小夜がラブレターをもらったと、私は知っている
小夜がラブレターをもらったと、私は知っている。
だけど知らないふりを決め込んで、いつものように軽い調子で言う。
「卒業した次の日にもう会うなんて、ヘンなかんじ」
「昨日はよくお話できなかったし、じゃダメ?」
コーヒーカップを手に、小夜が少しだけ首を傾ける。
呼び出してゴメンがにじんだ表情。
この喫茶店でふたりきりのお話なんて、今まで数えきれないくらいしている。
ここはふたりともお気に入り。どちらの家からでも歩いてすぐだし、お客が少なくていつも静かだし、コーヒーが美味しいし、ケーキはもっと美味しいし。
特に用事もないのに呼び付けるなんて、お互いしょっちゅうだ。
でも今、小夜はゴメンと顔で言った。
私は小夜のことなら些細な変化も見逃さない。
髪をカットしたと気付くのは当たり前で、ヘアカラーをわずかでも変えたらすぐに褒めた。
飼い犬が死んで悲しんでいる時も、そっと声をかけ慰めて。
今も、私は小夜の異変に気付いてしまった。
私が見抜くと小夜も分かっているはず。
だから訊く。
「どうかしたの?」
小夜は微笑みを浮かべながらカップをソーサーの上に置いた。
かすかに口紅がついている。もう夜も更けているのに、わざわざ紅をさしてからここへ来たのだ。
小夜は私の問いにすぐには応えない。
きれいに伸ばされた爪先で、うなじをかいたりする。相当悩んでいる時の彼女の癖だ。
私から話を持ち出すよう仕組む子ではない。言いにくい話を自分から切り出すのが苦手な子ではある。
それでも、違う大学に行きたいと、ちゃんと自分から言ってくれていた。
私は我慢強く待った。
小夜が何かを伝えたいのなら、その口からちゃんと聞きたかったから。
「私、ラブレターをもらったの」
小夜がラブレターを手渡されたのは一瞬の出来事だったが、私はしっかり見ていたし、私が見たと小夜も知っている。
見なかったふりを決め込んだ私に、あえて小夜は打ち明け話をした。
私が伝えたかったことを受け止めて、その上で私に伝えようとしている。
私はただ、「うん」とだけ言う。
小夜が視線をコーヒーカップに落とす。
そしてぽつり。
「
と私を断じた。
確かにそうかもしれない。
自分の望みとはかけ離れたことをしたのだから。
「私なりに考えた末だよ」
「大学も?」
「うん」
小夜が顔を上げた。その瞳は潤んでいる。
「日向は私のことなら何でも分かるよね? なのに……」
涙が一粒頬を伝い落ちる。
「なんで?」
そこまで言うと、小夜は口を閉ざしてしまう。
伝えたいこと全てを言えた訳ではないが、私には伝わってきた。
小夜の想いが胸にしみてくる。
小夜から呼び出しを受けた時、私は友情の名の下に全部を誤魔化してしまおうと考えた。今までそうしてきたのだし。
だけど、小夜の涙を見た私は揺らいでしまった。
自分の想いを伝えたい。
小夜も私が伝えることを望んでいるはずだし。
そんなことをしてはいけないと、よく分かっていた。
小夜が思っている以上のことを、私は望んでいる。それを小夜は知らない。
怖い。
ふたりとも黙り込んでしまった。
沈黙が長引けば、それを破るのはどんどん難しくなるのに。
小夜がうなじへと手をやった。肩にかからない長さで切り揃えられた髪が揺れる。
小夜が今の髪型にしたのは入試当日。
それまでの長髪をばっさりと切った。赤みがかった髪も黒に戻して。
それは彼女の覚悟の表われであり、私へのシグナルだ。
私は小夜を抱きしめ、「行っておいで」と彼女にだけ聞こえる声で伝えた。
小夜はうなずいて、無事に合格した。
あの時、小夜は髪とともに想いを彼方へと流し去ったのだ。私はそう受け取った。
お互いの中にあった僅かな未練も、私がラブレターを見過ごしたことで胸の奥に仕舞えたはず。
なのに、小夜はなお想いを伝えようとした。
彼女のその純粋な想いに応えられるほど、私のものは清くないのに。
と、鐘の音がした。
機械式の掛け時計が時を報せたのだ。
「十時」
小夜がこぼす。
「あ……門限だね。早く帰らないと」
そう小夜を促しながら、私は酷く落ち込んでいった。
こんな中途半端な別れ方をしてはもうふたりは終わりだ。
小夜は伝えようとしてくれたのに、私はうまく返せなかった。
誤魔化しを言った方がよほどましだ。少なくとも「友達」で居られたはず。
そこへ小夜が、思いの他明るい声で告げた。
「今日は大丈夫なの」
「……なんで?」
そんなことは今まで一度もない。
小夜は大事に育てられた子だから。
「今日は日向の家へ泊まるって言ってある」
「……え?」
お泊まりなんて一度も許してもらえなかったのに?
