もうすぐお別れのバレンタインデー
「お願い!
『ヤダよ。メンドくさい』
私の必死の願いを簡単に却下する親友。こちとらハンズフリーにしたスマホの前で土下座までしているというのに。
こいつはこういう奴なんだ。でも今は真魚の助けが必要だった。なにしろ私は料理ができない。
「なんでも言うこと聞くから! だからチョコトリュフの作り方を伝授して!」
『ネットで調べろ』
「既に試しました。そして失敗しました」
無残な茶色いゴミを作ってしまった。今さっきまでお母さんに怒られていたのは真魚には内緒だ。
『じゃあ、諦めろ』
「私達、高校三年なんだよ? このバレンタインを逃したらもう卒業。想いを伝えられないままお別れなんて……」
『熊井なんてやめとけって。前から言ってるけど』
「なんでそうやっていっつも反対するのさ?」
『奈津子には無理めだからに決まってんじゃん。それに、三年間なんのアクションも起こせなかったくせに、今さら告っても向こうも迷惑だっての』
「そんなの分かってるよ。でも……でも気持ちの区切りが欲しいの。このまま終わるなんてイヤだよ……」
『あーもー、泣くなって』
「だって……」
悲しい気持ちがあふれてきて、どうしても声が震えてしまう。真魚を困らせたくはないけれど、自分でもこの気持ちをどうしたらいいか分からなかった。
『分かった。分かりました。じゃあ、今からそっち行くから』
「ありがとう! 真魚!」
『はぁ……去年チョコトリュフなんてあげるんじゃなかったよ』
小一時間して真魚が自転車に乗ってやってきた。どこまでも色気のない彼女はいつも通りブーツカットのジーンズ。ヘルメットを外して長い黒髪をかき上げた。
この艶やかな長髪はいつ見ても性格と合っていない。故に、勘違いをした男子に告白されたことも一度や二度ならず……。べ、別にうらやましくなんてないんだから!
「久し振り、真魚。登校日以来だね」
「だな。奈津子とこんなに顔合わさないってのも不思議なかんじだよ」
今までは夏休みでも同じバイトをしたりずっと一緒にいた。でもこの冬はお互い受験だったりで、会う機会を逃し続けていたのだ。
とにかく真魚を家に上げてキッチンに案内した。材料はたくさん買っておいたので、まだまだ十分な量が残っている。
「ていうか、なんで奈津子部屋着じゃないの?」
今の私はピンクのセーターに白いロングスカート。どちらもお気に入りだ。
「やっぱり気合い入れて作らないと。まずは形から」
「汚れても知らないから」
まぁ、エプロンするし大丈夫でしょ? それよりも気持ちが大事なのだ。部屋着のスウェットは楽だが、そんなの着てたら私の念がチョコに籠もらない。
よし、手作りチョコだ。まずは板チョコを包丁で細かく切り刻んでいくところから始める。
「危なっかしいなぁ。変わろうか?」
「ダメ。全部私がしないと意味ないじゃん」
「指切るなよ? 血入りのチョコとか黒魔術的だ」
「あっ! それいいかも!」
「ダメ!」
どうにか真魚の指導の下、チョコ作りは進んでいく。真魚は男みたいな性格のくせに料理の腕前はなかなかのものだ。彼女が作ったお弁当のおかずをもらうのが昼食時の楽しみだった。見た目的に私の方こそ手作り弁当を作りそうだとはよく言われたが、私はずっとお母さんに頼りきりです。はい。
さて、ラップでチョコをくるんでいくか。
「熊井なぁ、三年もよく気持ちが続くもんだ」
「一途でしょ?」
「執念深いんだよね。さっさと諦めたら楽なのに」
「酷いなぁ。でもなんだかんだで最後は応援してくれるよね、真魚は」
私が熊井君に恋したのは一年の初め。ほとんど一目惚れだった。以降ずっと彼を追い続けている。
なんとかアクションを起こしたいができない私。真魚は基本そんな私に冷淡だが、嫌々ながらも私の愚痴を聞いてくれ、時には見かねて接近策を企画してくれた。いい親友だ。
「さっさと玉砕した方が奈津子のためだからね。なのに、最後の最後でヘタれるんだよ。デートのセッティングしてやったのに、当日に風邪とか」
「風邪とヘタレは関係ないでしょ? あの時だって私は行くつもりだったんだよ。それを止めたのは真魚だった」
「あんなけ熱出してたら止めるだろ? まったくいい加減、諦めろよなぁ……」
深いため息なんてつかれてしまう。自分でも未練がましいのは自覚してるよ。
「これが最後だから。明日のバレンタインデー。今度こそ彼に告白するの」
「また失敗した挙げ句、卒業式でもぐだぐだ言いそうだ」
「その言い方酷くない?」
真魚の奴を睨み付けてやるが、向こうは軽く肩をすくめる程度。しかし今の私は教えを請う立場。ここで喧嘩はマズかった。
「まぁ、頑張ればいいよ。失敗しても、私の胸はいつでも空けておくから」
そう言って、私の頭を撫でてくれる。優しい。
「はぁ、卒業するのが憂鬱だな。真魚とは大学別だし、これから誰を頼ればいいのやら……」
「自立のチャンスなんだよ。私だって、いつまでも奈津子の面倒見るのはうんざりだ。なにせ、中学以来なんだから」
「ホントにうんざり?」
弱々しい目で真魚を見上げてしまう。確かに私は依存しすぎていたように思うのだ。登下校、お昼、部活、バイト、全部一緒だった。真魚に頼っていれば私は楽だったけど、彼女にしてみれば私はお荷物なだけだった?
