第十一話 祈り
「は?」
背筋に悪寒が走った。
何を言っているんだ、こいつは? そんなことで賭けをするというのか?
「どうです?」
成は冷静に考えようとした。
まあ賭けの内容はちょっと酷いが、負けても「俺と渚は知り合いじゃなかった」と言い張れば済むことだ。俺に何か害があるわけでもあるまい。
「いいよ。それで賭けよう」
「OK。成さんは誰に賭けます?」
成は落ち着いて頭を巡らせた。
賭けの対象は五人。まず、消去法で俺とケイトは除外される。この二人のどちらかが先に死んだら、賭けが成立しなくなるからだ。となると残りは渚、ミチコ、キオの三人となる……。この中では、渚は先に除外して良いと思う。この旅は渚の提案だし、そもそもあいつの今の目的は俺の自殺に立ち会うことなのだ。絶対にないとは言い切れないが、死ぬという可能性はまずないだろう。よって残りはミチコとキオになるが、ここまで来たら後はもう運否天賦だ。何しろ俺はあの二人のことはほとんど何も知らないのだ。
「決まりましたか?」
「俺はミチコに賭けるよ」
「ほう、その心は?」
「まず俺とお前は自動的に除外される。あと、渚は旅の企画者だから、まあ最初には死なないだろう。で、残るのはミチコとキオだが、これもう殆ど勘だ。強いて言えば、ミチコの方が自殺願望がちょっと強そうな気がする」
「確かにミチコちゃんは新宿での集まりの時、そんな感じがしましたね。良い読みだ」
ケイトには伏せたがもう一つ根拠のようなものがあった。ミチコはさっき成と話をした時、どうしても京都に行きたいと言っていた。それなら、次の行先の京都に行って満足したら死ぬ可能性はあるんじゃないのか、というのが成の推測であった。
「じゃあ僕はミチコちゃん以外の誰かに賭けなきゃなりませんね。渚さんとキオさんの二択というわけだ」
そう言った後、ケイトが随分悩んでいたのが成には不思議だった。
この二人なら、ほぼキオ一択じゃないのか?
「それなら僕は……」
成は冷や汗を掻いた。
「キオさんに賭けます」
成はそれを聞いて自分がもの凄く安堵しているのを感じた。
「理由は成さんが言ってたのと同じです。じゃあ一回目の賭けはこれで決まりですね」
「一回目?」
安堵したのも束の間、成の心臓が跳ね上がった。
「ええ、この賭けはもう一回できるんです。一人死んでも僕ら以外にまだ二人いるわけですからね。三回目は賭けにならないから無理ですけど。いやぁ、成さんの秘密を暴くのが楽しみだなぁ」
こいつは何かおかしいんじゃないのか……。
成が動揺したのは久しぶりだった。
「なあ、この旅で誰も死ななかったらどうするんだ?」
「その時は……旅が終わった後も賭けを続けましょうか。なんちゃって」
ケイトはニコッと笑って立ち上がった。
「僕は先に店に戻ってますから、成さんはもう少し休んでいていいですよ。皆には僕から伝えておくんで」
そう言うとケイトは一人で土産屋まで戻って行った。
ケイトが立ち去った後も成は座りながら考え込んでいた。賭けの内容よりもケイトという男について。
何となく自殺志願者とは違う雰囲気を醸し出していたが、せいぜい出会い目的の軟派男といったところだろうと思っていた。しかし、実際にはどうだ。誰が死ぬかという異常な賭けを二回もやろうと言い出している。まさか本当に頭のおかしい奴で、何かしようとしてるんじゃないだろうな。いや、それはちょっと考え過ぎか。それともう一つ、あいつが賭ける時に渚かキオで迷っていたのも気になった。渚が自殺する可能性なんてありえるのだろうか。渚も実は自殺志願者で、今までの言葉は全て嘘で、本当は一緒に死んでくれる仲間を探していたとでも言うのだろうか。
成は渚とケイトがどのようにして出会ったのかを知らない。というより、結局自分は渚についてもほとんど何も知らないということに改めて気付かされた。
成は激しく混乱した。そして、渚と駅のホームで出会った場面を思い浮かべた。
穏やかな夕暮れの光に包まれながら、渚がゆっくりとホームの外側へ進んでいく。電車の走る音が聞こえる。渚は後で言っていた、これは小説を書くために自殺志願者の気持ちになろうとしていたのだと。成は今になって思った。何なんだ、その
渚、行かないでくれ。
記憶の中で、ホームの外側に向かって歩く渚の肩を掴もうとした。
「こんなところで何やってんの?」
「うおあっ」
成は我に返った。
渚が成の肩を掴んでいた。このタイミングで背後から来られたので腰を抜かした。
「んー?」
渚が覗き込むように成の目を見て、成は懇願するように渚の目を見た。
なあ、お前は死なないんだよな? 俺の自殺に立ち会うんだよなぁ?
