小野寺小雪が疎ましい、のに

 私はモノトーンの世界に生きている。


 目にするすべてに色彩というものを感じない。


 だけど、私はこのモノトーンの世界が気に入っている。

 凪のように静かな世界。


 だから、小野寺小雪が疎ましい。


 彼女はいつもキラキラしているから。

 近くにいるとハレーションを起こして何も見えなくなる。




 チャイムが鳴ってしばらくして、小雪の唄声が聞こえてきた。


「お弁当♪ あ、お弁当♪ 楽しい楽しいお昼ご飯♪」


 明らかに近付いてきているが、私は気付かないふりを決め込む。


「おととゴメン、悟君。えへへ、お弁当の舞に夢中になってたよ」


 いつものようにクラスメイトにぶつかりかけた様子。

 これで止めればいいようなものを。


「今日もありがとお母さん♪ 嫌いなものは勘弁よ♪」

 

 謎の唄はまだまだ続いた。

 もうすぐ側まで来ているが、私は温かく迎え入れたりはしない。


 私は相手にしたくないのに向こうは近寄ってくる。

 ふたりには――共通の友達がいるからだ。


紗央さおっ! もうお昼休みだよ?」


 いつも朗らかな加奈子が声をかけてくる。

 何も書かれていない紙のように真っ白い彼女は、私にとって心地いい存在。


「そうなんだ」


 私は授業の間も読みふけっていた本を閉じた。


「そうなんだ、じゃなく。そんなんでよく赤点取らないね?」

「赤点どころか、加奈子なんか足で踏ん付けちゃうくらい成績いいよね、紗央さん」


 お弁当袋を提げた小雪が言う。


「踏ん付けちゃうはいいすぎだ!」


 ぷくっと片頬を膨らませてみせる加奈子。かわいらしい。

 私が両肩をすくめてみせると、加奈子は頬の空気を吐き出した。


「もういいや。お昼食べよう、紗央」


 前の席の持ち主に断りを入れてから、机を反転させて私のにくっつけてくる。


「私、ひとりで食べたいんだけど」


 と、希望を述べても加奈子は首を横に振る。


「ひとりだと小説読みながら食べるでしょ? あれ、お行儀悪いんだから。さ、小雪も座った座った」


 隣から椅子を引っ張ってきてポンポンと叩く加奈子。


「私も一緒していいかな、紗央さん?」

「うん……まぁ……」


 ここで私が断ったら悪者みたいになる。

 それを分かって言っているのだろうか?


