第3話 魔法使いと魔女


 僕は絵を描くことが好きだった。

 僕が絵を描いて、それを両親に見せると優しく笑ってそれを褒めてくれた。

 風景、似顔絵、花が飾られた花瓶等、色々な絵を毎日のように描いていた。

 父親は広告会社に勤めていて、没になった広告用紙を集めては裏面の白紙を画用紙として使うように渡してくれた。

 僕が描いた絵は母が綴じて、一つのポートフォリオのようにして大事にアルバムと一緒にしまっていた。


 ただ、それらはもう、この世に存在しない。


「こういうのが好きなのか」

 ほぼ無意識でメモ帖に落書きをしていた絵を見て、マリーさんは僕に興味を持つように言った。

「あ、あわわ……!」

「何を恥ずかしがっている。そんなに下手でもないし、堂々としてればいいだろう」

 彼女は部屋での仕事が終わったのか、伸びをしながらいつものように指一つでテーブルにマグカップを置いてそこにコーヒーを注いだ。

「いや、なんというか……、つい無意識で描いていたので……」

「一種の才能という奴か。画家になる人間とは大抵そんな人間ばかりだ」

「そ、そんな、僕なんか画家になれないですよ」

 褒められているのかどうかわからなかったが、図らずも画家と比較されてしまい、僕はついついしどろもどろになってしまう。

 なんだか恥ずかしくなってきたので、落書きをしていたメモを破いてくしゃくしゃに丸めてごみ箱に投げた。

「コーギィ、その紙はまだ使えるぞ」

 そういうと彼女は、ごみ箱からその紙を浮かべ、丸めたメモをまるで洗濯してアイロンをかけたシャツのように、シワのないきれいな状態へと戻した。破いた形跡もすでに無くなっている。

