14.研究

クランデーロは少し顔を上気させ、深く頭を下げた。クランデーロはリョートを一目見て、心をわしづかみにされた。「魔女」などというから、陰気な老婆を想像していたが、それはリョートとは真逆な先入観だった。こんなにも美しく、高貴な女性が石化魔法の「魔女」なのかと、言葉を失っていた。


「ほう、西の逸材か。優秀な弟子に恵まれて私は幸せ者だな」


リョートはクランデーロを値踏みするように眺めた。偶然にも、クランデーロの生い立ちは、リョートの生涯に似ていた。孤児であったが教会に引き取られ、学問的な才能を見いだされ、学校に入れられた。そこでも優秀な成績を収め、将来は医者として軍に尽くすことを嘱望されていた。しかし突如、東の女王の弟子としての立場を与えられるという、白羽の矢が立った。石化魔法の研究と聞いた時は、耳を疑ったが、「研究」という言葉に惹かれてその役を負う事を決意した。元々立場が弱いので、断ることも出来そうではなかった。


「よろしくお願いします」


クランデーロは顔を赤くしたまま頭を再度下げた。

リョートには外側から鍵がかかる研究室が与えられ、クランデーロはそこに毎日通うことになった。与えられた研究室は、絨毯こそなかったものの、はめごろしの窓にはカーテンがついていて、開閉は自由だった。リョートは西からは逃げられないという足元を見られていたのだが、十分な研究空間に満足していた。それはクランデーロにとっても僥倖だった。

 研究の合間に、リョートは役人の呼び出しに応じて、東側の情報を西に渡し続けた。クランデーロは初めからリョートに傾倒していた。「傾倒」という言葉が安すぎるくらい、リョートの在り方、リョートの研究に対して熱を上げていた。これ以上なく美しい存在。その美貌を何のはばかりもなく永続させようとする者。リョートの外見だけではなく、精神もクランデーロにとっては強烈だった。他の比肩すら許さない、孤高の存在。明晰な頭脳。クランデーロはリョートに対して、尊敬を通り越して、尊崇の念すら覚えていた。


「どうした、クランデーロ?」


リョートは書籍ではなく、自分を見つめたままになっているクランデーロに問う。


「リョート様は私以外にも弟子をお取りになるのでしょうか」


クランデーロは耳まで赤くして、しどろもどろに言った。


「いや、お前が西側にとって都合の良い生徒である内は、弟子の交代はないだろう。それより、今まで学んできてお前はどう思う? フィラソフが求めたものは、我々が求めるものとよく似ている。そうは思わないか?」


フィラソフとは東にいた無名に近い画家の名だ。そんな貧相な画家を、リョートは高く評価していた。それはフィラソフの関心事が、リョートと似ていたからに他ならない。


「はい。フィラソフは絵の中に永遠を求めましたが、私達は石の中にそれを求めます。絵と石の違いはあるものの、原理は同じではないでしょうか」


クランデーロは嬉しさのあまり、呼吸を忘れて知識を羅列した。リョートは満足げに頷いた。そして研究室の端にあった絵の中から、一枚の絵を取り出した。


「幸か不幸か、紛れ込んでいたよ。フィラソフの風景画だ」


それは冬の東側の川と岩山を描いた寂しげな風景画だった。リョートは心をいさめるためだとして、東の絵をいくつか研究室に運び込ませていた。リョートは東に芸術の都を築いたことから、東の絵を求めても不自然には思われなかったのだ。


「それは?」

「うん。試すにはこういった単純なものがいいと思っているんだ」


頬杖を突きながら、リョートは気だるげに言った。瞠目するのは、いつもクランデーロの方だった。リョートの考えは、いつも突拍子もない。おそらく、脳の回路が凡人とは違っているのだ。それを感じるたびに、クランデーロは不安になった。いつかリョートは自分を置いて、研究を完成させるのではないか。そうすれば、自分はもうお払い箱ではなのか。


「試すとは、まさか、この絵の中で生きると?」

「そうだ。そして永遠を手に入れる」

「しかし実験の類は禁止されています。それに最近ではリョート様の研究を邪見し、魂を抜かれて石にされるなどの噂もあります。あまり派手に動かない方が……」

「それは私も感づいているよ。だからこそ今しかないのだ。私は東側で石化魔法の魔女と恐れられた。西でも学問の質が高くないせいか、今度はそのような噂が立ち始めた。また捕まってからでは遅いのだ。クランデーロ、我が唯一の弟子よ。協力しておくれ」