「そんな訳ないじゃん。奈津子といるのは楽しかったよ。しょっちゅう何かやらかして、見てて飽きない奴だよね」
「珍獣扱いですか?」
「パジャマで学校行こうとしたのは笑えた。家まで誘いにいったらパジャマで鞄持って出てくるんだから」
「うっ、あの時は寝ぼけてたんだよ。あんなのたったの三回だけじゃない」
「いや、四回だし。そんなけやらかしたら十分だよ。私がいなかったら、あのまま電車に乗り込んでたぞ? そんなんばっかりだ」
「うー」
「そんな奈津子が私は大好き」
にっこり笑顔を向けてくる。そうか、私達なりにいい関係だったのかな? それももうすぐ終わってしまう。四月からは別々なんだ……。
「え? なんでそこで泣くの?」
真魚がぎょっとした顔で私を下から覗き込んでくる。いつの間にか私の目から涙がこぼれてしまっていた。
「だって……」
「バカ、これからもいつだって会えるよ。大学はきっと面白いって。熊井なんてメじゃないいい男が一杯いるに違いないから」
「何その、振られるのが前提みたいな言い方」
私が口を尖らせると、真魚は私の目尻に指を当てて涙を拭ってくれた。
「泣くな、奈津子。泣くのは振られた後にしろ」
「だからなんで振られるの前提なのさ」
私が思わず笑ってしまうと、真魚も応えるように笑みを見せた。
真魚が私の手元に目をやる。
「よし、できたな」
「うん、できた」
ちょっと歪な、でも愛情たっぷりなチョコトリュフができ上がった。
熊井君の家は電車で三駅のところにある。住所については既に調べがついているのだ。真魚の調査能力を侮ってはいけない。
「ていうか、なんで私まで付いてかないといけないのさ」
「いいじゃない。一人でなんて絶対ムリなんだから」
ぶつくさ言いながらも真魚は後ろから付いてきてくれている。この辺りは住宅街。熊井君の家も一軒家で、この角を曲がったところにある。ストリートビューでチェック済みだ。
と、熊井君の家の前に誰か立っていた。高校生くらいの……女子?
「あちゃー、先越されたな」
道の角に隠れた私の後ろから、向こうを覗いて真魚が言う。
「どうしよ……」
「行っちゃいなよ」
「ムリムリムリ! 喧嘩とかムリ」
「いや、喧嘩しなくてもいいと思うけど。……あ、出てきた」
熊井君が門から道に出てきた。挙動不審気味な女子は、後ろ手にチョコらしき箱を持っている。そんな様子を遠くから眺めているだけなんて、なんだかみじめな気分になってくる。
ついに覚悟を決めたらしく、女子が箱を熊井君に突き出した。まるでオヤジの仇をドスで刺す任侠の人みたいな鋭さで。
熊井君は、それを……受け取った。
胸が苦しくなってくる。失望? 焦り? よく分からない感情がいくつも同時に沸き起こって私の胸を責めさいなむ。
「おい、奈津子も行けよ」
「ムリだよ……」
「また、そんなんだろ? あ、ヤバい!」
「え?」
女子はすぐには立ち去らず、両手を胸の前にやってうつむいていた。不意に顔を上げる。
ここまで聞こえてしまった。彼女の想いが聞こえてしまった。
「行けよ、奈津子! 行かないとマズいって!」
「ムリ……ムリだよ……」
私はどうしても足を前へやることができなかった。ただ、熊井君を見つめるしかできない。彼は……彼は、彼女の想いにどう答えるの?
ほんの数秒がとても長いものに感じられる。胸が締め付けられるような時間は彼がうなずくまで続いた。
……うなずいた? え?
