。

 でもそんなぬいぐるみを、彼女はなんであんなところに落としてしまったのか。そもそも落とした場所を間違えているのではないのだろうか。あの場所にこだわる理由がなにかあるのだろうか。深く考えれば考えるほど、頭がゴチャゴチャしてきて、僕は肩を落としながら家の扉を開けた。

「遅いじゃないか」

 マリーさんが既に家に帰ってきていた。

「それに、やたらと服が草だらけではないか」

「ご、ごめんなさい。落とし物を探すのを手伝っていたら……」

「……落とし物?」

 僕は鞄に入っていた食材を一度テーブルに並べた。

「そうなんです、そこの噴水のところで女の人がぬいぐるみを落としてしまったらしくって、少しかわいそうだったので……」

「ぬいぐるみ、とな。お前もお人よしだこと」

 確かに家に帰るのは遅くなってしまったが、そこまで言わなくてもいいのに、と少しむっとする。おそらく、その落とし物自体を見つけられなかったことに対しても自分への不甲斐なさへの怒りか、呆れがあったのかもしれない。

「そう膨れるな。お前のそれもやさしさだろう。別に私はお前を責めてはおらんよ」

「あ、そうだ」

 マリーさんにお願いがあったことを僕は思い出した。

「なんだ急に」

「あの、結局そのぬいぐるみは見つからなくて、明日まだ見つかっていなかったら一緒に探すって約束してしまったんですけど……」

「扉を開けてほしい、というところか」

「はい」

 マリーさんは無言で僕に近づき、そっと頭を撫でた。

「ふむ、本当にお前は優しいのだな。もう家の扉は常に開けておくとしよう」

「ほ、ほんとうですか!?」

「まぁ何よりも、他に行き場所もないだろうし、な」

「……ですね」

 そこで一つ疑問に思う。

「この家の鍵ってどこにありますか?」

「ああ、この家に鍵はないぞ」

「え?」

「今現在、扉を開けられるのは私とお前だけだ。そういう風にしている」

 一体どうすればそういう風になるのかはわからなかったが、僕も余計な心配事が一つ減るので少しほっとする。

「ま、それはいい。早く夕食にしよう。これから準備をするのだろう?」

「え、あ、はい。その……、遅くなってすみません……」

「まぁ、気にするな。今夜は私も手伝おうか」

 その夜は僕とマリーさんの二人で料理をし、共に食後の紅茶を楽しんだのであった。

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