ミユキは軽はずみな女

 ミユキは軽はずみな女だ。

 こいつの考えなしな行動に、いっつも振り回される私はご苦労様。


 にしたって、今回のはヒドすぎる。

 しばらく会いたくなかったから、登校の時の待ち合わせ場所であるコンビニも、まるで存在してないみたいに早足でスルーした。


 なのに、後ろから聞き慣れた声が追いかけてくる。

 毎朝欠かさず遅れてくるくせに、なんで今日に限って?


「待って~アオイ~、ご機嫌ナナメはもうやめようよ~」


 走って逃げるのもいかがなものか? ためらってるうちに追い付かれる。


「つっかまえた~オッハヨ~」


 ミユキがフワフワとした薄茶色の髪を、私の顔面に押し付けてくる。

 フワフワと柔らかい身体も私の腕に絡めてきて。


 まるっきりいつもどおりの態度が私には信じられない。


「あんたさ、一週間だけ時間くれって言ったよね、私?」

「うん、言った。わたしが思いきって告白したのに、すっごいイヤそうな顔しながら言ったよね」


 おおきめの瞳をウルウルさせながら、批難するみたいに言ってくる。

 

 悪いの私!?


 いやいやおかしいって。

 中学の入学式から高校二年の今まで、ずっと仲よく友達をやってきたのに、前触れなく告白してきたミユキの方が悪くない?


 けど、あんまりきつく言い返すとこいつは泣いてしまう。

 いつもしつっこく泣くし、昨日は特別しつっこく泣かれたし、いい加減うんざりだからなるべく回避したい。


「イヤそうな顔したのは悪かった。ゴメン。あまりにも突然すぎて、頭ん中パニックになったんだよ」

「アオイは頭固いから、急な事故の時にうまくできないんだよね」

「急な事故って言ったな? そういう自覚あるんだな?」


 思わず私が問い詰めると、むこうは慌てたみたいに顔を背けた。


「おい、こっち向きなよ。ホントは悪いことしたって思ってるんじゃないの? いつもの考えなしで、友達を困らせちゃってさ」


 ミユキがボソボソと何か言ってる。

 ヘンなイジケ方をしてるけど、ここで見逃してあげる優しさなんて私にはない。


「聞こえない。聞こえるようにこっち向いてください」


 ミユキが勢いよく頭を振り、私としっかり目を合わす。その目尻には涙が溜まっていた。


「好きって言うのに悪いってないもん!」


 両手で私の身体を押すと、背を向けて学校へと駆けだした。


「おい、こけるぞ!」


 ミユキは返事を寄こさない。

 五十メートルほど走ってこけて、ひとりで立ち上がってまた走っていった。


 あの子の背中が遠ざかるって、こんなに胸が苦しくなるものだったっけ?




 いつもフワフワしてるミユキといつもきつめな私だから、ケンカみたいになるのはしょっちゅうだ。

 たいてい、ミユキが軽はずみに何かやらかして、私が怒って怒りすぎてミユキがヘソを曲げる。

 そしていつの間にかまた仲よくやる。


 でも今回は難しい。事情が違う。

 「最初から愛してるしかないんだよ?」なんて言われたら、ぎこちなくなるに決まってる。


 「別に友達から恋人に変わるだけだよ」なんてあの女は軽はずみに言いやがった。

 私はずっと友達のつもりでいたのに。


 確かに、ミユキはかわいいと思う。

 見た目は全学年で五本の指に入るだろうし、中身も抜けてるところも含めてかわいい。

 そんなミユキが大好きだけど、私のはあくまで友情だ。そのつもりでいた。


 確かに、ミユキに面と向かってかわいいと何度も言ってる。実際かわいいし。

 お泊まりも何度もしているし、一緒にお風呂に入ってもいる。あの子の尾てい骨辺りにあるみっつのホクロは私しか知らないらしい。


 昨日の夜、ウンウンうなりながら思い返していたけど、言われてみれば、あいつは私に触りすぎていた。

 毎朝抱きついてくるのはデフォルトで、なにかっていうと密着してきたりベタベタ触ってくる。

 どさくさでもなんでもなく、堂々と私の胸を揉んできたりもする。自分の方がよっぽどでかいくせに。


 単にスキンシップが過剰な奴。私はそう解釈してきた。

 時々ウザいけど、親しいからこそなんだし本気で嫌だと思ったことはない。


 けど……あれは友情によるものではなかった……?

 ぶっちゃけ、ただの性欲だったんでは?


 そんなふうに、昨日の夜はひとりで苦しんでいた。

 全部、あいつの軽はずみな告白のせいだ。


 もう少しなんとかならなかったんだろうか?

