第十五話 何かが起きている
渚の言葉に一同は唖然とした。
「なんだって……」キオは顔面が蒼白になった。
「そんな……」ミチコは体が震えている。
普通なら簡単に信じられないようなことも、渚の無機質な声色と眼差しによって妙な真実味を帯びているように感じられた。
「どうやって死んだんだ?」
そう問い掛けると、キオとミチコが驚いたように成を見た。
成は自分でも意外なほど冷静だった。なぜなら、まだ悲しむには早いからだ。もっと詳しく話を聞く必要がある。
「私が皆と別れてからここまで歩いて来ると、ケイト君もここで待っていたの」
渚は人差し指を地面に向けた。
「それで、話があるから付いて来てって言われて、あっちの橋の方まで歩いて行ったんだけど」
今度は宇治神社から出て左側に曲がった道の先を指差した。道が曲がっていて、ここからは橋が見えない。
「それで橋に着いたら、『僕もう死にますから皆によろしく』って言って靴を脱いで、橋からジャンプして川に飛び降りたんだよ」
「ケイトさんは、それだけしか言っていなかったんですか?」
ミチコが信じられないという風に尋ねた。
「うん、それしか言い残していなかった。遺書もなし」
「渚、その現場を見てみたい。案内してくれ」
成がそう頼むと渚は「いいよ」と言って歩き出した。渚がいつもの雰囲気に戻っていたのが成には却って恐ろしかった。
二百メートル程歩くとケイトが飛び降りたという橋に到着した。宇治川を渡って来た時の橋と同様に柵は朱色に塗装されており、高さも一メートルより少し高いという程度であった。確かに、これなら柵をよじ登って飛び降りるのは簡単だろう。おまけにそこはちょうど水力発電所から放流された水が宇治川に流れ込む箇所で、水流の勢いが非常に強い。この中に人間が飛び込んだら一瞬で溺れてしまうに違いない。
「ケイト君はこの辺に立って」
渚は橋の真ん中に立った。
「ここで靴を脱いで荷物を川に捨ててから、柵をヒョイと登って飛び降りたんだよ」
「ケイトはどうして靴を脱いだんだ?」
ミチコとキオが不思議そうに成を見た。
「さあ? よく飛び降り自殺とかする人は靴を脱ぐっていうから、それに倣ったんじゃない?」
本当にそれが理由だろうか。成には何かが引っ掛かっていた。なんというか、
「渚の他に目撃者はいるのか?」成が訊いた。
「いないよ。ここはあんまり人も通らないし」
渚の言う通り、今も橋の上にいるのは成達だけだ。
「しかも川の流れが急なせいか、飛び込んだ後は浮かび上がってこなかった。もう見つけるのは無理だと思う」
「そうか……」
そんな成と渚のやり取りを見てキオは先ほどから物言いたげな様子だったが、遂に我慢できなくなって怒鳴り声を上げた。
「お前らいい加減にしろよっ!」
あまりの大声に成達は驚いてキオを見た。キオが怒るとこれほど怖いということを成は知らなかった。
「そんなことより、先に聞くことがあるだろうが!」
キオは渚に詰め寄った。
「渚、お前なんでケイトを止めなかったんだよ! はい、そうですかって言って見殺しにしたのかよ!」
「そうだよ」
「どうしてっ……」
「キオ君の方こそ、私達の目的を忘れたの? 私達は自殺をするためにこうして旅に出たんだよ。遅かれ早かれ、いつかはこうなっていたんだよ」
体の大きいキオに凄まれても渚は物怖じしなかった。渚の鋭い視線にキオの方が委縮しているようにさえ見えた。
「それは分かってるけどよぉっ……」
「それに、ケイト君は本気で死にたいと思ったから川に飛び降りたんだよ。どうしてそれを止めなければならないの? そんなことしたらケイト君が可哀想だよ」
「なんでそんな簡単に割り切れるんだよ!」
キオが膝をついた。ミチコは涙を流していた。
「本当に誰かが死ぬなんて思ってなかった……結局、みんな怖くなってそんなことできないって……俺も……」
キオはそう言ってうなだれた。
「成君、もう次の目的地へ行こう。私達はここにいてはいけない」
「……そうだな」
「何があっても、私達は最期まで旅を続けなきゃいけないんだから」