門限やら外泊禁止やら。そういった煩わしいものが、私にとっては最後の砦。
それらを都合のいい言い訳にして、これまでかろうじて踏みとどまってきた。
私の穢れた部分を、小夜に晒さずに済んだ。
「泊まるのは、日向の家じゃなくてもいいよ」
「いや……意味分かってる?」
小夜はいつもどおり、清らかな笑みを見せてくれている。
だけど、言ってることがおかしい。
私は小夜のことなら何でも分かるはずなのに、今の小夜が何を考えているのかまるで分からなかった。
余計な願望が、私の目を曇らせている。
「日向は、私のことなら何でも分かるよね?」
私はうなずくことができない。ただただ狼狽していた。
小夜が朗らかに続ける。
「私だって、日向のことが分かるんだよ?」
「そうなの?」
それはそうだ。でないと、ふたりのこれまではなかっただろう。
私は今になってそう気付き、途端に恐ろしくなった。
知られてはいけないところまで、知られているかもしれないから。
そんなふうに乱れている私の心を知ってか知らずか、小夜は相変わらずにこにこと言葉を続ける。
「十時が賭けだったの」
「……賭けって?」
「私の門限に気付かないくらい、日向は悩んでくれた。いつもみたいに冗談にはしないで」
小夜がピンッと指先でコーヒーカップを弾く。
「日向は自分の望みを私に伝えようか悩んでくれた。今までずっと、隠してたのに」
「私に……望みなんてないよ?」
かろうじて白々しい嘘をつく。
小夜は強い眼差しを私に向けてきた。
「それでいいの? ホントは伝えたいのに」
「伝えるなんて……できないよ」
小夜は私の望みに気付いている。
だけど、だからといって、伝える訳にはいかない。そんなことをすれば、ふたりのすれ違いが明らかになって全部が終わる。
私は下唇を噛んで黙り込んだ。
小夜が弱々しい声でつぶやく。
「ゴメンね、今まで日向の望みに気付けなくて。昨日、日向がラブレターから目を背けた時にようやく気付けたの。とても、悔しそうな表情だった」
そんな顔をしていたのか。確かに悔しかった。あんなふうに自分の想いを形にして小夜に手渡せたらどんなにいいか。
形にするどころか口にしてもいけない。私の望みはそういうものだ。小夜の想いを穢して傷付けるだけ。
「日向、私を見て?」
いつの間にかうつむいていた。言われるままに顔を上げ、正面の小夜と目を合わせる。私が焦がれている相手。
小夜は引き締めた表情でゆっくりと言う。
「日向が私を求めてるなら……それに応えたい。だって、私は日向を愛してるから」
「ダメだよ、そんなの……」
私の情けない声を、小夜は顔を左右に振って打ち消す。
そして静かに席を立つ。一歩、二歩、私の方へ。
どうか近付かないでと強く願う。今は堪えられそうにないから。
自分の顔の強ばりをどうしようもできなくて、それが恥ずかしくて。
「怖がらないで、日向」
小夜が真っ白い滑らかな手で私の左頬を撫でる。次いで右頬。
私はどこまでも臆病になっていた。いいや、今までずっと臆病だった。
だけど小夜に触れてもらい、私の強ばりは解れていく。
思えば、小夜には今までずっと癒されてきた。だから私は……。
小夜が私の両頬に手を添えた。ためらいなく整った顔を寄せてくる。まぶたを閉じたのでそれに倣う。口先に接する柔らかな唇。離れ際に吐息がかかる。
小夜は頬を桃のように赤く染めていた。
口元を緩めて言う。
「私も怖いの」
今、ふたりはとても不安定な場所にいる。
小夜がこの場所まで
小夜は信じてくれている。ふたりは何があっても揺るがないと。
私はそこまで信じていた? 透き通るくらい清らかな小夜だからこそ、私を受け容れてくれるはずなのに。
ここから先へは私の言葉で進まないといけない。
想いを伝えなくては。
「私は小夜を愛してる」
「うん」
「今すぐ小夜が欲しい」
「ありがとう」
小夜が人差し指で私の唇を撫でる。
初めて目にする艶のある笑みを浮かべて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます