第三十話 巡礼の終わり
成は充電の切れたスマホの画面を見つめた。いや、正確に言えば、見ようとしていたが暗闇で何も見えなくなった。
ポケットからペン型懐中電灯を取り出し、明かりを点ける。旅の初日の朝になんとなく荷物に入れておいた物だが、おかげでスマホがなくても夜の樹海を歩くことができた。
渚には一番重要なことを訊けずに会話が終わってしまった。彼女はなぜ首吊り用のロープに切れ目を入れていたのか。
しかし、もうそれは気にしないことにした。それはきっと渚の心の外側へ出てはいけないことなのかもしれない、成はそう思った。
座りながらただ目の前にある暗闇を眺め、微かに聞こえる風の声に耳を澄ませた。ひどく腹が減っていた。
何も考えずにそうしていると、自分の物語が今度こそ本当に終わったような気がした。生きるということは目的ではなく手段であるべきで、自分には目的がない。
ふと今日がお盆であることを思い出す。
そして、ここでも黙祷を捧げることにした。今日まで成へ命を紡いできた先祖へ、樹海で命を落とした人々へ。
キオは「いない者に何を祈っても、何も変わらない」と言っていた。確かにそれも一つの真実であろう。しかし、それはあくまで成の心の外側での話だ。
成は黙祷を終えた。これで彼の巡礼も終わりだ。
成は、昭和中期の世を儚み足摺岬で命を落とした者達を思い浮かべた。
俺は彼らのように辛い思いをしているわけではない。今は昭和の時代ではなく、二十一世紀の日本だ。人々は鉄筆で謄写版の原紙に文字を刻むのではなく、スマホやタブレットのタッチペンでSNSとかに投稿をしているのだ。そんな時代をのうのうと生きている俺が、彼らのように自殺をすることが許されるのだろうか。
そして、足摺岬へ行くバスで見かけた老婆達を思い出した。
あの老婆達もまた、昭和の時代を生き抜いた。しかし、俺がこのまま生き続けても、彼女らのように笑って年老いることができる自信はない。いや、あるいはこのまま年老いて人生経験を積めば、自分が二十六歳の時に考えていたことなんて馬鹿馬鹿しく思える日が来るのかもしれない。ただの若気の至りだ、青春の一ページだと。でも、そんなのは遠い未来の話だ。いくら手を伸ばしても届かないほどの。
成は、両親のことを思い浮かべた。不思議なことに、成は今まで両親に対して深い愛情を抱いたことはなかった。恩はあるし、良い人達だと思ってはいるが、ただそれだけであった。
結局、実家に泊まりに行く話は嘘になっちゃったな。あいつら、俺が死んだらすごく悲しむんだろうな。
そう分かっていても、成にはどこか他人事のように思えた。自分のことも、生まれて来なかったら来なかったで別に構わないと思っていた。でも、もしこれからも生き続けることができるのなら、親子の本当の絆がどこかで生まれるのかもしれない。
成は、一緒に旅をした四人の仲間達を思い浮かべた。
もし俺が生き延びることができて、キオも死んでいなかったら、また五人で旅行に出掛ける、なんてこともあるのだろうか。そうすることができたなら、今度は誰も自殺なんてしない幸せな旅だといいな。
成は、最後に見た渚の顔を思い出した。渚は涙を流していた。
渚はもう自分の心を取り戻した。いや、そもそもケイトが言っていた
ミチコとキオは自ら死を望んで渚の元へ集まった。あいつらの他にも、死にたいと思いながら生きている人はいくらでもいる。苦しみながら生きている人が星の数ほどいる。生きているかぎり誰かを恨み、誰かに恨まれる。生きたくても生きられない人だっているのに。
成には判断することができなかった。
そして、もうすぐ成の二十六歳の誕生日が終わる。
自分の人生がここで終わってもいいような気もしたし、その先に本当に何もないのか見てみたいという気持ちもあった。だが、ひとまず栞を挟んでページを閉じることにした。
奥中成は停滞していた。
しかし、京浜東北線が止まった時とは違い、これは永遠の停滞のように思えた。樹海はただただ寡黙であり、目を閉じていると、自分で言った通りここが本当に死後の世界であるような気がしてきた。あるいは、首を吊って死ぬ前に見ている束の間の夢なのかもしれない。
まあ、どちらでもいい。
渚が切れ目を入れたロープを握りしめる。そして、死者の魂が佇む森の中で、静かな夢を見続けた。
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