「あーあ……」
真魚の手が私の肩に置かれた。目の前の出来事をすぐには受け入れられない。
涙を流しているらしい女子の頭を、優しく、優しく熊井君が撫でている。
顔を上げた彼女の表情が見えてしまう。彼女は輝くような笑顔で熊井君を見上げていた。それに応えて彼も笑顔を見せる。
「ヤバい! こっち来る!」
真魚が私の肩を引く。
二人並んでこっちに向かって歩き始めた。今すぐ逃げないと。そう理解はしていたが、やっぱり私は身動きできない。
「来いって、奈津子!」
真魚に手を強く引っ張られ、ようやく私の足は動いた。
知らない街をしばらく走り、息が切れてきた辺りで立ち止まる。
ようやく何が起こったのか飲み込めてきた。熊井君は告白されて、それを受け入れたのだ。私は、告白どころかチョコ一つ渡せないまま失恋してしまった。
「なんで笑ってんの?」
真魚に言われて自分が笑い声を出していると気付いた。自分でもなぜだか分からない。
そのうち胸がきゅうと締まった。嗚咽に変わった声を止められないまま、涙が流れ出ていく。
そんなどうしようもない感情に押し流されている私の頭をぎゅっと真魚が胸に抱える。
「泣いちゃえ泣いちゃえ、洗い流しちゃえ」
彼女の声も上ずっている。
そのまま真魚の胸の中で泣き続けた。彼女の胸の中は温かく、安心できる。
こうやって真魚の胸の中で泣くことはよくあった。泣き虫な私をいつも真魚は受け入れてくれる。今もまた、ばらばらになりそうな私の心を包み込んで守ってくれていた。
そうしているうちにようやく気分が落ち着いてくる。どうにか真魚から身体を離した。
「ありがと、真魚。いつも、ありがと」
「うん。もういいか?」
鼻の頭を赤くした真魚が自分の目を袖口で拭う。私も自分のハンカチで涙を拭く。ハンカチに付いたファンデーションを見ていると、わざわざ化粧までした自分が滑稽に思えてきた。
「ふふ……」
「どうした?」
「バカみたい、私……。今まで何にもしなくて最後の最後でうまくいくなんて、そんな都合のいい話なんてないよね?」
「でも頑張ったじゃん。今までも頑張ってたよ」
「ありがと……」
顔を上げると真魚が優しく微笑んでくれていた。その笑顔を見ているだけで、私の心の痛みは小さくなっていく。
「さぁ、帰ろうよ」
真魚が背を向けて歩き始めたので、私はその隣に並んで彼女の左手に腕を絡ませた。
「また甘えて」
「しばらくこうさせてよ」
真魚の肩に頭をもたせかける。そうしても彼女は何も言わなかった。心地良い時間が流れる。
そう、いつも私の隣には真魚がいてくれた。私のくだらない歎きを馬鹿にしつつも聞いてくれた。すがり付いたら助けてくれた。今だって私のために一緒に泣いてくれていた。
「ありがと、ホントにありがと、真魚」
「水臭いよ、奈津子」
照れくさそうにまだ赤い鼻の頭をかく真魚。
ああ、この子から離れたくない。私の隣から彼女がいなくなるなんて考えられない。でも、私達は高校を卒業したら別々の大学に行く。そしたらもう、真魚とは一緒にいられないんだ。
「おい、まだ泣くのかよ」
そう言われてまた自分が涙を流していると気付く。
今、私の胸はさっきまでよりずっと強い痛みに襲われていた。胸の奥の方が強く締め付けられる。
「イヤだよ……イヤなんだよ……」
「もう諦めろよ。熊井はさっきの子の気持ちを受け止めたんだ」
「違うよ。真魚と離れ離れになるのがイヤなんだよ。また私が誰かを好きになったらどうするの? 誰が私の愚痴を聞いてくれるの? デートのセッティングをしてくれるの? 失恋した時、一緒に泣いてくれるの? イヤだよ、真魚がいなくなるなんてイヤだよ」
その場にヒザを付いて泣きじゃくってしまう。こんな我が儘言っても始まらない。それは分かっていたが、言わずにはいられなかった。
「バカ、私達はずっと一緒だよ」
真魚が私の前に座り込んで頭を撫でてくれた。真魚はいつもこうやって私の機嫌を取る。
「でも、違う学校に行っちゃうんだ」
「だからどうした。何かあったらいつでも呼べよ。すぐに駆け付けてやる。愚痴だって聞いてやる。デートのセッティングもしてやる。失恋したら一緒に泣いてやる。いつでも呼べよ。私はいつまでも奈津子が一番大事。全部放ったらかしにして駆け付けてやる」
「ホントに?」
「ホント。私が今まで約束破ったことあるか?」
「ない。私が約束破りをするのはしょっちゅうだけど」
「だろ?」
真魚が笑みを向けてくれる。そうしてくれると私の心の痛みは和らいだ。失恋よりつらい、親友との別離。私はどうにか乗り切れそう?