 いいや、小雪はそういう底意地の悪いことはしない。

 それは分かってるけど。


「ほら、小雪座る。紗央お弁当出す。私さっそく食べ始める」


 加奈子は言い終わるとすぐにハンバーグを口にした。

 メインのおかずにまず手を付けるのがこの女だ。


「おいしひ~」


 感動の悲鳴を上げる加奈子。


「おばさんのハンバーグは絶品だものね」


 お弁当を机の上に出した私が言う。

 私がモノトーンの世界に生きるようになる前、小中学生の頃、加奈子の家にお泊まりをしては色々とごちそうになったものだ。


「へぇ、ちょっとちょうだいよ。てか、獲る!」


 小雪がいきなり加奈子のお弁当箱の中にお箸を突っ込む。


「あっ! こらーっ!」


 加奈子が拳でポカポカと叩いても気にせずに、小雪はハンバーグを切り取って自分のものとした。


「ハンバーグ~♪ ハンバーグ~♪」


 身体をリズムに乗せて揺すりながら強奪品を口へと運ぶ。

 口に放り込んだ途端に目を大きく見開いた。


「おいひ~!」

「でしょ?」


 得意げに平らな胸を張る加奈子。


 私はそんな騒々しいやり取りを放っておいて、自分のおかずを口にする。

 カボチャの煮物、今日もうまくできた。


「紗央さんって、自分で作ってくるんだよね?」


 小雪が介入してくる。

 相手をしたくないが、ここで無視も感じが悪い。

 「うん」とだけ答える。


「紗央の料理もなかなかのもんだから。小雪、なんかもらいなよ」

「はあ?」


 しまった、思わず声に出してしまった。


「それは悪いよ。やめとく」


 小雪はちょっと気まずそうな表情。

 そうさせたのは私だ。


「いいじゃない、もらいなよ。紗央も小雪を餌付けしよう?」


 と、加奈子が首を傾けて私に提案を押し付けてくる。


 こうやって、私と小雪の仲を取り持とうというのだ。

 その気遣いはありがたいと思うけど……迷惑でもある。


「まぁ……別にいいけど」


 私は屈した。

 お弁当箱を小雪の方へと押しやる。


「ホントにいいの!?」


 そう言う小雪の目はキラキラと輝いていて。


「どれでもどうぞ」

「カボチャがオススメだよ」

「じゃ、カボチャをっ」


 うれしそうに頭を左右に揺すりながら、カボチャの欠片を持っていく。

 そして大げさなくらい大口を開けて、それを口に放り込んだ。


「おいしいっ!」

「でっしょお?」


 私の代わりに加奈子が自慢げに言う。


「すごいよ、紗央さん! 私のお母さんのよりおいしいっ!」

「すごいって程じゃないよ」


 小雪に褒められて戸惑ってしまう。


 と、小雪が自分のお弁当箱をこっちに突き出してきた。


「カボチャの代わりになんか取って? 紗央さん程はおいしくないかもだけど」

「いいよ。気にしないで」


 私が拒絶しても小雪は引っ込めようとしない。

 どうしたものかと思っていると、加奈子が助け船。


「いいじゃない、小雪は素直に餌付けされてたら。てか、さっきからお母さんに失礼だぞ!」


 加奈子が指二本でもって小雪の額を突く。

 「くはぁっ!」と大ダメージを受けた後、小雪がまたこっちに顔を向けた。


「じゃあ、またなんかお返しするね」

「いいよいいよ」


 適当に応えて自分のお弁当に集中する。

 間近で彼女の顔なんて見ていられない。眩しすぎる笑顔なんて。






 私はいわゆる帰宅部だ。

 とはいえ、授業が終わるとすぐに帰るわけではない。

 大抵図書室で数時間過ごす。

 退屈な滑り止めの高校で、唯一気に入っているのが蔵書の多い図書室だ。


 本はいい。白地に黒い文字。モノトーン。私によく合っている。

 今日は日の当たる席でのんびりと小説を読んで過ごす。

 そろそろ温かい日も増えてきた。……もう一年経つのか。




 そして図書室を出たのは十六時前。

 日が傾いてきたという頃合い。


 昇降口にたどり着いて驚いた。

 小雪が下駄箱の横にもたれかかって立っていたのだ。


「あ、紗央さん。今帰り?」

「うん……まぁ」


 彼女の笑みを直視しそうになって目を逸らす。

 不意を打たれた。危ないところだ。


 と、小雪がぴょんと私の方へ跳ね、前屈みになって見上げてきた。


「ねぇ、一緒に帰っていいかな?」

「わ、私と?」


 思いがけない提案に戸惑ってしまう。

 加奈子がいないのにそんなのはあり得ない。


「というより、誰か待ってたんじゃないの? その人と帰りなよ」

「うん、その人と帰りたいんだ」


 自分の胸の高さまで持ってきた右手で私を指差す。


