12.溜息橋の秘密
シャクヤは少年に導かれるまま、地下牢へとやってきた。城内は不気味なほど静まり返り、無人と思われるほどだった。リョートの牢の番人と思われる男は、その場に崩れるように眠っていた。リョートとの再会を期待していたシャクヤは、暗く広い牢獄に現実を見た。リョートはすでに牢を抜け出し、西へと旅立った後だった。無人の空間は、寒く、暗く、そして何より、寂しい。シャクヤはリョートがここにいたのかと思うと、胸が痛んだ。そして今度は、自分がこの空間にお似合いだと、思った。シャクヤが牢に入ると、少年は外から鍵をかけた。がちゃり、という重く、硬質な音がした。
「刑は明日、執行されます。刑場に唯一続く橋があり、その橋はため息橋と呼ばれています」
「ため息橋?」
「はい。囚人たちが最後に見るのはその橋からの美しい光景です。そのためどんな極悪人でも、その光景に溜息をもらすことから、そのように呼ばれています」
「まあ、そうなの。天使様、リョートの身の安全を祈らせては下さいませんか?」
シャクヤがリョートの身代わりを果たすことができれば、リョートはどこかで命をつなぐことができる。大人になったリョートの顔は、コインでしか見たことはなかったが、自分でもよく似ているとシャクヤは思っていた。自分さえそそうをしなければ、リョートはこれからも生きていけるのだ。それはシャクヤにとって希望とさえ思えた。
「良いでしょう。ただそれには対価が必要です」
「何なりと」
「心臓です。貴女が死んだ後、貴女の心臓をいただいてもよろしいでしょうか?」
シャクヤの心臓が、ドクンとはねた。心臓を対価に願いを叶えるという天使を、シャクヤは聞いたことがなかった。もしかしたら、という思いが頭を過るが、ここまで来てしまった以上、頼ることができるのは、この少年だけだった。シャクヤは毅然として答えた。
「死んだ後のことです。ただ土に還るならば、リョートの為に使いたいのです」
「分かりました。リョートの身の安全を保障しましょう」
ラサルは慈悲深い笑みをたたえつつ、心の中で嘲笑していた。ラサルはその慈悲深い顔のまま簡単に嘘をつき、主を軽率に扱うことができる。人間はこの姿かたちと、この表情に、何の疑いも持たず、ラサルを天使だと思い込む。例えラサル自信が「天使」を名乗らなくとも、人々は簡単に悪魔に心臓を差し出す。シャクヤは多少警戒していたようだったが、もう牢に入れてしまえばこちらのものだ。
「ありがとうございます」
シャクヤは濡れた目で「天使」の前にひざまづいた。リョートが無事ならば、悪魔に心臓を売っても仕方がない。ただ、心と魂だけは悪魔に売り渡すつもりはなかった。
「ああ、リョートの行く先が、光で満ち溢れていますように」
シャクヤは冷たく暗い牢の中で祈り続けていた。気づくと、少年は姿を消していた。
そして、運命の夜が明けた。その日は快晴だった。明り取りの穴から一筋の光が入り、牢の中を照らしていた。埃がちらちらと輝き、美しく着飾ったシャクヤの周りを舞っていた。それはまさしく、リョート女王陛下の姿そのものだった。目覚めた牢の番人は、思わず息をのんだ。服がドレスに変わっていたことに気付かないほど、シャクヤはリョートそのものだった。その眼差しと表情は荘厳で、神々しさまで感じられるほどだ。
「リョート女王陛下……!」
門番は思わず頭を垂れて、片膝を床についていた。
「このようなことをする私をお許しください! どうか!」
「貴殿に罪はないであろうに。良かろう。許す」
シャクヤはわずかに笑んで見せた。するとそれを見た門番は突然涙をこぼし始めた。それを見たシャクヤは、リョートが本来、家臣たちにも慕われていたのだと知った。それがたまらなく嬉しかった。
昼を過ぎても、シャクヤを執行人が迎えが来ることはなかった。少年は今日がリョートの死刑執行日だと言っていた。しかし、なかなかシャクヤの番にならない。
「何故、こんなにも遅れているのか?」
シャクヤは今まで出したことのない大声で、戸の外にいる交代した牢の番人にきいた。昨日まではいなかった男だ。おそらくシャクヤを刑場まで連れて行く任を担っている。その番人が言うには、今日だけで数十人の「魔女」が処刑されるのだという。その処刑がすむまでシャクヤの番にはならないということだった。「魔女」が本来火あぶりであることは、シャクヤも知っていた。リョートは人々に人気があるため、刑の執行中に邪魔が入ったり、混乱が起きたりしないように考慮され、城につながる処刑場で首をはねられるのだろう。そう思うと、シャクヤは自分の「死」をようやく自分の物として、実感するに至った。自分が死ねば、リョートは助かる。そう思っても、やはり死ぬのは怖かった。頭でリョートのことを考えながらも、心では自分のことを想って、泣きそうになる。しかしリョートなら、虚勢であっても泣いたり震えたりしないだろう。だから、シャクヤも必死に涙をこらえた。
