暗黒街の法王
月島しいる
第1話
爆発したような歓声が僕たちを包んでいた。
着慣れない儀礼用の法衣に身を包んだ僕は、多分とてもおどおどして見えるだろう。
貧民上がりの僕は、今までこんな歓声を受けたことなどなかった。とても場違いな気がした。
精一杯の笑顔で観衆に手を振りながら、ちらりと隣の少女に視線を投げる。
フランツィスカ・フォン・グランデーレ。
支配の御子たる彼女は堂々とした態度で民草を見下ろし、悠然とした微笑を浮かべていた。
貴族である彼女からは支配者としての片鱗が既に見え隠れしている。高貴な血筋を引く彼女にとって、人前で笑顔を振りまく状況は珍しいものではないのかもしれない。
それから反対側にいる少女に視線を向ける。
ベルタ。
平民出の彼女は僕と同じく姓がない。破壊の御子と言われる彼女だが、その称号に反して静かで大人しい少女だった。眼下の観衆をじっと見つめたまま動かず、愛想を振りまく様子はない。当然だろう、と思った。戦時中以外で破壊の御子が法王に選ばれる事は殆どない。彼女はこの法王選を初めから諦めているようだった。
気が遠くなるほどの時間、観衆に手を振っていたような気がする。この時間が永遠に続くのではないかと思った時、主席枢機卿(しゅせきすうききょう)である老年の男性、ガランド・カーディナルが僕達の前に立った。彼は枢機卿団を束ねる立場にあり、法王選の進行役を担っている。
彼が右手をあげると、それまで途切れる事のなかった歓声が徐々に収まっていった。
ガランドは民衆に一礼すると、低く落ち着いた声色で語り始めた。
「支配の御子、フランツィスカ・フォン・グランデーレ。慈愛の御子、ルイ。破壊の御子、ベルタ。以上が法王選の候補者たる三柱でございます」
慈愛の御子ルイ。
それが今の僕。
数日前まではただのルイだった。
たった数日だ。ただの貧民だった僕は慈愛の御子なのだと宣告され、法王選などと言う良くわからない舞台で歓声を受けている。
未だに現実感がなかった。
「法王選により新たな法王が選ばれるのは三ヶ月後の満月の日でございます。先代のヴィクトール聖下の後継者はただ一人に限られ、我々は三柱の御子様からただ一柱を選ばなければなりません」
ガランドが今一度、法王選の目的を説明する。
僕は、先代の法王であるヴィクトール聖下をよく知らない。滅多に大神殿から顔を出さないお方だった。どのような執務をなされてきたのか知りもしない僕などに後継が務まるのだろうか。
僕の不安をよそに、ガランドは話を続けていく。
「選挙権は枢機卿団だけでなく全ての人民に与えられます。我々枢機卿団は法王選の進行を努め、御子様に助言する立場にありますが、法王選の公平性を損なうような事は決してしないと固く誓います。法王選は開かれたものであり、何者によっても侵せない神聖な儀式であります。これは列聖第一位であり、初代聖王であられたハロルド聖下の意志を継ぐものであり――」
ガランドの話が聖王選から偉人の逸話へと流れていく。
学のない僕には良くわからない話だった。
先代のヴィクトール聖下が表に出る事を嫌ったため、僕のような貧民は大神殿の具体的な仕事を良く知らなかった。
精々炊き出しを楽しみにしていたくらいのもので、さして信仰に厚いわけでもなく、権力に憧れたこともない。
たまたま御子の力を授かり、多くの従者を連れて迎えに来た枢機卿団に恐れを抱き、言われるがままに拾われてこの場にいるだけ。
この場において、僕は異物だ。
ガランドの長い話を聞いていると、そう思わざるをえなかった。
「さて、ハロルド聖下はこのような言葉も残しております。御子の力は大いなる主の意志であると。その力は強大であり、三つの力を束ねる旗がいると。そうして現在の法王選が形作られました。ハロルド聖下は三つの力に優劣はないと説いています。そして時代によって必要とされる力は移ろうため、法王の世代交代と同時に旗を持つべき力を改めて決めるべきだと、そのように結論付けられました。ハロルド聖下のご意思は枢機卿団という形をとって後世に引き継がれ、我々は長い歴史の中でハロルド聖下のご意思に沿って御子様に助言する立場を預かる事になったのです」
ガランドの長い話が続く。
法王選の意義と、枢機卿団の役割については大神殿に連れて来られた初日に何回も聞かされていた。