 ちょっとずつ恋心を匂わせて、私に感じ取らせる。

 そうすれば、私もさりげなく諦めさせる態度を取るとかできたのに。


 けど、もう手遅れだ。


 あいつはいきなり告白し、私はイヤな顔をして拒絶するなんて割とサイテーなことをしてしまった。

 一週間考えさせてくれ、私はそう言ったのに、むこうはいつもと変わらず朝からベタベタしてきたし。

 自分のことを好きだと言う女の子に抱きつかれた時、どういう態度を取ればいいのか私には分からない……。




 授業の内容なんて一切頭に入ってこない。

 グルグルとミユキのことを考えてるうちに、昼休みになった。


 昼食はいつもミユキと食べている。

 違うクラスのあの子が私の席までやって来るのだ。


 けど、今はミユキの顔は見たくない。

 真ん前にあのやたらかわいい顔があったら、せっかくの自作のお弁当を美味しく食べるなんてできないに決まってる。


「アオイ~、おべんと~」


 やっぱり来やがった。

 花が咲いたみたいな笑顔で駆けてくる。


 当たり前のように手ぶらなのは、あいつのお弁当も私が作ることになってるからだ。


「悪いけど、しばらくひとりで食べたい」


 拒絶するのはためらうものの、私はメンタルの平安のためにそう言った。


「そんな意地悪、言いっこなしなし♪」


 まるで聞こうとせず、前の席のイスを反転させて陣取った。

 そして両方の手のひらを私に向けていつものおねだり。

 ちょっと首を傾げてかわいいけど、今の私には魔性の媚びに見えてしまう。


 しばらく身動きしないでいたら、むこうは悲しそうに目を潤ませはじめた。

 まさに魔性だけど、私は屈してお弁当を机の上に置く。


「ありがと~」


 ミユキがお弁当箱のひとつを自分の手元に寄せる。

 その私のよりちいさなお弁当箱は、中学二年の春にふたりでピクニックに出かけるからと私が買った物だ。


 あの時、喜んだミユキが口にキスしてきたのを、私は照れながらも拒絶しなかった。

 今思えば、ああいうのをその都度拒否していたら、昨日の悲劇は発生しなかったのでは?


「アオイ、そんなに見つめたら恥ずかしいよ」


 過去に想いを馳せていた私が現在に戻ると、目の前に甘ったるいまなざしを向けてくる友達がいた。


「いや、見つめてなんてないし」


 単にぼんやりしてただけ。

 今することを思い出した私は、視線を落として自分のお弁当箱を引き寄せる。


 なんだか照れてごまかしたみたいに見えるなと気付いたら、やっぱり向こうはそう受け取ったらしい。


「えへへ……このおべんと箱、アオイが買ってくれたよね? ピクニック行くのメンドくさがってたくせに、ちゃ~んとおべんと作ってくれたの。わたしがはしゃいだら照れちゃってかわいかった」

「よく覚えてるね、そんなこと」


 今まさにそのことを思い出していた。

 続きの話は出さないでくれっていう私の念波はミユキに届かない。


「あのピクニックの時……アオイがキスしてくれたの」

「いやいやいや! キスしてきたのそっちだよね!?」


 教室中に響く大声を出してしまう。


 セリフがセリフなだけに何人ものクラスメイトが私を見たが、優しい笑みを寄こしただけだった。

 なにその、「いつもどおりだね」みたいなナゾの理解?


 ミユキに視線を戻すと、ほっぺを膨らませた怒ってるアピールをしていた。

 かわらしいそんな仕草も、今は若干ウザい。


「なんでそんな顔? いきなりキスしてきたのはそっちじゃん」


 事実を言ってやると、ミユキが怒ってるアピールをやめて驚いた顔になる。


「わたしがキスしたのは口じゃないよ? ほっぺとかおでことかだもん」


 そんな態度に私こそ驚く。あれ? そうだっけ?


 焦る私を放置して、マイペースなミユキはひとりでうっとりした表情になる。


「照れちゃったアオイがやめろって言うから、『アオイがしてくれたらやめる』っておねだりしたの。アオイが『わかった、一回だけな』ってイヤイヤっぽく言って、おでこかな?って思ったら、優しくくちびるにキスしてくれたの」

