第12話

 階下で待っていたレイを影の中に取り込んで、水タバコ専門店ブレーンバーンを出る。

 外で待機していた神殿騎士のクーミリアが駆け寄ってきた。

「いかがでしたか?」

「うまくいきました。引き渡しは後日です。神殿に戻りましょう」

 その時、クーミリアの肩越しに人影が見えた。

 レミアだった。

 両腕のない袖をぷらぷらさせながら、僕に向かってゆっくりと歩いてくる。

「ね、ねえ。ルイは何かするつもりなんだよね?」

 クーミリアが警戒するようにレミアに向き直る。レミアはクーミリアを無視するように、僕たちが出てきたブレーンバーンを見上げた。

「アイシャ様と会ってきたんだよね? 何か考えがあるんでしょ?」

 レミアは貧民街で生まれ、貧民街で育ってきた。

 ここブレーンバーンがただの水タバコ専門店ではない事くらい知っている。そして、僕が"天秤"と関わっている事も。

「わ、私、何でも手伝うよ。私バカだけど、ルイの為なら何でもやるから。やってみせるから」

 ふらふらと近づいてくるレミアに、クーミリアが割り込むように僕の前に立つ。

 まずい。

 クーミリアは、ここをただの水タバコ専門店としか思っていない。ここのオーナーが持っている宿を借り上げにきただけと、そう思っている。"天秤"と僕の繋がりなんて勿論知らないし、神殿騎士である彼女に知られるわけにはいかない。