「何、変な顔でジロジロ見ちゃって。気持ち悪い」
「……ひでー女だ」
成はようやくいつもの調子を取り戻し、立ち上がった。
「お昼ご飯にしよう。皆待ってるよ」
「ああ、行くか」
成と渚は飲食店のある方角へ歩いた。
ミチコには悪いが、この賭けに勝ってケイトの正体を暴いてやる、成はそう心に決めた。
土産屋へ戻る途中渚が何かを思い出したらしく、成の腕を指で突っついた。
「あっちに面白い物があるよ」渚が崖の上の方を指差した。
「面白い物?」成もその方向を見てみた。
「『救いの電話』っていうんだけど、自殺志願者を思い留まらせるためにあるの。ちょっと電話してみない?」
渚の案内で崖の上の雑木林の手前まで行くと、古びた電話ボックスが一台、ぽつんと設置されていた。
渚が電話ボックスを指差して言った。
「折角だし親とか友達に電話しておけば? どうせ成君のことだから、家族に何も言わないで来たんでしょ」
図星だったが、成はそれよりも出発の日の朝のことを思い出し、親に電話を掛けることにした。ただ通り掛かるだけでは普通の電話ボックスにしか見えないが、近づいてみると確かに日焼けした張り紙が貼ってあり、救いの電話と書いてあった。
電話ボックスの中に入ってみると、中は少々雑然としていた。壁には警察署の連絡先や生活保護に関する新聞記事が貼ってあり、台の上には新約聖書や電話用の十円玉が置いてある。その十円玉を使うのは何となく気が引けたので、自分の十円玉を緑色の電話機に入れた。
実家に電話を掛けると母親が出た。
「あ、もしもし、成だけど。来月そっちで友達と飲むから、夜泊まりに行くと思う」
「うん、いいよ。それより仕事は決まったの?」
別に探してないけど。
「まだだけど、前進はしているから大丈夫だよ。泊まる日決まったらまた連絡する」
「わかった。体だけは壊さないようにね」
壊れてもいいけど。
「うん、じゃあね」
そう言って成は電話を切った。
これで良し。このまま放っておけば、泊まりの件はどうなったと母さんの方からまた連絡してくる。そしたら俺と連絡が取れず、すぐ異常に気付くはずだ。もし俺が自殺したということがすぐに発覚しないような死に方をしても、家賃やら光熱費やらスマホ代が無駄に払われることもないだろう。
出発の日に気が付いた「残された貯金が無駄になる問題」はこれで解決したということにした。とはいえ、我ながらいい加減なことを言ってしまったと成は思った。
俺は実際には全く前進などしていないし、母さんもまさか東尋坊の救いの電話から掛けているとは思っていなかったはずだ。長い間苦労して育てた息子との最後の会話がこんな話というのも少々気の毒だが、世の中には事故で突然死んだりするケースもあるし、それよりかは幾分マシだろう。そう考えると、自殺というものはある意味では合理的な死に方なのかもしれない。
成は目を閉じて、今まで家族と過ごした日々を少しだけ思い出してみた。そして、ノルマを一つ達成したと自分自身に言い聞かせ、電話ボックスを出た。
「おかえり。どう? 救われた?」
「いや、別に。お前は電話しないのか?」
「折角だから私も電話しようかな」
「いってらっしゃい」
渚は電話ボックスの中へ入って行った。通話はすぐに終わったらしく、一分もしない内に電話ボックスから出てきた。
「誰と話していたんだ?」
「越前蟹だよ」
「そうか」
「うん」
「…………」
成はこの質問をしたことを後悔した。
成と渚が土産屋の前に戻ると他の三人が待っていた。ミチコが若狭塗箸という箸を買ったらしく、ケイトとキオに見せていた。漆に貝殻の欠片を散りばめたようなデザインで、上品な趣だがミチコが持つと不思議と様になっている。
三人もこちらに気付いたらしく、ケイトが成を見てニカッと笑った。変に疑った態度で接するのも嫌なので、成は今まで通りにケイトと接することにした。