「そ、そうだっけ!?」


 半分くらい思い出しかけてたけど、記憶の蓋に全体重をかけて封じようと試みる。


 だけど、無駄な抵抗だった。

 当時の一部始終が、脳内の大スクリーンで一挙上映されるを止められない。


 はい、口へのキスは私からでした。


「けっこー長いことキスしてくれた。アオイの愛を感じたよ」

「いや、単にやめるタイミングが分からなかっただけだし」


 我ながら往生際の悪すぎる言い訳をしてみる。


「アオイって、キス好きだよね? わたしがおねだりしたら、いつもキスしてくれるの」

「ミユキがしつっこいからだよ」


 学校のお昼休みにふさわしい話題じゃない。

 話はもう終わりですという流れを作るべく、ひとりでお弁当を食べはじめる。


「わたしは『なにかご褒美ちょうだい?』っておねだりするだけだよ? 試験とかダイエットとか早起きとか、そういうののご褒美。アオイは自分から『じゃあ、キスな』って決めるの。ほぼ毎回」

「そ、そうだっ……け?」


 ウインナーが箸からこぼれ落ちる。

 動揺しながら脳内の記憶庫をひっくり返すと、思い出したのはミユキが言ったとおりの場面ばかり。


 そうだっけ……?


 いやいや、そうだとしても。


「キスくらい、友達同士でもフツーにするでしょ? ミユキがお手軽に喜ぶのがキスなんだ。財布も傷まないしコスパ最高」


 たいしたことじゃないよって口調で言う。

 半分くらい自分に言いきかせてる。


 心を落ち着けようと、自分で作ったお弁当に箸を伸ばす。

 料理の味はミユキに合わせて甘めにしている。


 目の前に座るミユキは、腕組みをしながら首を傾げていた。

 なにか考え込んでるのだろうが、何も考えてないようにしか見えない。

 それがミユキという、なにをどうしてもかわいくしかならない女だ。


「キスくらいは……友達同士でも、フツーにする……?」

「そうそう、するする。それより早くお弁当食べなよ」


 私が急かしても、ミユキはお箸を手に持つことすらしない。

 眉の間に珍しく皺なんて寄せている。


「でもアオイ、わたし思うんだけど」


 ミユキが身を乗り出して机ごしに顔を近づけてくる。

 キスの話題が続いてるので身構えたけど、リップグロスが塗られた艶やかなくちびるは、残り六センチまで迫って止まった。


 すぐそこに澄んだ瞳。私はなにもできない。

 ミユキの吐息がくちびるを撫でた。


「友達は、ベロチューはしない」


 冗談なんて一欠片もない言葉。澄みきったまなざし。


 なにか言い返したいのに、ごまかし以外の言葉は浮かんでこない。ごまかすなんてあり得ないのに。


 黙ったままの私へさらに言う。


「去年のクリスマスイブ。イルミネーションをふたりで見て回って、誰もいない夜の公園のベンチに並んで座って、缶コーヒーでちょっと温まって」


 ミユキの好きなカフェオレが売り切れで、いつもと違う缶をぶつくさ言いながら口に付けた。

 意外に気に入ってご機嫌な笑顔になったのを、いつもながらかわいいと思ったものだ。


 目の前のミユキがさらに続ける。


「最初はわたし。アオイのクリスマスプレゼントがすごくって、わたしのじゃ全然釣り合わなくって、だからお礼のチューをしたの」

「自分だってキスしたいくせにお礼はおかしいよね?」


 ちょっとだけ強ばりが取れた私が言うと、ミユキはいたずらっ子みたいな顔をした。そんなこと言っていいの?ってかんじの。


「でも、わたしよりアオイの方が、キスしたいは大きかったの。だからアオイからもキスしてくれた。ベロチューなんてびっくりだ」


 私は思わず目を逸らしてしまう。

 そこへミユキの追撃。


「ベロチューを教えてくれたのはアオイだよ? 訳わかんないわたしをリードしてくれたよね?」


 事実なのでうなずくしかない。


「アオイ。友達は、クリスマスイブの誰もいない夜の公園でベロチューはしない」


 まったくもってそのとおり。


 おそるおそるミユキを見ると、勝ち誇った満開の笑顔だ。

 悔しくってしかたないけど、いつどんな時でもこの子のことをかわいいと思ってしまう自分がいる。


 ミユキが顔を引っ込めて、イスに座りなおす。


「もう答え出てるよね?」


 勝利を確信したニコニコ顔。


 いや、勝利とか敗北とかおかしな話だよね?

