第6話

 レミアの人生は失敗の連続だった。

 とりわけ大きかった失敗は、盗みだ。

 何度も捕まったのに、盗みをやめようとはしなかった。それ以外に生きていく術を知らなかった。

 そして十歳の時、色街に出てきた貴族相手に盗みを働いた。

 盗みの腕がいいわけでもないし、獲物を狙う目も悪かった。

 引き時を間違えたレミアは、遂にその負債を支払う事になった。

 代償は、両腕だった。

 見せしめとして公衆の面前で衛兵に肘から先を切り落とされた。

 立ち会った医者の処置で命だけは助かったが、両腕のないレミアは盗みを働く事もできず途方にくれた。

 ルイと出会ったのは、そんな時だった。

 痛みに身動きの取れないレミアに、ルイはパンを分け与えた。パンを持つ事すらままならなかった為、ルイが手頃な大きさにちぎって食べさせてくれた。

「ルイ、その子はどうせすぐに死ぬ。全て無駄になる」

 ルイの後ろでは、表情に乏しい少女が静かに苦言を呈していた。

 イーラだ。ルイやレミアより四歳も年上の少女は現実主義者だった。

 彼女はルイにべったりで、貴重な食料をレミアに分け与える事に反対していた。

 しかしルイは黙ってレミアにパンを分け与え続けた。レミアは何度も涙を零しながら、硬いパンを咀嚼した。

 レミアの人生は失敗の連続だったが、ルイとの出会いは大きな転機となった。

 娼婦をやっていたイーラを真似て、レミアも色街に立つようになった。

 両腕のないレミアが物珍しいせいか、客足は途絶えなかった。そういう趣向を持っている客は大勢いた。

 稼げるようになると、イーラもレミアを認め始めた。

 ルイ、イーラ、レミアは三人で行動する事が多くなった。

 貧民街では心から信頼できる相手というのは貴重な存在だ。

 誰もが一人で生きていくだけで精一杯で、他人の人生を背負う事なんてしない。

 しかし、ルイは一度救いを与えてくれた。イーラも消極的ではあったが、力を貸してくれた。

 信用できる仲間はこの上ない財産となる。

 レミアは二人を心から信頼し、そしてきっとルイに恋をしていた。ルイも心を許してくれていたのではないか、とレミアは思う。

 しかし、その関係は長くは続かなかった。

 ある日、大勢の衛兵が貧民街に現れルイを囲んだ。盗みの容疑があるのだと、衛兵たちはそう告げた。

 後はいつも通りの光景だった。罪人に自白させようと衛兵による暴行が始まった。三人の衛兵が小柄なルイをいたぶるように殴り、片腕を折った。ルイの悲鳴が貧民街に響き渡ったが、誰もが見てみぬ振りをした。

 レミアも例外ではなかった。道端で苦痛の叫び声をあげるルイの様子を遠目から眺める事しか出来なかった。

 衛兵を見ると身体が震えた。

 腕を切り落とされた時の事が脳裏をよぎった。

 怖かった。

 レミアは動く事が出来なかった。

 野次馬に紛れて立ち尽くすレミアはただ、腕を折られた上に踏みつけられるルイを安全な場所から眺めていた。

 そして、目が合った。

 涙でぐしゃぐしゃになったルイの透き通った瞳が、確かにレミアを射抜いた。

 助けを乞う視線が、レミアに向けられていた。

 そして野次馬の中、レミアは人混みの中にそっと身体を隠した。

 ルイの瞳から目を逸らし、見なかった事にした。

 レミアには両腕がなかったし、衛兵を止める度胸もなかった。何も見なかったのだと自分に言い聞かせた。

 イーラの声が聞こえたのは、その直後だった。

「やめて!」

 普段は静かなイーラが叫び声をあげていた。

 見ると衛兵の前に飛び込んで、殴りつけられるところだった。

 普段の澄ました顔からは想像できない形相で、衛兵相手に殴られながらも叫び声をあげていた。

 レミアはそれを見ながら、最後まで動けなかった。

 レミアの人生は失敗の連続で、恐らくそれが人生で二番目に大きい失敗だった。

 その一件を境に、ルイはレミアと一線を引くようになった。

 表面上の付き合いは変わらなかったし、両腕が使えないレミアを手伝う事はあったが、それまでのような穏やかな瞳をレミアに向ける事はなくなった。

 ルイがレミアを見る瞳の奥には、冷たい警戒の色が宿るようになった。

 信頼の出来る唯一無二の仲間から、その他大勢に成り下がったのだと自覚せざるをえなかった。

 ルイの横にいるのはイーラただ一人で、レミアはその資格を失っていた。

 その頃から、ルイが何の仕事をしているのか見えなくなった。

 レミアの代わりのようにレイという小さな女が馴れ馴れしくルイに付きまとうようになり、徐々に疎遠になっていった。

 ルイ、イーラ、レミア。

 仲の良かった三人組は思い出の中のものになり、今やその関係は完全に破綻している。

「あー、本当に御子様になったんだ。横の人、護衛?」

 久しぶりに再会したルイに、へらへらと声をかける。

「汚らしい売春婦め。ルイ聖猊下に不用意に近づかないでください。危険であると判断すれば斬ります」

 純白のプレートメイルに身を包んだ騎士が、まるで敵を相手するようにレミアを睨みつける。

 ルイは法王候補たる御子となり、レミアは汚らしい娼婦をやっている。

 レミアの人生は失敗の連続だった。

「ま、待った。悪気はないんだよ。私バカだから、仰々しい言い回しに慣れてなくて。それで、ルイ聖猊下は何をしに?」

「アインズヘルムに向かうところだよ」

「アインズヘルム?」

「イーラに会いに」

 その短いやりとりで、ルイがイーラを迎えに行くのだとすぐに分かった。

 まるで御伽噺だ。

 幼き頃の友人が王子様となり、囚われのお姫様を迎えにいこうとしている。

「元気でね、ルイ」

 もしも、とレミアは思う。

 あの時、ルイを助けるために走り出していたらどうなっていただろう。

 衛兵に飛びかかっていたら、あのまま三人揃って大きくなっていたのではないか。

 その他大勢に成り下がる事もなく、信頼出来る仲間として数えられていたはずだ。

 地べたに座り込みながら、あり得た未来を夢想する。

 過去の衛兵をぶん殴る妄想を、何度も繰り返す。

 そうして時間を潰しながら空を眺めていると、ルイたちが戻ってくるのが見えた。

 案の定、ルイの隣にはイーラがいる。

 いつものドレス姿ではない。一般市民のような地味な服装。

 ルイに身請けされたのだと一目でわかった。

 幼き頃の面影を残したまま美しく成長したルイと、どこか陰がある雰囲気を纏うイーラは並ぶとよく映える。

 そして、思うのだ。

 あの時イーラより先にルイを守るために動いていれば、その位置には自分がいたのではないか、と。

 レミアの人生は失敗の連続だった。

 あり得た未来、あり得た可能性がレミアの胸の中で黒い火種となって燻った。

「そこには、私がいたはずなのに」

 ルイに手を引かれ、物語のお姫様のように自由の翼を得ようとするイーラに、嫉妬の炎が渦巻く。

 そして美しく成長したルイに、レミアは暗く粘着質な視線をじっと向けたまま離さなかった。

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