シニヨンネット

 昼休みの賑やかな教室。

 机を挟んで向かい合う私と散葉ちるはは、同時にお昼ごはんを食べ終えた。散葉は食べるのが遅いので、私はいつも彼女に合わせている。


「ごちそうさま」

「ごちそうさま」


 ふたり揃って両手を合せてお辞儀をした。先に顔を上げると、散葉の頭の後ろにあるお団子が目に入る。今日は白いネットで包んでいた。ほの赤く染めた髪をよく引き立てる色だ。朝、そう褒めたら喜んでくれた。


 頭を起こした散葉は、自分のお弁当箱にふたをすると私のものの上に重ねてきた。私はその両方をランチバックにしまう。


「今日もおいしかったよ、公子」

「お粗末様」


 私はいつもふたり分のお弁当を作ってきていた。二年前の高校一年の時に、出会ってそう経ってないのに散葉がねだってきたのだ。この頃から髪はお団子だった。

 散葉は別に厚かましい子ではない。単に私と仲良くなりたかったから、お弁当を口実にしたのだそうだ。

 仲良くなりたいなら自分から何かを提供した方が確実に思える。けど、散葉はそうしなかった。今まで常に与えられる側だったからだろう。私もこれまで多くのものを散葉に与えてきた。それでいいと思っている。そう思わせるのが、散葉だ。


「それより、お団子が崩れかかってるよ」


 さっき見た時に気付いた。食事の時、派手に頭を振ったりしたせいかも。


「嘘嘘!」


 慌てたように散葉が頭の後ろへ手をやる。でも下手に触ると余計に崩れてしまう。


「散葉、そのまま。私がしたげる」

「ありがと」


 向けてくれた笑顔を堪能しながらその後ろに回る。いったんシニヨンネットを外し、髪は全部解こうか。この子は三つ編みを根元でぐるりと回してお団子にしていた。その三つ編みからやり直す。


 そうしながら話を切り出した。


「で、相談て?」


 昨日の夜、相談事があるとチャットで言っていたのに、今までその話をしようとしない。忘れているのだろう。散葉らしい。


「あ、そうだったね」


 と、散葉が自分のスマホを取り出す。少し操作してから見せてきた。チャットの画面だ。

 相手は私の知らない男子。内容を見ていくと、ふたりで水族館へ行こうと誘ってきていた。誘いのメッセージから散葉の返信まで七十四分。「ちょっと考えさせて」と返信している。