成達は鎮痛な面持ちで歩き出した。残されたケイトの靴はひとまずキオが引き取った。
成には何がどうなっているのか分からなかったが、一つだけ確かなことがある。それは、ケイトはもう自分達の所へは戻って来ないということだ。死んでいようが死んでいまいが。そのことだけは成も寂しく思った。
京都駅へ戻る頃には雨が降り始めていた。駅前は混雑しており、人々の差す色とりどりの傘が手向けの花束のように見えた。
宇治から次の目的地である足摺岬への道のりは結構なものである。まず新幹線で京都から岡山まで行った後、岡山から特急電車で瀬戸内海を縦断する。岡山を出てから約四時間半後にやっと最寄り駅である中村駅に到着するが、その先は電車が通っていないため、バスで更に約一時間半走らなければならない。
今日は中村駅の近くにあるホテルに泊まり、明日になってからバスに乗ることにした。新幹線の中で遅めの昼食である駅弁を食べていたが、特に会話らしい会話はなかった。仕方がないので、成は窓の外の景色を眺めながら先ほどの出来事について考えてみた。
ケイトの死には不可解な点が多過ぎる。まず目撃者が渚しかいなくて、渚の証言をただ信じるしかないということだ。だが、このことについては渚がこれ以上口を割るとは思えないから、ひとまず保留にするしかない。もう一点、俺がどうしても解せないと思ったことはケイトとの賭けの件だ。誰が最初に自殺するかという賭けで、当然俺かケイトに賭けてしまうと賭けが成立しなくなるから、真っ先に除外したはずだ。しかし、実際に最初に死んだのはケイトであった。それならば、あの賭けは一体何だったのだろうか。俺をおちょくっていただけなのか。いや、これから自殺をするという人間がそんな無意味なことをするとは思えない……。ならばこう考えてみてはどうだろうか。
「まさか本当に頭のおかしい奴で、何かしようとしてるんじゃないだろうな」
そんな馬鹿な、そんなはずはない。そう思いたいが、その可能性も充分にある。自分から提案しておいてこう言うのもおかしいけど、人の自殺に立ち会いたいと思うことがそもそも異常なんだ。なんでそんな当たり前のことに今まで気付かなかったんだろう。俺は風俗店で渚と出会った時、客が異常者だったら危ないというような忠告をしたが、逆だったんじゃないのか?
成は隣の席にいる渚を見た。渚と目が合った。
「何?」
渚は少女のような瞳で成を見返した。
「別に」
成はこれ以上推理するのは諦めて、再び窓の外へ目をやった。
岡山駅で新幹線から特急電車に乗り換え瀬戸内海の上を走る頃には、窓際に座っている渚とミチコが景色を見ながらポツポツと会話をするようになっていた。雨はもう止み、地平線が太陽を覆い隠そうとしている。キオは相変わらずほとんど口を利かなかった。
長時間座席に座っていたせいで、中村駅に到着した時には体の節々が痛くなり、木製の操り人形のようになっていた。成達は電車を降りて全身を隈なく伸ばした。
中村駅の周辺は閑散としていた。コンビニやレストランはない。あるのはタクシー乗り場とバス乗り場、レンタカーリースくらいのものだった。ここに留まっていないでさっさと移動しろということなのだろうか。御要望通り、早速駅の目の前にあるホテルへ向かった。
ホテルに着くと、成とキオでツインを一部屋、渚とミチコでツインをもう一部屋借りた。部屋に着いて荷物を下ろし、一息つくと成はキオに声を掛けた。
「なあ、そろそろ機嫌直してくれよ。確かに渚も冷たかったと思うけどさ、キオがいつまでも怒っててもしょうがないだろ」
ベッドに腰掛けていたキオがため息をついた。
「ああ、悪かったよ」
そして、そのままベッドの上で仰向けになった。
「ケイトっていうのはな、俺の息子と同じ名前だったんだよ。そいつがなんか蔑ろにされたような感じがしてな」
それを聞いた成は驚愕した。
「あんた、子供がいるのか?」
「実は、お前らに隠していたことがあってな」
キオは起き上がり、静かに語り始めた。その目は鉛のように色褪せていた。
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