成達は食事処で福井名物であるらしいソースカツ丼を注文した。味は特に可もなく不可もなくといったところであった。
「これを食べたら皆で展望台に登ろう」
渚が箸で掴んだソースカツを眺めながら言った。
「そうだな。それで適当な時間になったら、駅に戻って京都に向かおう。時間を掛ければもっと色んな所へ行けるんだけど、こんなところでいいだろ?」
キオが皆に問い掛けると、渚が「はい、キオ君先生」と返事をした。それを聞いてミチコとケイトがクスクスと笑った。キオは苦笑いだ。
東尋坊の展望台は高さ五十メートル程で、真下から見上げるとそれなりに高く見えた。一階に入るとお土産売り場の他は古びたラウンジのようなスペースになっていて、成達の他に客はいない。カウンターで入場券を購入し、中央のエレベーターに乗って展望台まで上がった。
展望台は周囲が窓ガラスで囲まれていて一応は景色を見渡すことができたが、ケイトはあからさまに落胆していた。
「キオさん、ここからじゃ東尋坊の崖が見えないですよ。折角の展望台なのに」
「雄島が見えるだろ。あれで我慢しろ」
「なんでも、雄島には東尋坊で飛び降りた人の死体が流れ着くらしいですよ」ミチコが会話に加わった。
「うーん、ここからじゃ、死体の山が見えないなぁ」ケイトが目を細めている。
「んなもん、あるわけないだろ」
そんな他愛のない話をしている三人をよそに、成はエレベーター出入り口の反対側へ回ってみた。そこには東尋坊で自殺した人々を弔うための観音様が安置されていた。
折角なので成は黙祷を捧げた。人生に絶望して崖から飛び降りた人々と、殉職した船員達へ。しかし、成の黙祷は黙祷と呼ぶにはあまりに簡易的であり、仕事のチェック項目表にレ点を記入するような祈りであった。それは黙祷というより、自殺の先輩方に対する挨拶のようなものであった。
◇◇◇◇
一方、渚は一人で景色を眺めていた。
学生時代にもちょうどこんな展望台に登って海を見渡したような覚えがあるけど、あれはいつだっただろうか。
それを思い出そうとしてみると妙な不安に襲われた。渚は人前では明るく振る舞っていても、時々こういう突発的な恐怖に陥ることがあった。
気味が悪いので無理に思い出そうとするのはやめた。きっと大切な思い出ではないのだろう。そう自分に言い聞かせ、成達のいるところへ戻った。
◇◇◇◇
成達は景色を眺めることに飽きてしまうと、展望台を出てバスで駅へ向かった。渚が崖でサスペンスドラマごっこをしたいと言ったが却下された。
「あの展望台、ほとんど海しか見えませんでしたねぇ」
ケイトがまだ文句を言っていた。
バスを降りると三国港駅まで歩き、そこからローカル線の電車に乗った。
電車に乗っている内に空が曇り始めた。車窓から見える灰色の空と田園風景を眺めながら成は物思いに耽っていた。
最初の目的地はこれで終わったが誰も死ななかった。このまま五人で旅を終えた方が良いのだろうか。俺はどうしたら良いのだろうか。そういえば今日母さんに電話したけど、もっと色んなことを話しておけば良かっただろうか。
成は窓の外に目をやり、ほんの少しだけ後悔をした。
福井駅に到着すると、切符を買って新幹線に乗った。車内で東尋坊の話をしているとケイトが東尋坊の伝承に興味を持ち、ミチコが話して聞かせた。
やがて雨が降り始め、窓ガラスに付いた水滴が水晶の弾丸のように水平に流れていった。
「あちゃー、雨降っちゃったねー」
渚がチョコレート菓子を食べながら落胆の声を上げる。
ミチコは念願の京都に思いを馳せる一方で、あの日もこんな雨だったなと陰鬱な気持ちになった。
ミチコはこの旅が始まる前の日々を思い出した。その過去はいつまでも止まない雨であり、枯れることのない涙の源流でもあった。
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