 その時に私に相談してきたらよさそうなものだ。でもそうしない。散葉はとっさに頭が回らない子だった。


「部活の子?」


 散葉は文芸部に所属している。貸してもらったラノベを読んでるだけらしいが。


「そう。どうしよ?」

「私も一緒に行くことにしようか?」

「お邪魔虫?」

「向こうこそお邪魔虫だと思い知らせるんだよ」

「なるほど、名案だ」


 ここで違う案を思い付く。どうせなら私もいい思いをしないと損だと気付いたのだ。鼻唄交じりに髪を仕上げていく私。


「公子、髪はどう?」

「もうすぐだよ……はい、終わり」


 ネットを元通り被せると、我ながらきれいなお団子ができ上がった。我ながら、ではないか。ただただ散葉の魅力でもってこのお団子はできている。


「ありがと」


 散葉が鏡でお団子の仕上がりを見ていく。満足してくれているようでよかった。

 それでは面倒な男子の件を片付けようか。


「自撮りしよう、散葉。ちょっと立って」

「うんっ」


 散葉がぴょこんと立ち上がる。なんでこうもナチュラルにかわいい動作ができるのだろうか? だからモテるのだ。

 散葉が私の隣に来たのでその肩を抱く。散葉は逆らわず、お団子付きの頭を私の肩に預けてきた。普段の信頼関係の成せる業だ。ざまぁ見ろ、男子ども。


「散葉のスマホで撮ろうね」

「うん。……こんな感じ?」

「もっとくっつこう」


 私は少し屈んで隣の子と頭の高さを揃えた。散葉が顔を近付けてくる。


「こう?」


 散葉のほっぺたの柔らかさを頬で感じた。肌は外気で冷やされていたが、しばらくすると体温が伝わるようになる。そうなるまで難癖を付けてシャッターを押させなかった。


「めいっぱい幸せ笑顔で」


 私が注文を付けると、スマホに映る散葉が言ったとおりの笑顔になる。口を左右に開いて、瞳を輝かせて。

 私もにんまり笑ってみせる。今の心情をそのまま露わにすればいいのだ。実にたやすい。


 そしてシャッターを押させる。撮れた画像には、天使のような女の子と平々凡々な女が映っていた。私は自分を知っているので、ふたりの容姿の落差を目の当たりにしても、劣等感なんて余計なものは湧いてこない。


「散葉、例の男子のチャットに戻って私に貸して?」

「うん」


 散葉がプライバシーの塊を簡単に私に渡す。正直、他にどんな子とどんなチャットをしているか、知りたくて堪らない。だが、今はその時ではなかった。チャットに書き込みをしていく。


「なんて書いたの?」

「こんな感じ」


 まず、例の男に向かって仲睦まじいふたりの画像を送付した。続けて、「散葉は私のもの。公子」と書いて送った。


「直球だね」

「初手で殺しにかかるのが、剣術の基本なんだよ」

「公子、剣術なんてしてないのに」


 そんなやり取りをしていると、向こうから返信が。「ごめん」とだけあった。


「殺した」


 私は心の中でカカと笑いながら散葉を見る。心優しい少女は表情を曇らせていた。この子の憂い顔はいつ見てもいい。


「散葉が気にすることはないよ。殺ったのは私だ」


 口先だけの慰めを言うと、散葉は無理をした笑顔を見せてきた。


「ありがと。いつもありがとう」


 さすがに悪いことをした気になってくる。散葉を苦しめるのは私の本意ではなかった。彼女のご機嫌を取ろう。


「今日さ、小物屋さんに寄ってかない? 新しいシニヨンネット、買ったげる」

「うんっ!」


 ここで「いいの?」とか「なんで?」とか言わないのが散葉のいいところだ。




 翌日、始業間際になって散葉が教室に入ってきた。いつものことだ。

 ニコニコ顔で私の方へ寄ってくると、くるりと顔だけ後ろに向けた。今日はお団子を、緋色のリボンが付いた黒いシニヨンネットで包んでいる。


「いいね」


 私が何万分の一かに圧縮した感想を述べると、また散葉が顔を向けてきた。相変わらずの笑顔。首から上全体で私の心を楽しませてくれる。


「選んでくれて、ありがと!」

「うん、そのお礼は昨日も聞いた」

「何回でも言いたい!」

「うん、私も何回でも聞きたいよ。でも、もう授業だ」

「残念」


 散葉が私の前の席に座る。授業中、彼女のお団子を眺めて過ごした。


 三、四時限目は家庭科の調理実習だ。私と散葉は同じ班。


「今日は頑張ってみよう、散葉!」

「う、うん。見届けて!」


 ニンジンと包丁を握りしめて言う。明らかに緊張のしすぎである。事故が心配だが、今日は見守ろうと決めていた。かわいい子には旅をさせよとかいうあれだ。

 しかし私の決心はすぐにどこかへ飛んでいってしまった。このままでは、皮むき器がニンジンの皮ごと散葉の艶やかな爪を削ってしまう。私のとは違う成分でできているに違いないあの爪を傷付けるなんて、あってはならない。


