第十四話 辞世の句

 渚がミチコと一緒に入口まで戻って来た時、成は安堵した。拝観終了時間になっても戻って来ないから渚が様子を見に行ったのだ。

 成としても、いくらミチコに賭けているとはいえ、こんな場所で死なれるのは気分が良くない。それに、今回は寄せ集めのようなメンバーだが僅かに仲間意識のようなものも芽生えていた。まだ旅行の三日目である。最終的には死んでしまうのかもしれないが、もう少しこの五人で旅をしたい。戻ってきたミチコの顔を見て、成は自分がそう思っていることに気付かされた。


 バスで京都駅前まで戻り、鰊蕎麦の店に行った。鰊蕎麦を食べながら、ミチコは今日の寺巡りがどれだけ楽しかったか、どれだけ渚達に感謝しているのかを話してくれた。そして、京都の次の行先を決めることになった。

「次は高知の足摺岬に行かない?」渚が提案した。

「四国かぁ……」キオが顔を伏せて唸った。

「お前、崖に行ったからダムはもういいとか言ってたじゃないか。岬も似たようなもんじゃないか?」成が訊いた。

「よくよく考えたら、自殺の名所っていうのはほとんど飛び降りの名所なんだよね。だからやっぱり岬でも良いかなって」

 猫のように気まぐれな奴だな、と成は苦笑いした。

「ちょっと遠いですけど、何かあるんですか?」ミチコが渚に訊く。

「何があるわけでもないけど、小説の舞台になってるよ」

「まあまあ、他に当てがあるわけじゃないし、リーダーが行きたいなら良いんじゃないんですか」ケイトがフォローを入れた。

「さすがケイト君、話が分かる」

 成は面倒臭そうにしていたが他に代替案は出ず、明日は平等院鳳凰堂に行った後、午後に四国へ向かうということで作戦会議は終了した。


 ホテルに戻るとミチコは渚に今までの自分の境遇を話した。最初に公園で会った時には抽象的な話しかしなかったので、今度は詳細に話をした。誰にも話したくないことだったが、同性で友達だと認めている渚になら話しても良いと思った。

 ミチコの過去を聞いた渚は「そんな親ならさ、ぶっ殺しちゃえばいいじゃん」と笑い飛ばした。言っていることは滅茶苦茶だが、ミチコはなぜか心が救われたような気がした。もう少しだけ旅を続けることを渚に告げ、ミチコは眠りに就いた。


 八月十一日木曜日。成達は午前十時にホテルのチェックアウトを済ませ、電車で宇治駅まで行った。

 宇治駅を出ると、街中にある表示を辿りながら平等院鳳凰堂を目指した。この街道にも京都の和菓子を味わえる店が並んでいて、買い食いを楽しみながら歩いた。

 十分程歩くと平等院に到着し、入場券を買った。表門をくぐり道なりに真っ直ぐ歩くと、阿字池という大きな池の前に出る。その中央にかの有名な鳳凰堂が鎮座していた。

「おお、これは凄い」

 その力強く優雅な佇まいに、捻くれ者のケイトも素直に感動していた。成達は鳳凰堂の前で他の観光客に写真を撮ってもらい、池の周りを迂回した。鳳凰堂の他にも鐘楼や博物館などがあり、平等院について見聞を深めることができた。