御子の力は、聖王の崩御とともに別の誰かに移り変わる。
何も知らずに御子の力を受け取ってしまった僕のような貧民を、法王選に導くのが枢機卿団の役割だ。
前回の法王選が行われたのは約40年前。
僕を含めて多くの人々は法王選を経験したことがなく、歴史的背景を含めたガランドの話が長くなるのは仕方がないのかもしれない。
ぼんやりと話を聞き流しながら、眼下の人混みの中をじっと見つめた。
父や友人、幼馴染の姿を探す。
貧民街の住人は総じて信仰心が薄いが、法王選を一つの祭りのように捉えて興味本位で見学に来ているはずだった。
しかし聖都中の人々が集まった場で見知った顔を探すのは困難だった。
「――そしてこれより法王選が正式に始まる事を宣言致します」
ガランド・カーディナルの宣言によって、大神殿の前に集まった人々が歓声をあげた。
先代ヴィクトール聖下の崩御によって空位となった法王の座を巡り、僕を含めた三柱の御子は民衆の支持を得るために動かなければならない。
僕は張り付いたような笑顔を浮かべ、観衆に手を振った。
「ルイ聖猊下。お下がりください」
後ろから神殿騎士の声。
眼下の人々に一礼し、慣れない法衣の裾を踏まないように気をつけながら踵を返す。
「後はガランド猊下にお任せし、お休みください」
神殿騎士の言葉はありがたかった。
朝から着慣れない儀礼用の法衣を着させられ、枢機卿団の高僧から念押しするように法王選の説明を受けくたびれていた。
自室に戻ろうと足を進めたところで、後ろから声が投げかけられた。
「ルイ。少し良いだろうか」
振り返ると、支配の御子であるフランツィスカ・フォン・グランデーレが立っていた。
燃えるような赤毛と緋色の瞳は、彼女が始祖民の純血を引く高貴な血筋である事を示している。
切れ長の双眸と、長い赤毛が彼女を大人びて見せていた。僕と同じ十六歳とは思えなかった。
「はい。何でしょうか、支配の御子グランデーレ様」
「我々は同じ御子なのだ。この神殿において心許せる数少ない同志でもある。そう固くならず、フランで良い」
フランはそう言って、薄い笑みを浮かべた。
堂々としたその話し方と表情は、やはり僕との根本的な格差を感じさせた。
「知っているか。歴代の法王のうち、半数を超える33柱が慈愛の御子であり、支配の御子の数は28柱となっている。破壊の御子に至っては僅か3柱しかいない」
「はい。詳しい数字までは知りませんでしたが、大半が慈愛の御子か支配の御子である事は聞きました」
過去に破壊の御子が法王に選ばれたのは戦時中だけだ。
フランは頷いて、表情を引き締める。
「この法王選は、君と私の勝負になるだろう。例えどちらが敗れても、三柱の御子は聖都にとって重要な役割を果たす。遺恨を残さないために、もっと互いの理解を深めるべきだと思わないか」
話が見えない。
僕はただ、彼女の話をじっと聞くしかなかった。
「私は法王としての立場に就いたら、農地改革に手をつけたいと思っている。大神殿は多くの土地を有しているが誰も興味を向けず有効活用されていない。神殿に複数の研究者を招き入れ、より多くの食料を量産出来るように改良を施していきたい。私は進歩こそが大いなる主の意志であり、人々を導く者の責務だと考えているからだ」
そこでフランは言葉を切り、それから僕の瞳を覗くように一歩前に出た。
「君は法王の立場に就いた時、どう動く? 何を為したいと考えている? 考えを、思いを聞かせて欲しい」
「私は……」
フランのように大層な考えなんてなかった。
そのような教育を受けた事もないし、大神殿の事だってよく知らない。
「私は、貧民街に生まれた身です。信仰もそれほど厚くなく、その日を生きる事に必死でした。あの、だから、私が法王選で勝つ事はきっとないと思うんです。だから、そんな立派な考えなんて一つもなくて、その……」
考えがまとまらず、最後は消え入るように言葉を濁す事しかできなかった。
目を伏せると、フランが冷たく言った。
「君は惰弱だな」
痛烈な一言だった。
僕は目を伏せたまま顔を上げる事ができなかった。
「私が聞きたかったのは君の考えだ。言い訳ではない」
そう言って、彼女は踵を返した。
最後に見えた横顔には、失望の色がありありと浮かんでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます