コーギィと魔女(前編)

高柳寛

第1話 温かい手


「っくしゅん!」


 大陸北部、ガーデニアと呼ばれる小都市。季節は冬。

マウンテンパーカーを口元までしっかりとチャックを閉めていても体の奥底から冷えがジワリと蝕んでいく。

 そんな寒空の下、僕は広場にある噴水池付近の草むらに身を潜めていた。

 癖の強い髪はくるりと丸まった状態で固まってしまっているようで、その髪すらも肌に触れるとヒンヤリとする。

「…………くしゅん!」

 この場所に隠れてから既に数時間が経つ。そのうち、きっと誰かが僕を心配して探してくれるはずだ。そんな小さな希望のようなもののおかげで、僕は痛みすら感じるほどの寒さだってまだしばらくは耐えることが出来る。

「…………」

 人が歩く音、話をする声、いろいろな音が耳に響く中、僕はそんな『誰か』を待ち続けていた。

 通り過ぎていく大人たちは知らない顔がほとんどで、たまにご近所さんも通り過ぎて行くが僕が待っているのは決して『彼ら』ではない。それに彼らも僕がこんな草むらの中に身を潜めているなんてことに気付いてはいないだろう。

 まず、彼らは僕のことを探してなんかいない。

 人は目的をもって何かを探しているときにだけ、それを見つけることが出来る。見つかりづらくても、決して諦めずに探し続ける。だからこそ、その結果を見つけることが出来るのだ。僕はそう信じている。そしてその僕を探す誰かが見つけてくれるまで、どこにも行かないと固く決心している。


 次第に陽は暮れていき、通りには人気が少なくなっていく。池の水がちゃぷちゃぷと壁面に当たる音ですら耳の奥にまで響くような静けさだ。

 吐く息は白く、体の震えも止まらない。

 ふと空を見上げると、陽の光で姿を隠していた幾千もの星が、次々に輝き始めていた。


「…………」


 この星の中に僕の両親もいるのかな、と頭に浮かんだ途端、僕は思わずハッとした。

 思い出したくない悲しみ、隠していた痛み、それらが頭をよぎっただけで視界が歪み始めた。二度と聞けない声、触れられない体温、当たり前の日常が有無を言わさず、あっという間に崩れ去っていった。そして突きつけられる一つの答え。

 そうだ、おまえの両親は、死んでしまったのだ、と。

 溢れ出した涙を否定するように冷えた袖でぬぐい、僕は夜空を見るのをやめた。

 両親がいないこの世界で僕が生きていく理由があるだろうか。今まで一度もあったことすらなかった親戚という、知らない大人たちが手を差し伸べてくるのも恐怖でしかなかった。憐れむ反面で、目がとてもギラギラしていたのは、子供の僕でさえ感じとることが出来た。それが何かまでは僕にはわからなかったが、両親が所持していた遺品が彼らにとって喉から手が出るほど欲しいもののようだった。

 そんな彼らを見て、僕は決めたのだ。

 ただただ、純粋に自分を探してくれる人を待ち続ける、と。

 誰も見つけることができないのであれば、もう諦めもつく。

「おい」

 思わぬ女の人の声に僕は顔を上げた。

 深めにファー付きのフードを被った背の高い女の人が僕を見下ろしていた。フードで顔ははっきりと見えないが、きらりと輝くような蒼い瞳が僕を見つめていることはわかる。誰かほかの人に話しかけているようではなさそうであった。

「……」

 僕は草むらから少しだけ体を外に出す。

 見たことのない人だ。でもこんなところに隠れている僕を見つけたことは確かだった。

「こんな時間に、こんな場所で何をしているのだ」

 彼女は強めの口調でそう問う。

「……迎えを、待ってます」

 強い口調に負けて、僕はそう答えた。

「迎え?」

 彼女が周りを見回す。最後に腕時計を確認して、一つ大きく息を吐いた。

「場所を間違えたのではないか」

「……いえ、だ、大丈夫です」

 自分でもその理由がわからないが、涙が出そうになるのを堪えながら、なんとかして彼女との会話を打ち切ろうとした。

「そうか、それならば悪かったな」

 彼女は白い息を吐いて、もう一度辺りを見回してそう呟く。

「…………」

 だんだんと呼吸が激しくなり、口の中が乾いていく。それとは反対に頬は涙が溢れだしグシャグシャだった。

「……風邪には気を付けるんだぞ」

 背を向けた彼女はそんな僕に気付かずにまた歩き出す。

「あ……、あの!」

 不意に僕は草むらから姿を現した。今まで草木のおかげであまり感じていなかった夜風が濡れた頬を冷やす。

 手や足、様々な感覚がマヒしている。それは寒さによるものなのか、それとも何か別の要因で起きているのか、僕はわからなかった。

 僕の声に彼女は少し驚いたようにこちらに向きなおした。

「どうかしたのか?」

 その彼女の問いに僕はまた言葉を見失ってしまい、口をただ震わせることしかできなかった。

「……、あ……、あの……」

 そんな様子を見た彼女が再び僕に近づいてきて、少し微笑み、ハンカチを差し出した。

「なんだったら、うちに来るか?」

 その彼女の言葉に、人生で初めて人の優しさに触れたかのように心を許してしまい、僕は泣きながら差し伸べられた彼女の手を握り、寒空の闇へと姿を隠した。


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