「私を待ってたの?」

「そう。ゴメンね、迷惑かな~って思ったりもしたんだけど」


 小雪が突然身体を起こし、ビシッと背を伸ばす。


「それでも、ワタクシ小野寺小雪は、紗央さんと下校を共にしたいのであります!」


 おどけた敬礼なんてしてみせた。

 本当に嫌なら適当にかわせる言い方をわざとしている。

 でも、待っていたのに逃れるのもどうかと思った。


「……一緒に帰るくらい、いいよ」


 そう言ってしまう。


「ありがとっ!」


 突然、両手で私の手を握ってきた。


「ちょっ!」

「あ、ゴメン。思わず思わず」


 小雪はすぐに手を引っ込めると、両手を振って謝ってくる。

 油断も隙もないというか……。




 昇降口から校門までの広い道を進む間、小雪はステップを踏みながら私の周りをクルクルと回った。


「……何してるの?」


 ついに耐え切れず聞いてしまう。


「ふたりで帰るの、初めてでしょ? うれしくってさあ~」


 「ふふふ~ん♪」と鼻唄交じり。

 ついていけないテンションだ。


「別にただ帰るだけじゃない」

「あ、今日は寄り道したいんだ」


 聞いてないんだけど。


 面倒な気分が顔に出てしまったようで、小雪が慌てたように私の真ん前に寄ってくる。


「いやいや、ちょっとだから。ホントにちょっと。ちょっとだけ」

「いいよ、うん。別に嫌じゃないから」


 あまりに必死なので、気を遣って心にもないことを言う。

 彼女といると調子がおかしくなるので、早く帰りたいのが本当のところ。


「じゃあ、レッツ・ゴー!」


 小雪が私の指先を摘まんで引っ張ってきた。


「ちょっと」


 柔らかい指の感触に戸惑いながら、私は追いかけるみたいにして歩みを早めた。




 通学路から外れて歩く私と小雪。

 前を行く小雪がくるりと振り返り、後ろ歩きをする。


「危ないよ」


 そう言う私は彼女の顔を直視できない。


「危ない時は、紗央が助けてね?」

「いや、そうしないとホントに危ないし」


 しかし小雪は前を見てくれない。

 リズミカルに頭を振りつつ器用に進んでいく。

 そして楽しげな声で言う。


「ありがとうね」

「え、何の話?」

「いろいろあるけど……今日のお弁当とか」

「カボチャくらい、別にいいよ」


 言われるまで忘れていた。

 そんなにたいした話でもないと思うが。


「ごめんね」


 小雪の声が沈んだように聞こえた。

 思いがけないトーンに驚いてしまう。


「どういうこと?」

「仲良しふたりのところに割り込んじゃって。よくないかなあって思ったりもするんだ」

「よくないってことは……ないでしょ?」

「ありがとう」


 またお礼を言われた。

 割り込まれた、か……。

 続く小雪の声は元通り明るくなっていた。


「ふたりと一緒にいるの、楽しくって。一緒にいたいんだ、私」

「楽しいんだ? ……私もいるのに?」


 私こそ、ふたりが楽しくワイワイやっている空気を悪くしている。

 ふたりは気を遣ってくれるから、私の居心地が悪くなることはない。けど、そもそも……。


「私、仲良くしてる紗央と加奈子が好き。見てて楽しくなる」

「そうなんだ」

「見てるだけじゃ我慢できなくて、混ざりたくなったの。けっこー悩んだりもしたけど、結局我慢できなかったんだよね。あはは」


 照れが混じった笑い声。

 我慢できなかったせいで、私は?


「気にしなくていいよ。加奈子が楽しそうにしてると私もうれしいし」

「うん、ありがとう」


 小雪が右手で私の左手を握ってくる。さっきみたいな指先ではなく、しっかりと。

 驚いて小雪の顔を見ると、向こうは口をいっぱいに広げて明るく笑っていた。


「あれだよ! ほら!」


 小雪が左手で指差したのは、道路沿いにあるため池を囲う盛土。

 その歩道に面した土の斜面いっぱいに菜の花が咲き誇っていた。


 光に透かされた数えきれないほどの黄色い花びら。それを引き立てるように緑の茎。風で揺れて。

 鮮烈ではない。

 だけど、傾きかけた陽を浴びた花々は、間違いなく鮮やかな春の色をしていた。


 どうしようもなく胸が高鳴る。

 私はモノトーンの世界に生きているはずなのに、目の前に心を躍らせる色のある世界が広がっていた。


 そうなるのは当たり前だ。

 菜の花を背にした小雪の、陽気な笑顔を目の当たりにしたのだから。


 ようやく気付けた。

 私は――


 小野寺小雪に恋している。

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