第13話

「レミア、話を戻そうか。何でもやってくれるんだっけ」

 視界の隅で、イーラが出入り口を塞ぐように静かに動くのが見えた。

 レミアはただ唖然とした表情で僕を見るばかりで、一向に口を開こうとはしない。

 僕は近くにあった手ぬぐいで血塗れのナイフを丁寧に拭いた。

「ごめんね。脅かすつもりはなかったんだ。でも、僕たちはこういう事だってやる。話を聞くだけなのと、殺しを実際に見るのは全然違う。だから必要だと思った」

 レミアは怯えるように僕を見て、それから一歩後ずさった。

 出入り口を塞いでいるイーラの視線が、剣呑なものになる。

 僕の足元に広がる影が、ゆらりと揺らめいた。

「ルイ……なんで……ルークスは、ルイのお父さんだよね……?」

「そうだね。随分とお世話になった。でも、ルークスは裏で薬物の売買に関わってたんだ。この店だって取引場所として利用されてる」

「薬物……?」

 レミアの声が掠れていく。

「娼館街で蔓延していた薬物。あれにだってルークスが関わっていた。僕たちの知り合いだって、あれで何人も命を落とした。覚えがあるんじゃないかな」

 薬物に取り憑かれたのは色街に立っている娼婦だけじゃない。

 娼館アインズヘルムでも、薬物の影響があった。僕たちは薬物に溺れていった人たちを何人も見てきた。

「ルークスが扱っているのはベナンドの葉から抽出精製したベナインだった。恐怖心や不安感を和らげて一時的に強い多幸感を引き起こすけれど、他の薬物よりも遥かに寛解率が低い。抽出精製が簡単だという理由で、ルークスたちはこれに手を出した」

 血を拭い終えたナイフをベルトに差し戻し、カウンターの外へゆっくりと足を運ぶ。

「ベナインを常習するようになると、覚醒状態でも思考能力が低下するようになる。夢の中にいるようなふわふわした感覚が続いて、現実感を失っていく。寛解率の低さはこれに起因していて、現実感を失った人たちは自傷やオーバードーズを繰り返すようになる。恐怖心の喪失で、依存者はこれに危機感を覚える事もない。自傷が始まった段階で本人による離脱は困難になる」

 ベナインの厄介なところは、その寛解率にある。

 周りが異常に気づいた時には既に、その多くは後戻りができなくなってしまっていた。

「ベナインがもたらす自己崩壊率は、他の薬物の数倍と言われている。暗黒街と呼ばれるここにだって相応のルールがある。裏街の顔役たちは、これの流通を許していない。多くの娼婦や構成員を潰された彼らは製造元を突き止めようとしていた」

 カウンターを出た僕は、そのまま真っ直ぐとレミアの元へ歩み寄った。

 彼女の足が、更に後ろへ下がる。

「ルークスには護衛が必要だった。ただの護衛じゃない。暗殺にも精通し、必要ならば先手を打てる手駒が。身寄りがなくて、彼の義理の息子として一日中そばにおける僕は彼の希望にぴったりだった」