結局、シャクヤの番になったのは、夕方だった。シャクヤの姿に、皆が息を呑んだ。当然だ。質素な囚人服を着ていたとばかり思っていた女が、真紅のドレスと金の手袋、バンダナをして立っていたからだ。その姿はまさしく、皆に畏怖され愛されるリョート女王の姿だった。番兵がたじろぐ。しかしシャクヤの目には、リョートのような覇気がなかった。しかもリョートにあった華やかさや威厳に欠ける。本当にリョート女王か? という疑問を打ち砕くように、シャクヤは高圧的に言った。
「早く連れていくがいい」
番兵は肝を冷やしたが、もう無実の女王を殺すことでしか自分の身の安全は保障されないと悟っていた。縄や手枷を握る手に力をこめる。
「そして思い知るがよい。次に王の座についたものこそ、史上最も悪名高き王となることを!」
自分でもうまく言えたとシャクヤは思う。リョートが牢にあった紙とペンで残したものの中に、「身代わりとなるものへ」という内容の手紙があったのだ。
その中身は指南書だった。こういう場合にはこうしろ、こう言え、という具合だ。シャクヤはその指南書に従っているだけだ。まさか売春宿の寄合で覚えた文字が、こんなところで役に立つとは思わなかった。もちろん手紙が、指南書だと後から見ても分からないように、「遺書」の形をとっていた。リョートは本当に頭がきれるとシャクヤは胸の内で感嘆した。リョートの指南書は、人々の言動や反応を全て言い当て、それに対する対応が用意されていたからだ。シャクヤは執行人に引き渡され、手枷をはめられ、腰を紐でつながれ、その紐を引っ張られた。魔女狩りで最も多く行われた刑は火あぶりをはじめとする公開処刑だったが、身分に応じてリョートは個室での斬首刑と決まったらしい。公開処刑にしなかったのは、シャクヤの予想通り、リョートを助けようとする人々から処刑が邪魔されることを危惧していたからだ。リョートを慕うマスハの人々は、大臣たちの虚言をもってリョートを殺そうとしていることに、気付くに違いなかった。ただ、殺してしまえばまさに死人に口なし。死んでしまったリョートの復活を望むようなものはいないだろうし、側近たちからの説明や証言があれば、リョートの裏の顔が作られていくことになるだろう。
シャクヤは淡々と歩いた。リョートの最期に泥を塗るわけにはいかないのだ。ただ、「ため息橋で立ち止まらない」という指南書の指示には、従える自信はなかった。リョートとて、自分が築いた都を最期に見たかったはずだ。
アスコラクがラサルのたくらみに気付いたのは、シャクヤがリョートの部屋に入ってからだった。アスコラクは、腰にはいていた刀を抜き放ち、それを一振りして鎌へと変じさせた。それはアスコラクの背丈ほどもある大鎌だった。アスコラクはこの鎌を用いて罪人の首を狩るほか、空間さえも切り開くことができる。切り開かれた空間は、アスコラクが行こうと思っている所につながる。アスコラクは、大鎌を前方の空間に向かって振り下ろした。するとそこには城内の入り口が出現した。アスコラクはこの空間の切れ目からリョートの執務室に入った。そして部屋の様子からアスコラクが地下牢にたどり着いたのは、リョートの処刑日になってからだった。そしてひときわ大きい牢の中にはもう誰もいなかった。このままでは無実のシャクヤが魔女として処刑されてしまう。行先は地獄だ。もし、シャクヤが白悪魔に何かを願ったとすればその願いの対価に、白悪魔の物とされると聞く。見間違いをしていなければ、ラサルなら、十中八九心臓を要求しているだろう。アスコラクは拳を握りしめ、どう行動するのが最善なのかを考えた。そして一つの結論にたどり着き、アスコラクは自分のふがいなさに愕然とした。もう少し早く自分がこの土地に来た意味に気付いていたなら、もっと別の方法で、シャクヤを助けられたかもしれない。しかし、現在では最善策はこれ一つしかなかった。
「くそっ!」
アスコラクは苛立って赤レンガを拳で殴った。しかし後悔は先にたたない。アスコラクは一つの決意を胸に踵を返した。
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