第6話 輝く瞳
「戸締りを忘れるなよ」
翌日、マリーさんが仕事に向かう前に僕に言い放った。
「え?」
鍵はないと昨日言っていたはずなのに。
「冗談だ」
そうにっこり笑ってマリーさんは家を出て行った。
「……」
しばらくぽかんとした後に、一通りの家事を終わらせて僕は外に行く準備をした。
噴水に着いたのはお昼前、周りはランチに賑わい、多くの人が行き来しているが、その中にあの黒髪の女性はまだいなかった。
「……もう見つかったのかなぁ」
水筒に入れた紅茶を一口飲む。
少しばかり待っても彼女は現れなかったので、僕は一人でぬいぐるみ探しを続行した。
ひとまずは昨日探していなかったところからはじめてみる。昨日より太陽が天高く光を発しているのもあってか、昨日よりも見える範囲が広く感じた。
それでもやはり、彼女の言っていた男の子の人形というものが見つからない。
噴水近辺をあらかた見終わり、再び紅茶を飲んだ場所で一息入れる。
さすがに太陽が傾き始めたころに黒髪の女性が姿を現した。
「ごめんなさいね、遅くなってしまって」
「い、いえ、時間は指定していなかったので……」
走ってきたのか、息の荒い彼女にしどろもどろで返事をする。
それに僕がぬいぐるみを見つけていれば胸を張っていられたのだが、いかんせん見るけることが出来ていないため、彼女には申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「昨日、あの後ってぬいぐるみ、見つかりました?」
「そうなの。親切な方が街の役所に届けてくださったそうで。先ほど行ってみたら無事に見つかりまして」
彼女はそう言って、役所の人か、彼女自身かはわからないが綺麗になったぬいぐるみを自慢げに僕に見せてくれた。
「……」
「ごめんなさいね、ここに来るのが遅れちゃったのは手続きが遅れてしまったからなの。本当にごめんなさい」
彼女が走ってきた理由もわかった。
「よかったぁー」
僕はほっとして体から力が抜けるような気分だった。
彼女はぬいぐるみを見るけることが出来た。これ以上のハッピーエンドはない。
「お礼と言ってはなんだけど、これよかったら」
彼女は僕に紙袋を差し出した。中をちらりと除いてみると瓶詰めのジャムが入っている。
「え、悪いです! そんな! 僕結局なにもできなかったし!」
その紙袋を返そうとしてみたが、彼女は受け取るそぶりは見せない。
「あなたのその優しさに私は救われましたの。だから本当にこれはほんの少しばかりの気持ちです。どうかお受け取りくださいませ」
彼女は優しく僕にそう諭した。
「……あ、ありがとうございます」
今度はちゃんとお礼を言えた。心の中でそう思った。
「私はまた別の用事があるのでここで……。お体には気を付けて」
彼女はそう言って、手を振りながら噴水を後にしていった。
僕は軽い足取りで家へと向かう。なんだか地面を見る癖がついてしまったのか、普段あまり意識してみない地面を色々と観察をして歩く。
煉瓦の線を辿って歩く。何か彫られているもの、かけてしまっているもの、新しく変えたばかりなのか、色味がしっかりしているもの。普段歩く地面には気付かない新たな一面がいっぱいだった。
その途中、近くにある薬草の店の近くにここ最近ずっと探していたもののようなものを見つけた。近づいてみると、それはどこかで見たことがあるような、僕と同じ色の服を着た僕の手のひらの大きさほどのぬいぐるみだ。顔や服に泥がついてしまっていて、汚れているその姿は数日前の自分を彷彿とさせた。
誰か、探している人だけが見つけるもの。この人形はまるで僕のようだった。
そんな不思議な気持ちがざわつくのと同時にこの人形こそ彼女が探していた人形なのではないかとはっとする。
しかし僕は彼女がどこに住んでいるのかも知らないし、ましてや名前すらも聞きそびれている。
特徴的な長い黒髪、吸い込まれるような黒い瞳、背の高い女性。僕が思い出せる特徴はそれだけだ。
僕は周りを見回し、どうしようか考えた結果、そのぬいぐるみをもって一度家に帰ることにした。
家に着くと、まずは汚れたぬいぐるみをさっと洗ってあげた。
今までこの街に住んでいて意識していなかったというのもあるが、あの人を見たことはほぼゼロに等しかった。
「どうやって見つけよう……」
「ただいま」
悩んでいる間にマリーさんが帰ってきた。
「どうかしたのか?」
「おかえりなさい。ちょっと、その変なことがあって……」
「変なこと?」
「人形を無くしたって言っていたお姉さんが、人形を見つけたって僕に見せてくれたんです」
「ふむ」
マリーさんは片手間のように着替えながら僕の話に相槌を打った。
「だけど、そのあとで噴水から少し離れたお店の影に探しているって言っていた人形にそっくりな人形を落ちていたんです」
「ほう……」
着替え終わったマリーさんは僕が持っていたぬいぐるみを見る。
「それでコーギィ、お前はどう思ったのだ?」
「…………」
考え込む。想像できる答えが三つほど浮かんだ。
「本当にお姉さんは自分の人形を見つけて僕に見せた、それか間違ってそれが自分の人形だと思って受け取ってしまった」
「ふむふむ」
マリーさんが僕の手から人形を取り、じろりとにらみつける。
「もしくは、僕を安心させるために、自分でその人形を作った……」
口に出してみると、その考えは筋が通っているように思えた。遅れてきた理由も人形を急いで作っていたという答えになる。人形が新品のように綺麗だった理由も。
「それで?」
マリーさんは僕の手元に人形を戻した。
「そんな答えが見えている状態で、お前はどうするのだ?」
「…………」
どうするか、なんて既に決まっていた。決まっているうえで困っていたのだ。
「あの人にこの人形を届けたいです。もしこれが本物のぬいぐるみだったら、僕はあのお姉さんを助けられてない……」
それを聞いてマリーさんはふふっと笑う。
「それでは、その女性とやらを探そうか」
「……え?」
いたずらっぽいその表情をして、ふわりと紙をテーブルに呼び寄せた。
「探すとなればまずは人物像からだ」
ぽかんとした僕にマリーさんは言葉を続けた。
「探すのだろう? 私も少しばかり協力しよう」
「あ、ありがとうございます!」
「そのぬいぐるみを貸してみろ、持ち主のイメージを読み取れるかもしれん」
そう彼女が言ったので、僕は彼女にぬいぐるみを手渡した。
「どれどれ……」
マリーさんは目をつむり集中するようにそのぬいぐるみを手で包み込む。
「……ッ!」
そう息を切らしたように声を上げ、マリーさんは唐突にぬいぐるみを手のひらから落とした。
「…………」
「ど、どうしたんですか?」
「いや……、大丈夫だ」
マリーさんの青い瞳が少しばかり色が黄色く輝いているように見えた。その瞳は、彼女らしくない少し野蛮な、近寄りがたいような瞳であった。
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