「じゃあ、これからもよろしく?」
「そうだよ、これからもよろしくだよ」
私は身体を前に倒して真魚に抱き付いた。よろめいた彼女は地面にお尻をつける。でも、私は離さない。
「やめろって、奈津子」
「真魚、ずっと一緒だよ」
「分かった分かった」
真魚も私の背中に手を回した。そしてまた頭を撫でてくれる。
そのままずっと私達は抱き合ったままでいた。こうして真魚の香りに包まれていると安らぐ。いつの間にか涙は止まっていた。
そう、私達が離れるなんてあり得ない。なんで離れるなんて考えてしまったんだろう。私達はずっと親友。私が面倒かける方が多いだろうけど、これからも楽しくやっていく。中学に入って隣の席になって以来ずっと一緒の仲なのだ。これからも私達は変わらない。
「気が済んだ、奈津子?」
「……うん」
私はずっとこうしていたかったけど、いつまでも真魚に甘えてばかりもいられない。真魚から身体を離し、立ち上がった。
そして真魚に声をかける。
「でも、全部今までどおりってわけにはいかないよね?」
「まぁ、そうかも」
真魚も立ってお尻を払った。
「私もちょっとは自立するよ」
「そうしてくれると助かる。パジャマのまま学校行くとかはやめとけよ?」
「う、それは言わないでよ」
少しすねてみせると真魚は意地悪げな笑みを向けてきた。
そう、私達の関係は変わらない。でも、私は変わらないといけないのだ。いつまでも真魚に頼り切りなんて、そんなのダメだ。
「それでも助けて欲しい時はいつでも言ってよ。それこそ遠慮なしに」
「うん、親友相手に遠慮なんてしないよ」
「まぁ、すぐに次の恋なんて勘弁だけどね。奈津子の恋は面倒すぎる」
「違いない」
二人で笑い合う。
もう私は大丈夫だ。なんの憂いもなく新しい大学生活を受け入れられる。そうか、また真魚に助けてもらったのか。いつものことだな。
ここで一つ思い出したことがある。
「あ、そうだ。私、なんでも言うこと聞くって言ったよね、チョコ作り教えてもらう時」
「そうだっけ? 別にいいよ、うまくいかなかったんだし」
「ダメだって。なんでも言ってよ、なんでも言うこと聞くし」
「そうか?」
真魚が思案げに首を傾げた。まぁ、今すぐでなくてもいいんだけど。
「じゃあさ、目を閉じてくんない?」
そんなことを言ってきた。
「何それ? まぁいいけどさ」
とりあえず言われたとおり、目を閉じた。
そのまま待っていたが、何も言ってこないし、何もしてこない。我慢強く待つが、さすがに何をしてくるのか不安になってくる。
「真魚?」
「あっ」
予想外に近いところから真魚の声が聞こえた。今にも接しそうな距離だ。
「え? どうしたの?」
「……あ、もういいよ、目を開けて」
言われて目を開くと、真魚はもう離れたところにいた。笑顔だけど、泣きそうな顔にもなぜだか見える。
「どうした?」
「ん? 別に。それよりこれ」
真魚が手渡してきたのは小さな箱。
「友チョコ、いつもの」
「あれ? 私がもらう立場? 真魚の言うこと聞く立場なんだけど」
「そうか、そうだったな。じゃあ、あれくれよ。あいつに渡すはずだったチョコ」
真魚が私のカバンを指さした。
「他人に渡すはずだったチョコなんてもらってどうすんの?」
「いいじゃん、私も手伝ったのにもったいないだろ?」
「まぁ、処分に困るところではあるんだけど……。真魚に渡すチョコは用意するの忘れてたし」
「じゃあ、くれよ。それが私への友チョコ」
「うん、分かった」
カバンから熊井君に渡すはずだったチョコを取り出した。まだ少し未練を感じてしまう。自分で食べるなんてしないで真魚に引き取ってもらった方が気が楽かも知れない。ありがたい。ありがたい親友だ。
「はい、これ。味わって食べてね、苦労して作ったんだし」
「そうだな、奈津子の愛情が込められてるもんな」
私からチョコの箱を受け取ると、なんだかうれしそうな笑みを見せた。
「はぁ、愛情なぁ……。まだまだショックは消えないね」
「駅前にカラオケ屋あったろ? 歌ってこうよ」
「付き合ってくれると助かるよ」
真魚がこちらに向かって手を伸ばしてきたのでその手を握る。
握り返してきた彼女の力はいつもより強い気がした。
彼女の視線を感じたので私も目を向ける。
真魚は少し悲しげな表情をしていた。
「私だったらこんな思いはさせないのに」
「真魚だったらいい彼氏になってくれそうだ」
「バカなこと言っちゃった」
真魚が顔を前にやって鼻をすすった。
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