第4話 魔女の力

 翌日、マリーさんを見送った後で僕は再び借りている本を前に眉間にしわを寄せていた。

「んー……、よくわからないなぁ……」

 数時間があっという間に過ぎたあとで本を閉じてその上にヘたれ込む。

 太陽も徐々に頂点に到達し、窓から差し込んでくる日差しのおかげで部屋が温かくなってきた。

「戻ったぞ」

 扉からマリーさんが戻ってくる。

「あれ、随分と早いんですね」

「なんだ、なにかコソコソしてたのか?」

 マリーさんはニヤニヤと笑いながら脱いだコートをふわりと浮かせて、そのままハンガーにかける。

「していませんよ!」

「今日は午後からは非番になってな」

「そうなんですか」

「どうせだから、今日はこれからお前の教師役になってやろう。ほれ、杖も持ってきたぞ」

 マリーさんはどこで拾ってきたのかもわからない細い木の枝を僕に手渡した。

「どうしたんです、これ」

「森の手前に落ちていたのを拾ったんだ」

「……」

 とことん馬鹿にされているのがこの木の枝の端から端までが表していた。無言で僕はそれをパキリを二つに折ってゴミ箱に捨てた。

「くくく、さて、本はどこまで読めたかね?」

 マリーさんは楽しそうに自分の手でティーカップを持ってお茶を注いでいる。つい物珍しい光景に返事をするのが遅れた。

「まだ半分も読めてません……。それに書いてある内容だっていまいちよくわからなくて」

「なぁるほど」

 そういって一口お茶の飲んだ後、ティーカップをテーブルの上に置いて、マリーさんは椅子に座った。

「ひとまずおさらいをしようか」

 マリーさんがにっこりと笑う。

「お、お願いします」

「まずは、魔法使いについてだ。魔法使いとは自然界にある自然エネルギーを使って、火を起こしたり、稲妻を走らせたり、水を噴出させたりしている。まぁ、自然界の錬金術師とでもいった感じだな。私は魔法使いではないから詳細までは知らないが、その本に書かれていることを要約するとそんなことが書いてあった。そもそも、私は魔法使いというものを実際に見たことすらないがな」

「それは、やっぱり御伽話の中だけってことですか?」

「さぁねぇ、この世の中は私の想像をはるかに超えている。魔法使いの1人や2人、いたってなんも驚きやしないよ」

「実際にいたから、お話が作られたっていうこともあるかもしれないですね」

「ま、火のないところに煙は立たぬっていうからな。ただ、古くからの誰かの妄想が現在まで引き継がれている可能性もないことはない」

 マリーさんが一呼吸置く。

「……それで、魔女だ」

 昨日の説明だとかなりわかりにくかったが、魔法使いの説明においても昨日よりかはわかりやすい内容でもあったので、僕は静かに耳を傾けた。

「魔女は自然エネルギーというものに縛りがない。ある意味、なんでも際限なく出来てしまう恐ろしい存在なのだ」

「なんでも……?」

「そう、魔法使いが自然の錬金術師だとしたら、魔女はただの詐欺師だな」

 マリーさんは自分でそう言いながら笑みを浮かべている。これと言って自虐じみた顔ではなくいつも通りの僕を小馬鹿にしているときのような表情であった。

「魔女の力の根源は贄だ」

「贄?」

「そう、まぁ言い方次第だが、分かりやすくいうと人間のエネルギー、そうだな……、カロリーというところか」

「か、カロリー?」

「人間は常にカロリーを消費するだろう、動けば動くほど消費量も増える」

「そ、そうですね……」

 急になんの話になったのかと、頭の切り替えに時間がかかる。

「魔女っていうものは、体は動かずとも何か力を使えばそれなりのカロリーが消費されるのだ。言ってしまえば座ったままダイエットもできる便利な体、というわけだ」

 マリーさんは笑いながら自慢げに体のラインを見せつける。

「はぁ……。でも、さっきマリーさんはなんでもできるって言ってましたけど、それだったらもっとその力を使っていろいろなことが出来るんじゃないですか」

「ああ、やろうと思えばな」

「…………」

 それは口にしていいものが頭がごちゃごちゃするが、僕は我慢することが出来なかった。

「……じゃ、じゃあ、もしかして……、もしかしてなんですけど」

「人を生き返らせることが出来るか、か?」

 少しばかりマリーさんの蒼い目が冷たく光った。

「…………」

 何か言葉を待つ僕を見てか、マリーさんは頭を手を当てて、小さくため息をついた。

「生きた動物を少なくとも5頭、それもウサギ等ではなく、ヤギやヒツジほどのサイズだな。しかも生きた状態で」

「……え?」

「それだけではない、あとはトマトとチーズ、砂糖、塩、黒コショウ少々……」

「ちょ、ちょっと!?」

「なんてな、冗談だ」

 マリーさんが椅子の背もたれに寄りかかる。

「つまり、私一人では必要となるカロリー、贄が不足しすぎているということだ。それなりのコトを行う力にはそれなりの贄が必要だ。例えばだ、この一つのカップに井戸にある水をすべて注げるかな?」