「散葉、代わろう」

「う、うん……私は、もう駄目だ……」


 蒼白な顔をして震えている。今すぐ抱きしめたかったが、クラスメイトが多くいるのでどうにか自重した。


 そして私が調理を引き継ぐ。料理はいつもしているのでたやすい作業だ。


「公子は……本当に……すごい!」


 散葉の尊敬の眼差しがくすぐったい。くすぐったいどころか、あまりにも眩しすぎて耐え切れなくなってきた。だから誤魔化しを言う。


「散葉も少しくらいできるようにならないと」

「え、何を?」


 包丁の手を止めて散葉を見ると、何を言われているのか本気で分かっていない顔をしていた。それくらい、料理――いいや、自分で何かをするということから、縁遠い子なのだ。

 それでこそ散葉。顔が綻びかけたが、どうにか踏み止まる。そして少しきついめの表情で言う。


「料理だよ。いつまでもできないじゃ、大人になってから困るよ?」

「え? 料理は公子がしてくれるじゃない」

「今はね」


 でも――と続けようとしたら散葉が言葉を被せてきた。


「ならいいじゃない」


 無邪気に笑いかけてくる、汚れなき天使。

 マズいのかもしれない。私は散葉の為ならなんでもすると決めている。それが私の喜びだからだ。散葉が駄目人間になるよう画策もしてきた。しかし、いくらなんでも、だ。


「散葉、自分で料理する気はゼロ? 一生?」

「うん。公子が作ってくれるし」

「そうなんだ……一生?」

「一生」


 私は思わず首を傾げてしまった。一生と自分で言っておいて、その言葉にまるで現実感を覚えなかったからだ。


 だって、一生だよ?


 散葉が下から顔を覗き込んでくる。いつの間にか俯いていたようだ。散葉は私の目を見た。こちらの心の奥底を見通そうとしている。そういう目だ。


「ちょっと待ってて」


 にこりと笑みを見せた後、散葉が視界から消える。顔を上げて探すと家庭科室の後ろに向かっていた。


「どうしたの?」

「ちょっと待ってて」


 振り返りもせずに応える。引き出しを開けてごそごそし始めた。


「ねぇ」


 私が一歩踏み出すと、散葉がこっちを向いた。右手に大きな裁断バサミを握って。


「あったあった!」


 いつもの眩しい笑顔。あの子が何を考えているか分からない。元々そういう子ではあるのだけれど、これからすることの考えうる可能性の中には、碌でもないのがいくつもあった。


「それは料理に使わないよ?」


 声が震えてしまっていて驚いた。散葉がぴょこぴょこと跳ぶような足取りで戻ってくる。いつもどおり、愛らしい歩み。


「料理の話なんてしてないよ?」


 散葉が不思議そうに言う。


「けど、今は調理実習の時間だし」


 自分でも場違いなことを言っている自覚はある。だけど私は、散葉がしようとしていることがまるで分からないことに、恐怖を覚えていた。恐ろしいことをされる恐怖? そんなものではない。


 私の散葉が、私のものでなくなっている?


 散葉がハサミを大きく開く。「何をする気なの?」そう聞いてしまえば私達は終わりだと思った。

 そのままハサミを頭の後ろへやる。モゾモゾと手が動く。シャキッというハサミが閉じる音。散葉が明るい笑顔になった。


「どうぞ」


 散葉が差し出してきたのは髪でできたお団子。緋色のリボンが付いたネットで覆われた。


「ありがとう」


 私は大切な人の欠片を両手で受け取る。

 散葉は、私が思っていた以上に……私の散葉だった。





 次の日、私は校門のすぐ脇で散葉を待つことにした。

 始業間際になって現われる。


「どう?」


 散葉がぴょんと跳ねて後ろを向く。乱暴に切られた髪だったのが、きれいにカットし直されていた。跳ね気味のショートカット。


「うん、いいね」


 また跳ねてこっちを向いた散葉が、もうひと跳ねして私の胸に飛び込んできた。


「ありがと!」

「ごめんね」


 気付いたらそうこぼしていた。それ以外の言葉は出てきそうにない。何がごめんなのかは自分でも分からなかった。


「ごめんね」

「泣かないで」


 散葉が私の頭を撫でてきた。それでも私は「ごめんね」を止められない。言葉だけでは足りなく思えたので散葉をぎゅっと抱きしめた。向こうも抱き返してくる。


「ごめんね、ごめんね、ごめんね」

「泣かないで、私の公子」


 散葉はいつまでも私を慰めてくれた。

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