 レミアが余計な一言を言う前に何とかしないと。

「止まれ。それ以上、ルイ聖猊下に近づくな」

 クーミリアの手が、腰の剣に伸びる。

 それでもレミアは止まらない。

 まるでクーミリアが見えていないかのように、ふらふらと僕の方へ足を進めてくる。

「わ、私、ずっと謝りたかったんだ。ずっと後悔してて」

「レミア。待って。後でゆっくり話そう」

 落ち着かせるために、意識的にゆっくりと言葉を紡ぐ。

 レミアと目が合った。

 どこか、粘りつくような視線だった。

「後っていつ?」

「……神殿に戻る前に時間を作るから。だから、待ってて」

 途端、レミアはへらっと笑った。

「ほ、ほんと?」

「……ルークスの所で待ってて」

「わ、わかった!」

 レミアが嬉しそうに踵を返し、去っていく。

 それを見送るクーミリアは、小さく息をついて僕を見た。

「ルイ聖猊下。あなたは慈愛の御子ですが、むやみやたらに慈愛を振りまきすぎると愚かな勘違いをする者が出てきます」

「幼馴染なんです。少し、話す事があります。父の酒場に向かうので、エヴァンディッシュさんはここで待っていてください」

「しかし……」

 クーミリアの声に被せるように言葉を続ける。

「大丈夫です。父の酒場はすぐそこです。顔見知りも多いので危険もありません。大丈夫です。イーラ、行こう」

 クーミリアの返事を待たず、イーラと一緒に父の酒場へ向かう。

「ル、ルイ聖猊下、困ります」

「命令です。待っていてください。家に戻るだけなのですから大丈夫です」

 良い機会だ。

 いずれ父とは話をする必要があった。計画が多少入れ替わるのは問題ない。

「ルイ」

 イーラが後ろのクーミリアがついてきていない事を確認しながら、小声で口を開く。

「レミアはどうするの」

「……レミアは、土壇場で裏切る可能性がある」

 脳裏に、過去の光景が甦った。

 盗みの容疑をかけられて衛兵に組み伏せられた僕の視線の向こうで、レミアは見て見ぬ振りをしようとした。

 彼女には両腕がないし、衛兵をどうにかする方法があったとは思えない。その行為を責めようとは思わない。

 けれど、やはり土壇場で裏切る可能性がある者を計画に組み込むのは危険すぎる。

「そう……」

 視界の端で、イーラが笑った気がした。

「イーラ?」

 見ると、彼女はいつもの無表情に戻っていた。

 憂いを帯びた瞳が僕を見つめている。

「レミアは、古い友人でしょう。後悔するような事はしてはだめよ」

 囁くような声で諭すイーラに、僕は無言で頷いた。

 イーラの説教に、僕は弱い。

 彼女は言葉を荒げる事はないけれど、だからこそイーラの言葉は心に突き刺さる。

「レミアだけじゃない。ルークスの酒場に行くんでしょう。それも、後悔はないの?」

「多分、はじめにやらないといけないから」

 答えると、イーラの手がそっと僕の頭を撫でた。

 それから言葉はなかった。

 無言で、父の酒場に向かう。

 ルークス。

 義理の父親だ。血の繋がりはない。

 面倒見の良い性格で、僕を本当の息子のように可愛がってくれた。

 これまでの感謝を示す挨拶が必要だった。

 酒場との距離はそれほどなく、すぐに着いた。

 まだ明るく開店準備中の扉を開けると、カウンターで下ごしらえをしていたルークスが顔をあげた。

「ルイか。さっきレミアが来たぞ」

 そう言って顎を向けた先の客席で、レミアは座ってじっとこちらを見ていた。

「ごめん、席借りるね」

 父に一声かけて、レミアの向かいの席に腰をおろす。

「ね、ねえ。ルイは"天秤"と組んで何かやろうとしてるんでしょう?」

 早速本題に切り込んでくるレミアに、僕は考えを巡らせた。

「手を組んでるわけじゃないよ。ただ、そうだね。良好な協力関係を築こうと思ってる」

「それはきっと、聖なる御子様としてはまずい事だよね。裏で自由に動ける人が必要じゃないかな?」

 そう言って、レミアは身を乗り出した。

 彼女の瞳には、危険な光が宿っていた。

「わ、私はルイの言う通りに動くよ。ルイがやれっていうなら、何だってやる。私、ずっと後悔してたんだ。あの時、ルイを見捨てたこと」

 今度は、とレミアが語気を強める。

「失敗しないから。バカな私だけど、やり直したいんだ。あの頃みたいに、ルイの横に立ちたいんだ」

 レミアの瞳を正面から見つめる。

 嘘を言っているようには見えない。

 彼女はやり直したいと心から願っている。それは間違いない。

 それでも、人間は弱い。

 どれだけ固い決意と約束があっても、自分の身に危険が降り掛かった時、人は簡単に決意を崩す。覚悟が壊れる。逃げてしまう。

 だから、僕はレミアとは一定の距離をとってきた。一度、その片鱗を見せた彼女に命は預けられないと思っていた。

 今一度、試す必要がある。

「レミア。この暗黒街には、奪う側が多すぎると思った事はない?」

 彼女は一瞬何を言われたのか分からないといった顔をしていた。

「えっと、ルイ?」

「奪う側と、奪われる側。この二つで、奪う側が多すぎる。誰かがコントロールする必要があると思ったことはないかな?」

「奪われる、側……」

 レミアは視線を落とした。その先には、ぷらぷらと揺れる袖があった。

「少しだけ、考えてみてほしい」

 そう言って、僕は席を立った。

 そのままカウンターにいるルークスの元へ向かう。

「久しぶりに手伝うよ」

「なんだ。急にどうした?」

 ルークスが笑う。

 ルークスとの付き合いは、それほど長いものではない。

 それでも、彼に引き取られてからは良い暮らしが出来た。

 身体を売る必要も、暗殺に手を染める必要もなくなった。

 僕にとっては、良き父だった。

「神殿に戻る前に親孝行をしようと思って」

「バカを言え。寒気が走る」

 笑うルークスに、僕も微笑んだ。

 カウンターの中に入り、仕込中のスープを覗く。

「美味しそうな匂いだね」

「ああ。市場に鰊が入ったんだ。たまにはこういうのも良いだろう」

 手際よく準備を進めるルークスの後ろへ、足を運ぶ。

 ルークスは料理で妥協する事はない。ここでは暗黒街の中でも上等な料理が食べられる。

 彼に拾われてから、残飯を漁るような事はなくなった。

 本当に感謝している。

 心から、本当に。

「……白髪、増えたね」

「そうか? まあ、年には勝てねえ」

 ルークスは、善人だ。

 善人だが、奪われる側ではない。

 彼は店を構え、暗黒街では考えられないような良い暮らしを送っている。

「皺も増えたよ。ちゃんと寝てる?」

「ああ。夜は寝てるよ。大丈夫だ。良い薬があるんだ」

 そうだ。薬だ。

 ルークスは薬物の販売に関わっている。

 この立派な店も、今の良い暮らしも、薬物のおかげで成り立っている。

 僕を引き取ったのだって、手元に優秀な暗殺者を置きたかったからだ。

 彼は善人だが、奪う側だった。

 腰に伸ばした手が、よく馴染んだそれに触れた。

「あまり薬に頼るのは良くないよ。心が抜けた人をいっぱい見てきた」

「大丈夫だ。俺はあんなにのめり込まねえ」

 暗黒街の法王になりたい、と願った。

 奪う側を減らそうと思った。

 僕の手は、これからどんどん汚れていくだろう。

 だから、聖なる御子として初めて手を汚すなら、きっとこれ以上の選択肢はない。

「ルークス。ずっと感謝してた。ありがとう」

「あ? 急に何言って――」

「――ごめんね」

 後ろから手を回し、ルークスの首を切り裂く。

 躊躇なく、深く、苦しまないように。

 鮮血が舞った。

 レミアの悲鳴。

 返り血を浴びないように、素早く後ろへ引く。

 喉を両手で抑えたルークスが、ゆっくりと振り向いて僕を見た。

 大きく剥いた目が、こう言っていた。何故だ、と。

 喉から溢れる鮮血が床を汚していく。

「薬物はダメだよ。先代のヴィクトール聖下だって許さなかった。一度広がったら、もう抑えられなくなってしまう」

 ルークスの身体が、血に濡れた床に沈む。

 白髪の混じった黒髪が、赤黒く染まっていく。

 ルークスから視線を外し、奥の席にいるレミアを見る。彼女は唖然とした様子で突っ立っていた。

「レミア、話を戻そうか。何でもやってくれるんだっけ」

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