第14話 ティッシュペーパーの山


 だんだんと呼吸が続かなくなり、走っていた足を止める。そして僕は改めてこれからどうしようか考える。住んでいた家は追い出されてしまい、本当の家はもう跡形もない。もう完全に行き場所を失ってしまった。

 ポケットにはマリーさんからもらった筆とリディさんからもらったぬいぐるみ。

「あら、コーギィ」

 昼間に会ったコーヒー屋の女性が僕の肩を叩いた。

「あ、こ、こんばんは」

 ぐすりと鼻水をすすり、涙を拭う。

「ご、ごめんなさいね。……大丈夫?」

「だ、大丈夫、です……」

 今日の昼間の自分が嘘のように、また元の弱気な自分に戻ってしまったような気がした。

「ほら、まだ子供なんだから、無理はしないの」

 彼女はぐいぐいとハンカチで僕の目元を拭いてくれた。

「外だとなんだから、ちょっとお店に寄っていきなさい」

 僕は彼女に手を引かれるまま、コーヒー屋の中に入る。

 普段はコーヒー豆のいい匂いが店内に充満していて、それがこの店の好きな理由の一つであったが、鼻水が嗅覚の邪魔をしてあまりそれを感じることが出来なかった。

「それでどうしたの?」

 カップにココアを入れて、彼女は僕の前に置いてくれた。

「今、一緒に住んでいる人と、喧嘩しちゃって、出てけって……」

「あら……」

 彼女は僕の頭をぽんぽんと優しくなでる。

「一緒に住んでいるのって、あの金髪の綺麗な人でしょ」

 僕はうなずく。

「マリーさん、魔女なんでしょう」

 それを聞いて、思わずぐしゃぐしゃの顔のまま彼女に顔を向ける。

「え、ど、どうしたの?」

「知ってるんですか?」

「ん?」

「マリーさんが、魔女だって。……な、なんで?」

 僕はまた別のことでパニックを起こしそうになったのを彼女はなだめてくれた。

「おちついて。それにここらへんじゃ有名な話でしょ。マリーさんのこと」

「で、でも! マリーさん、自分が魔女だってことは秘密だって!」

「あら、そうなの、でもこの街の大人の人はたいてい知っているわよ?」

 彼女は意外そうな顔をしてそういった。

「……マリーさん、自分が魔女だって知られないように僕をあの家に閉じ込めて」

「……あー」

 彼女はそう変な声を上げたと思ったら笑顔になった。そしてかがんで僕の目線と同じ目線で微笑んだ。

「もしかしたら、マリーさんはあなたを助けたかったのかもね」

「……マリーさんが、僕を?」

「話に聞いたことあるの、マリーさんも幼い頃に両親を亡くしてしまったって、それで、どういういきさつかはわからないけど、似たような境遇のあなたを助けたかったのかなって」

「…………」

 草むらに隠れていたあの日、誰も気付かない僕にマリーさんだけは気付いてくれた。

 そして、手を握り締めてくれた。

 僕に食べるものを与えてくれた。

 僕に住む場所を与えてくれた。

 僕に役割を与えてくれた。

 僕に生きる意味を教えてくれた。

 そしてその為の勇気も。

「なんで喧嘩したのかはわからないけれど、もしあなたが、自分が悪いと思ったのであればちゃんと謝ってきなさい。きっと彼女は許してくれるはずよ」

「でも……、僕……」

「それでもまだ動けないのなら、ここでココアを飲んで、心を落ち着けてから帰りなさい」

「…………うん」

 鼻水ティッシュの山が出来て、僕の体の水分が枯渇し始めたころ、僕はもう一度マリーさんのところへ戻る決心がついた。

「お姉さん。僕、帰ってマリーさんに謝ってくる」

「うん、いってらっしゃい」

 コーヒー屋の彼女は僕の背中をぽすんと押してくれる。

「ありがとう!」

 謝らないと。嘘をついたこと、本当のことを言えなかったこと、また別の嘘をついてしまったこと。僕は走りに走ってマリーさんの家の前にたどり着いた。

「マリーさん!」

 ドアを開けようとしても、それはピクリとも動かなかった。

「マリーさん、ごめんなさい! 話を、話をちゃんとさせてください!」

 中からは何も音が聞こえないので、ドンドンと扉を叩く。

「マリーさんにいろいろなものをもらったのに、ちゃんとありがとうさえも言えないでこのままなんて……!」

 再び扉を叩こうとしたとき、ガチャリとドアが開いた。

 その先には目を赤く腫らしたマリーさんがものすごい剣幕で立っていた。

「あ……、あ……」

 思った以上の彼女の表情に少しばかりたじろいでしまう。

「うるさいから、入れ」

「は、はい……」

 彼女に言われるがまま、僕はまた家の中に入った。


 先ほどのコーヒー屋でのティッシュの山のように、テーブルの上がティッシュだらけになっていた。

「それで……?」

 マリーさんが冷たく言う。

「話っていうのはなんだ」

「あ、その……」

 僕はつばをごくりと飲んだ。ここまで来たらもう覚悟を決めるしかない。

「リディさんと本当は何が起きたのかちゃんと話し合ってください!」

 マリーさんは一度目を瞑り、再び開く。青い色が薄くなっていた。

「何を話すというのだ?」

「それは……、マリーさんのお母さんに一体なにが起こったのか、をです」

「どういうことだ……」

「あの人は確かにマリーさんのお母さんを奪ってしまったのかもしれない、でもそこにはちゃんと理由があったんです」

「理由? 殺人犯のいうその理由を信じろって? コーギィ、お前の両親も誰かに殺されていたとしたら、お前はその犯人のいうことに聞く耳を持てるというのか?」

「……僕は、聞きます」

「なに……?」

「僕は真実を知るまで、誰の話でも聞きます! そしてしっかりとその答えを自分で見つけます!」

「都合のいいことばかり言いおって……」

 歯を食いしばるマリーさんの目の色がだんだんと黄色く変わっていく。

 またここから逃げ出したい気持ちも生まれるが、今はちゃんとマリーさんと話をしなければいけない。

「お願いです。一度でもいいから、リディさんの話を聞いてください!」

「…………なにを吹き込まれたのかわからんが」

 マリーさんは大きなため息をついて、自らを落ち着かせた。

「……それで私もお前も殺されることになっても、いいんだな?」

「…………」

 大丈夫、僕はリディさんを知っている。彼女はそんなことをする人ではない。

「わかりました。でもそうなったとしても、僕は命にかえてもマリーさんを守ります」

「…………っ! 好きにしろ!!」

 マリーさんは僕に背を向けた。これで少しは話を聞いてもらえるかもしれない。僕はすぐに魔法の筆をもって、蝶の絵を描いた。

 その線はペリペリとめくれて、蝶の形ではたはたと舞い上がった。

「おねがい、リディさんを呼んできて」

 そうお願いをすると、蝶は開けた窓から外へと飛んで行った。

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