「この絵が気に食わないのか?」

「い、いえ、そういうわけじゃ……」

 描いた犬の絵がペリペリと紙から引きはがされるように線が浮き出した。

「どうせだから、壁に貼っておこう。我が家に来てからの初めての落書きだ」

 そういってシールを貼るかのように、引きはがされたその線たちはペタリと扉に張り付けられた。

 メモはきれいに白紙に戻り、また何かを描かれるのを待っているようであった。

「いいか、紙を作るのは大変なのだ。資源はあまり無駄にしないようにな」

 マリーさんはそう言った後、にっこり笑う。

「いま良いこと言ったな」

「…………」

 マリーさん、それはあまり自分で言ってはいけないことなのでは。


 マリーさんの仕事場――何をしているかまでは教えてもらっていないが――のひとつである書斎の掃除を始める。

 床に散らばった本はアルファベット順に並べなおし、書類を番号ごとにまとめ、バラバラと転がっているペンはペン入れに片付ける。

「絵の才能もさながら、掃除のセンスもたいしたものだ」

 マリーさんが掃除中に顔を出して、驚いた顔で僕の頭を撫でた。

「お前と契約して正解だったな。とても助かるよ」

 頭を撫でられたことに少し照れてしまったため、強気に言葉を返すことが出来なかった。

「しかし、こんなに広い床を見たのは久しぶりだな」

 彼女の言うように、僕が部屋に入った時は人が一歩一歩足を置く分しか通路がなかったのだが、今ではこの中で三人ほどが横になれるほどのスペースが出来た。

「普段から片付けていれば、あそこまでにはならないですよ」

「ふむ、これからはお前がいるから大丈夫だろうな」

 人任せな発言だったが、正直なところ僕は悪い気がしなかった。ただ僕を必要としてくれる人がここにいる。それだけでも僕にとってはとても救いであった。

「それでは、私は少し出かけてくるから留守の間は頼んだぞ」

「はーい」

 一通り掃除が終わり、空気の入替のために開けておいた窓を閉める。

「それにしてもすごい量の本だなぁ……」

 床から天井まで当て込められたようにある本棚にはびっしりと本が並んでいる。窓のある個所を除いてすべてがそんな本棚になっているのだ。

 マリーさんはこの本をどれだけ読んでいるのだろうか。

 床に散らかるくらいではあるので、全く手つかずというわけではなさそうだ。

 興味本位で僕は、本棚の中の一冊を適当に引っ張り出してみる。

「古代からの流動……?」

 魔女の本かどうかはわからないが、読めない文字ではなかった。

 その一冊を抱えて僕は書斎を後にした。

 本をテーブルに置き、少し伸びをしてコーヒーを注ぐ。ちょっとした小休止だ。

 コーヒーを飲んで、体を温めながら本をパラパラとめくるが、内容が難しいうえに読めない文字が多く羅列されており、これを読み解いていって読了するころには来年の同じ季節になっているかもしれない。

 諦めるように僕は本を閉じて、コーヒーを飲み干してため息をついた。

「僕も魔法を使えるようになれたらなぁ……」


「魔法を使いたい?」

 帰ってきたマリーさんに思わず話をしてみるも、無理だろうな、と一蹴された。

「そもそも、これは魔法と言っていいのか」

 誰がどう見たって魔法だと思ってしまうように、人差し指でカップとポットを操りながらお茶を注ぐ。

「僕が読んできた本にはそういう力のことを魔法って言っていましたよ」

「そんなのはただの御伽話だ。それに私は魔法の杖なんてものは持たないしな」

「……魔法の杖、か」

 確かに魔法使いといえば杖だ。でもマリーさんはそんな杖を持っているところを見たことがない。

「そもそも決定的に違うのは、私は魔法使いではなく、魔女というところだろうな」

「それは何か違うんですか?」

 疑問に思ったことがそのまま口から出る。

「簡単に言えば、魔法の力はあるものをそのまま出す」

「……はぁ」

 僕にでもわかるようにわかりやすく言っているつもりなのだろうが、彼女の言っていることはいまひとつ理解に届かない。

「しかしながら、魔女の力は無理やりほじくり出す」

「……はぁ」

「魔法使いと魔女は、物乞いと強盗くらい違うな」

「…………はぁ」

 違いがあるということだけはなんとかわかった。だが、何がどう決定的に違うかまでは全くもってわからなかった。

「なんだ、全く。人が説明しているのに生返事ばかり」

 説明したつもりになっているマリーさんは少し憤慨したようにお茶を飲む。

「それに、普通の人間であるお前にはこの力はそうそう容易くは使うことはできん」

 憤慨ついでに否定もされてしまう。

「でも、本とか読んでいたらいつの間にか使えるようになったりして……」

 いたずらっぽく笑ってみせた僕を見て、マリーさんは大声で笑った。

「なにがそんなにおかしいんですか」

「いや、そうだな……。ふふっ、お前もいつか、魔法、つかえるといいなぁ」

 明らかに小ばかにしたような、笑いを含みながら僕の肩を叩いてバスローブを持って廊下へと姿を消した。

「やってみなきゃわからないじゃないか……」


 食器洗いをしているとお風呂に入ったばかりのぽかぽかに温まったばかりのマリーさんが姿を現した。

「まぁ、そうだな。教えてみようか。この力の使い方」

「ほ、ほんとですか!」

 思わず彼女を見るが、先ほど小ばかにされたことをふと思い出す。

「そうむくれた顔するな。実際に使えるようになったらそれはそれで面白いだろう」

 そう言いながら彼女は書斎に行く。

 僕にも男のプライドというものがあるが、魔女が直々に教えてくれるのであれば、もしかしたら僕も魔法を使えるようになるかもしれない。

「ちなみに、まぁ言わなくともわかるだろうが、他言はするなよ」

 そういって、一冊の分厚い本を僕へと差し出す。

「他言はしないですけど……、この本は?」

「魔女の歴史が書いてある貴重な本だ。ひとまずこれを読んでこの力が魔法なんてものではないという理解から始めてみるのだな」

 魔女の力は無理やりほじくり出す、だったか。僕はその本を受け取った。

 そして寝る前にベッドの上でページをめくってみたものの、疲れが溜まっていたのか、僕はそのまま文字の形をした怪物に追われる悪夢を見るのであった。

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