 そのはずなのに、私は負け犬の顔をしていた。


 軽はずみな告白をしたミユキはダメな奴で、不意打ちを食らった私は大迷惑。

 昼休みが始まるまでそうだったのに、今の私は自分から友達の一線を越えたくせに煮え切らないダメな奴になってしまってる。


 いや、私のことはどうでもいい。


「今まで私は、ミユキのこと傷付けてたんだな」


 そうつぶやいたら、私のことが好きな女の子は驚いた顔をした。


「なんでそうなるの? 傷付くとかそんなのないけど?」

「でも……ミユキの想いに気付かないで、無神経なこと言ってたと思う。ベロチューまでしといて相変わらずの友達づらだしさ」

「それがアオイでしょ? いつものアオイがわたしの愛してるアオイだもん。ムカッはあっても傷付いたはないよ」


 ニコニコしているミユキをまぶしく感じる。

 目を背けたくなるような光ではなく、なにも考えられなくなるくらい心から惹かれる輝き。触れずにはいられない。


 だけど、だからこそ……。


「ごめん、ミユキ」


 締め付けたみたいに胸が痛む。

 それでも伝えないと。


「ミユキのことは大好きだけど、恋人になれる好きだって確信できない。もし違ってたら、後からミユキを傷付けてしまう。後になるほど、深く深く……」


 言いながら心が沈んでいく。

 悲しむミユキの顔なんて想像するのもイヤだ。


「別に大丈夫だよ」


 ものすごく軽くミユキが言い放つ。


「いや、よく考えてよ、ミユキ。失敗したら取り返しがつかないんだ」

「大丈夫大丈夫。だって、わたしとアオイだよ? 失敗しても終わらないもん」

「う、うーん?」


 この女は万事軽はずみすぎる。

 先のことをちょっとは考えてほしい。


「昨日、わたしが告白したから、今朝のアオイは気まずそうだったよね?」

「実際、気まずいってもんじゃなかったよ」


 そんなのお構いなしに絡んできたのだ、この女は。


「でも、今はいつもどおり一緒にお弁当食べてる」


 ミユキが玉子焼きを口に放り込む。

 すぐに身体を揺すって喜びを伝えてきた。


「おいしーっ! やっぱりアオイの玉子焼きが一番。二番のコンビニなんてぶっちぎりだよ」


 お母さんのは四番目だとかヒドいことを前に言ってた。


 こんなふうに、私はミユキのためにお弁当を作ってきて、ミユキはそれを喜んで食べる。

 誰よりも喜んで食べてくれるので、誰のよりも愛情をこめて作った。


 愛情? それは単なる言い換えで、私達の間にあるのは友情だ。

 私はずっとそう思ってきたけど、むこうは最初から愛してるしかなかったらしい。


 想いがすれ違っていた? 衝撃的な告白かもしれない。


 だけど私は、ふたりの関係が決定的に壊れたとは思わなかった。

 あまりにもいきなりすぎて、イヤな顔はしてしまったけど。


「私達が離れるなんてあり得ないか」

「そんなのないない♪」


 気まずくなるとは思った。

 どんな顔して会えばいいんだろう?


 いつまでも一緒だと思ってるから、そんなふうに悩んだのだ。

 一週間もあれば混乱も収まって、どんな形だろうとミユキと心地いい関係に落ち着くはずだった。


「ミユキ、後悔するかもだよ?」

「しないしない。わたし、前しか見てないもん」

「いや、足元も見てくれ」


 そう言っても軽はずみな友達は聞こうとせず、相変わらずニコニコしてる。

 これからもこいつに振り回されることになるんだろうな。


「もういいよね、アオイ?」

「うん、いいぞ。これからは恋人で」

「やった~!!」


 ミユキが両手を振り上げ立ち上がった。

 そして教室の外まで聞こえる大声を出す。


「みんな~! 今日からわたし達、お付き合いはっじめま~す!」


 クラスメイトが一斉にどよめく。

 女子同士で恋人なんて、まだまだ繊細な問題なのにいきなりの大発表だ。


 どんな反応があるか心配したけど、クラスメイトたちは温かい拍手で包んでくれた。

 調子に乗ったミユキは、「ありがとー」とか言いながら教室中をハイタッチで巡っていく。


 戻ってきた時には息が弾んでいた。


「アオイ、みんな喜んでくれたよ?」

「こういう軽はずみなの、ホントやめてくれない?」


 きっちり注意したかったのに、情けない声が出てしまった。


 いつもどおりミユキは聞こうとせず、私を放置してスマホを弄りはじめる。


「なにしてんの?」


 聞いても歯を見せた笑みを向けてくるだけ。

 よく分からないけどイヤな予感がする。

 スマホを取り上げようか迷っていると、不意にミユキが声を張り上げた。


「おばさ~ん、こんにちは~!」


 スマホから聞こえる声は?


「お母さんじゃん! なにしてんの、あんた!」


 私が立ち上がるのとミユキが逃げ出すのは同時。


「おばさ~ん、やっとアオイに認めさせましたよ~」

「なにその、前から話してたみたいな言い方!?」


 ミユキ、本当に軽はずみすぎ……。

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【百合短編集】もしかすると恋のはなし いなばー @inaber

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