「……む、無理でしょうね。考えるまでもなく」

「そういうことだ。私一人にできることなんて、日々こうしてお茶を淹れることくらいしかできないのさ。多くを求めれば身を亡ぼすとはまさにこのことだ。かつ、自分を贄の対象としなければなおのことだ。魔女が力を使うには何かの犠牲なしにはできないのだよ」

「……そう、なんですね」

「変な希望を持たせてしまったのなら謝る。すまなかったな」

「い、いえ、そんな。さっきのはただの思いつきですし!」

「……そうか?」

「…………」

 少し唇を噛む。

「……期待をしていなかったといえばウソになりますね」

「……ふむ。まぁ、あまり気にするな、コーギィ。お前はまだ若いからな」

 宙に浮いたティーポットが僕のカップにお茶を注いだ。

「そして、なによりもこれが私が太らない理由の一つだ」

 マリーさんはいたずらっぽく笑った。

「さて、そんな力を一般の人間が使うとどうなるか。魔女は贄の消費をコントロールする力がある。ある意味ブレーキみたいなものだな」

「なんかそんなこと書いてありました」

 僕は薄れ行く本の中の記述を思い出す。

「つまりコントロールをする力がないとこうなる」

 目の前をティーポットがすごい早さで横切り、壁に激突してバリンと割れた。

「ちょ……」

「そして、コントロールできるものはこんなことまで出来る」

 割れてしまったティーポットが巻き戻し再生でもしているかのようにみるみる元の形へ戻っていく。

 同じように中に入っていたお茶も元あったポットの中へと戻っていった。

「いかがかな?」

「すごい、ですね……」

「だろう?」

 自慢げにマリーさんが言う。

「ただ、このお茶は一回床に零れたからな。淹れ直しは必要だ」

 思わずくすりと笑ってしまう。

「で、話を戻すと、ああやって力が暴走すると、もちろん消費される贄のコントロールもできなくなってしまう。もしかしたらこぼれたお茶の横にミイラが横たわることになるかもしれないな」

「…………」

 話の彩りが転々としすぎていて、僕は感情の置き場所に迷う。

「結論をパパッと言ってしまうと、人間がこの力を使おうとするのは無謀だっていうことだ」

「は、はぁ……。確かに今の話を聞いて、やってみたいとは思わないです」

「だろう?」

 そういって、マリーさんは再び鞄の中に手を入れた。また別の木の枝でも出すのだろうか。

「そんなキミに面白いものをあげよう」

 彼女が取り出したものはその変に落ちている木の枝ではなく、しっかりと加工され、ワニスが塗られて高級感漂う筆であった。

「なんです、これ?」

「わからんのか、筆だよ、筆」

「そ、それは見ればわかりますが……」

 まともな問答が出来ないまま僕はそれを受け取った。

 なにやらほんわかと温かみさえ感じる。

「筆は筆でもただの筆ではないぞ。インクも絶えることなし、筆先も整った状態のまま、その名も『素敵な筆』だ」

「……」

 ネーミングはともかく、僕は早速メモに筆先を落としてみる。

 すすすっと気持ちよく筆が回る。それにインクが切れることもなく全く霞むことなく絵を描けた。

「す、すごい……」

「ははは、すごいだろう? 契約している身とはいえ、色々とやってもらっているからな。私からのサプライズプレゼントだ。しかも気分は魔法使い」

「あ、ありがとうございます!」

 嬉しくてつい、次々と絵を描いてしまう。

 ちらりとマリーさんを見ると、頬杖をつきながら朗らかな笑みを浮かべていた。

 不思議な筆で絵を描いている中で、ふと質問が浮かぶ。

「そういえば、マリーさんの両親も魔女だったんですか? でもお父さんは男だから、……魔男?」

「なんだいきなり。確かに母親は魔女だったが、父親はふつうの人間、どこかの街の医者だったと聞いている」

「聞いている?」

「彼らはもうとっくに亡くなっている。私が十一歳の時にな」

「……!」

 僕は聞いちゃいけないことを聞いてしまったという自己嫌悪の波に一瞬にして飲まれてしまう。

「そんなに気にするな。人はいずれ死ぬものだ。ただ、問題なのはどうやって死に至るか、というところだな」

 マリーさんは少し遠い目をしながらそう口にする。

「…………」

「いや、私の方こそすまんな。お前にはこんな話しても辛いだけだろう」

「そ、それは……、質問したのも僕ですし……。そ、それに僕も今十二歳だから、マリーさんと同じ道をたどっているのかも!」

 ごまかしごまかしで雰囲気を変えようと言葉を繋げたが、何を言いたいのか自分でもわからなかった。

「ふふふ、それはお前なりの気遣いなのか?」

 何かを察してくれたのかマリーさんは再び笑みを浮かべた。

「さて、こんな暗い話は物置にでもしまって、夕食の支度でも始めよう」

「そうですね」

 マリーさんの新しい一面を垣間見てしまったこと、なぜだがそれは僕に少しばかりの困惑と動揺を植え付けたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る