 鳳凰堂の裏へ行ったところに源頼政の墓があった。木製の小さな立て看板に源頼政の経歴と辞世の句が書かれていた。


 埋もれ木の花咲くこともなかりしに 

 身のなる果てぞ悲しかりける


「これはどういう意味なんだ?」成はミチコに訊いた。

「これは、埋もれ木の花が咲くことがないのと同じ様に私の人生も時めくことなく、その最期もまた悲しい、という意味です」

「なんだか寂しい歌だね」渚が呟いた。

「私達もやっぱり、埋もれ木になってしまうんでしょうか」

 ミチコがそう言うと、成達は胸が痛むような沈黙に包まれた。

「埋もれ木だったとしてもさ」

 ケイトがいつもの調子で言った。

「最期まで悲しいってことはないでしょ。こうして皆で旅ができたんだからさ」

「ケイトさん……」

「花はもう咲いているよ」

「なーに、カッコつけてんだよ」

 キオがケイトの髪をぐしゃぐしゃに撫でつけた。

「ちょっと、やめてくださいよ!」

 そんなやり取りを見て、皆で笑った。この笑顔が旅の最後まで続けば良いと思った。

 成はここでも黙祷を捧げることにした。源頼政と、清水の舞台で願掛けのために命を落とした者達へ、小さな点のような祈りを捧げた。

「辞世の句か……」

 墓から去る時に渚が呟くのが聞こえた。渚の儚げな表情を見て、成は胸に小さな刻印を刻まれたような気がした。


 平等院を出た後、成達は宇治川の方まで歩いた。宇治川の向こう側にも神社があるが、全てを回っていたらキリがないので、その内の宇治神社だけ行きたいとミチコが言い出したのだ。

 向こう岸まで百五十メートルはあるだろうが、有名な宇治橋ではなく平等院の裏手に掛かっている少し小さな橋を渡った。柵に朱色の塗装が施してあり、京都ならではの趣がある。何が釣れるのか分からないが、川辺で釣り人達が川面を睨みながら釣り糸を垂らしていた。

 ケイトは釣りの様子を見たいから川で待っていると言った。成達は了解し、宇治神社へ続く石の階段を上がった。

「うーん、こんな感じかぁ」

 渚が宇治神社を見渡して言った。ごく普通の境内のような印象で、流石に平等院や清水寺と比べるとこじんまりとしている。

「そしたら、私も休憩したいから川辺で待ってるよ」

「すいません、すぐに終わりますから」ミチコが謝った。

 渚が「ゆっくりしていいよー」と言いながら階段を下りて行った。


 成とミチコとキオは境内の奥にある本殿で参拝をした。本殿の中には木造神像の他に、後ろを振り返ったような格好の兎の像があった。

「兎が祀られているな」キオが言った。

「説明書きがありますね。これは『みかえり兎』っていうみたいです。菟道稚郎子命という神様がこの土地へ来る途中、道に迷ってしまいましたが、一羽の兎が振り返りながら道案内をしてくれました。それ以来、人生を正しい道へと導く神様の使いとされているそうです」

「ありがたや」成が呟いた。

「まるで、渚さんのようですね」

「はぁっ?」成とキオが口を揃えた。

「だって、迷っている私をここまで導いてくれたんですよ」ミチコはニコニコと微笑みながら言った。

「どんな手を使ったのか知らないが、渚に手懐けられているな。成、何か言ってやれ」

 成はミチコの目を見た。ミチコは「なんでしょう?」という顔をしていた。

「お前は神様か」

 成はミチコのおでこにチョップした。


 参拝をした後、販売所でみかえり兎グッズを見たり、パワースポットで神の力をその身に宿したり、絵馬堂で他人の書いた絵馬を物色したりした。

 やがて渚とケイトを待たせていることを思い出し、急いで階段を下りると神社の出口で渚が待っていた。渚は鳥居に寄り掛かっていた。相変わらず罰当たりな奴だな、と成は呆れた。

 しかし、成はふと渚の様子がいつもと違うことに気が付いた。心ここに在らずといった様子で、川の流れのずっと先を見ていた。

「遅くなってすみません!」

 ミチコが開口一番に謝った。だが近づいてみると、渚が手に誰かの靴を持っていることに気が付いた。

「なあ、その靴……」

 成はそう言いかけたところで思い出した。これはケイトが履いていた靴だ。

「ケイトはどうしたんだ?」

 そう問い掛けると、渚はゆっくりと成の方に向き直った。

「ケイト君なら」

 渚は真っ直ぐと成を見据えた。

 その瞳には何も映っていなかった。

「自殺したよ」

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