 レミアの瞳に、怯えの色がはっきりと宿った。

「ルイは……"天秤"で殺しをやっていたの?」

「そうだよ。小さい時から経験を積んだ方が身になるらしい。殺しを教えてくれた師匠はそう言っていた」

 足元の影が大きく揺れる。

 それを制するように、僕は影を強く踏んだ。

「話を戻そう。この暗黒街には、奪う側が多すぎる。誰かがその数をコントロールするべきだと、レミアはそう思った事はないかな」

 レミアの目が逃げ場を探すように泳ぐ。

 そこでようやく、出入り口がイーラに塞がれている事に気づいたようだった。

「わ、私も殺すの? 身体を売る前はずっと盗みをやってきた……他人から奪って生きてきた」

「奪う側というのは、そういう意味じゃないよ。他人の生きる意志や気力を奪って糧とする人たち。僕はそう定義する事にした」

「て、ていぎ? 私、バカだから分からないよ……ね、ねえッ、でも、ルイはルークスのお世話になったんでしょ?」

 彼女の視線が、血飛沫の飛んだカウンターへ向かう。

「そうだね。ただの手駒じゃなく、本当の息子のように扱ってくれた。店の客に対しても気前良く振る舞っていた。ルークスは根本的な部分では善人だった」

 でも、と言葉を続ける。

「彼は奪う側に立った。奪う側の数は誰かがコントロールしないといけない。僕はその誰かになろうと思ったんだ。そしてルークスと僕はたまたま親子の関係だった。それだけだよ」

 そんなの、とレミアが震えた声で言う。

「おかしいよ。ルイ。だ、だって、ルークスは恩人で……きっと話し合いで何とかする事だって……こんなの、だめだよッ」

 レミアの澄んだ瞳が、僕を射貫いた。

 怯えながらも、彼女は自分自身の意見を口にした。

 目を閉じる。

 やはり、レミアは善人だ。

 そして、どこまでも奪われる側の人間だった。

「そうかもしれないね」

「ルイ、だめだよ……やめよう? ルイにはそんなこと、似合わないよ……」

 きっとレミアの中にいる僕は幼い頃のままなのだろう。

 あの頃の僕はもう、何処にもいないというのに。

「怖がらせてしまっただけみたいだね。ごめん」

 踵を返す。

 これ以上の話は無意味だった。

 彼女は、こちら側の人間ではない。

「あ……」

 レミアの呆けたような声が耳に届いた。

 出入り口を塞いでいたイーラが、小さく息をついて道を開ける。

「イーラ、行こう。やる事が山ほどある」

「ええ」

 扉を開けルークスの酒場を出ようとした時、後ろから叫び声が聞こえた。

「ルイッ! 待って! わたし、わたしは――」

 振り返ることなく、扉を閉める。

 レミアの声はそれで、聞こえなくなった。

「本格的に行動を開始しよう」

 並ぶイーラと話しながら、細い裏道に入る。

 建物の影に覆われたそこで、僕は足元に目を向けた。

「レイ、ここからは別行動だ。"黒狼"と"酒造"の上から五人を狙ってほしい。僕とイーラはこのまま神殿に戻る」

 影からレイが姿を出す。

 彼女は不満そうに鼻を鳴らした。

「さっきの女は殺さなくていいのかい?」

「レミアは放置でいいよ」

 彼女は、衛兵に告げたりはしない。

 結局、何もできない。

「まあ、いいや。それよりも中々の大仕事だよ、これは。無事に終わったらルイから何か褒美があるんだろうね?」

「考えておくよ」

 レイは満足そうに笑みを浮かべて、それから舌なめずりした。

「じゃあ行ってくるよ。全ては聖なる御子、ルイ聖猊下の仰せのままに」

 影に潜るように溶けていく彼女を見送ってから、イーラに目を向ける。

「……それじゃあ、神殿に戻ろうか」

「そうね」

 並んで歩き出した時、彼女の細い指が僕の手に絡みついた。

「ルイ」

 いつもの囁くような声。

 しかし、どこか温かみのある声で彼女は言った。

「私だけは貴方がどんな道を選んでもずっと隣にいるから。それを忘れないで」

「……うん」

 昔は、ずっとこうやって手を繋いでいた気がする。

 誰も助けてくれない腐った暗黒街で、幼い二人で寄り添って生きてきた。

 これからも多分、それは変わらない。

 イーラと並んで、路地裏を出る。

 差し込んだ陽光が眩しかった。思わず目を細める。

 きっと、光のない路地裏の方が僕には合っているのだろう。

 あまりにも長い間陰の中で生きてきたから、すっかり暗闇に慣れ親しんでしまった。

 陽の光に慣れるには、当分時間がかかりそうだった。






1章 胎動する闇 完結


2章 膨張する闇へ続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

暗黒街の法王 月島しいる @tsukishima_seal

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