リョートは椅子から立ち上がり、クランデーロに手を伸ばした。クランデーロは逡巡の末、その手の甲へ口づけをした。それは忠誠の証だった。


「フィラソフの技術は満月の光が一つの要素となっている。今宵、実験を行おう。お前には迷惑をかける。すまないな」

「いえ、そんなことは」


クランデーロは顔を赤くして答えた。リョートの願いならば、迷惑であろうはずもない。ただ、リョートとの別れがこれほど辛いものになるとは、想像もしていなかった。胸を痛めるクランデーロに、強い願望がよぎった。この師との研究成果を、誰にも見せたくないという願望だ。リョートと二人で積み上げてきた研究を、自分だけのものにしたかった。それはそのままリョートと過ごした時間の産物でもあるからだ。

この日、リョートはカーテンを開け放ち、月光を部屋の中に取り入れた。そしてその月光の先にフィラソフの絵を置き、月と絵の間に立ったリョートは、静かに歩みを進め、やがて絵の中に消えた。

 翌日クランデーロが息を切らして研究室にやってくると、文字通り、リョートは絵の中にいた。埃がちらちらと日の光に照らされて光っていた。クランデーロは絵の前で膝を折り、泣いていた。大粒の涙が出っ張った頬骨を伝い、降り始めた雨のように、ぽたぽたと音を立てていた。鼻水もそのまま垂れ流していた。


「リョート様。本当に私を置いて行ってしまわれた」


クランデーロは服が汚れてしまうのも気に留めず、涙と鼻水を袖で拭き、布でフィラソフの絵を隠した。その上で自分のバッグに絵をしまい、階段を駆け下りた。

リョートが通っていた取調室のドアを、ノックも無に開ける。そこには例の鉄を思わせる女が椅子に座っていた。クランデーロを見て眉を寄せて、書類から目をはなす。


「君、どうし……?」

「いらっしゃいません!」


女の言葉を遮るように、クランデーロは叫ぶように言った。女の顔が見る見るうちに曇っていく。


「いない、とは?」

「リョート様です。今、研究室に行ったのですが、どこを探してもリョート様がいらっしゃらないのです」

クランデーロはつばを飛ばしながら必死に訴えた。

「落ち着け」


女は慌てなかった。リョートに与えた研究室には外側から鍵がかかっているし、どうにかして窓から飛び降りたとしても、最上階から飛び降りれば、運よく助かったとしても動くことはできないだろう。今一番怪しいのは、クランデーロだ。クランデーロは明らかにリョートを敬愛している。この隙にリョートを逃がすことを考えたのかもしれない。おそらく今のクランデーロなら、リョートの頼みを二つ返事で請け負ってしまいそうな危うさがある。女はそばにいた同僚に、警備を強化し、リョートを探すように命じた。


「私も探します」

「いや、君はここに残れ。聞きたいことがある」

「私に、ですか?」

「そうだ。気分が悪いかもしれないが、そこに座りたまえ」


クランデーロは女に勧められるがままに取調室の椅子に座った。リョートに対しては北風だった女だが、クランデーロに対しては太陽のような表情を見せた。口調も声音もぬくぬくとしていた。しかし、もしもここで本当のことを言ってしまっても、人間が絵の中に消えたなど、信じることはないだろう。


「昨日は警備の者がリョートが部屋の中にいたことを確認し、外からちゃんと鍵をかけている。鍵は警備室に保管してある。君は警備員に保管室から鍵を取ってもらい、中に入った。つまり、リョートを逃がせたとすれば、君しかいない」

「私は天地神明に誓って、そのようなことはしていません」

「そうか。では、リョートが見つかるまで、お前は研究室にいろ。外に出てはならない。いいね?」

「分かりました」


自分が予想通りに疑われたのを知って、クランデーロは素直に応じた。


「連れて行け」


警備員が「は」と短く返事をして、クランデーロを歩かせ、研究室まで戻る。そこにはリョートを探そうと、数人の警備員が部屋中を探し回っていた。窓もすでに調べられたことだろう。窓ははめごろしになっていたから、そこから出るにはガラスを割るしかない。もちろんガラスには傷一つついていなかった。クランデーロは警備員と共に研究室にいて、質問に答え続けた。

 結局、リョートは見つからなかった。

政府は血眼になってリョートの所在を探したが、見つけることはできなかった。

 

◆ ◆ ◆


その後、軍医の職にあたったクランデーロは、その絵を常に持ち歩いた。しかし、二大大国期が終焉を迎え、リョートの宮殿を改築して建てられた国立美術館で、フィラソフの絵を探しているということを知ると、すぐに絵を寄贈した。それがリョートにとって一番幸せである気がしたからだ。自分がかつて収めた地で、自分の国の行く末を見守ることができる。これから先、何年も、いや、何百年先でも。

そして二大大国期から三〇〇〇年後。クランデーロは師の研究を引き継ぎ、今に至る。クランデーロが弟子を取ることはもちろん一度もなかったし、新しい師を得ようとすることもなかった。


◆ ◆ ◆











クランデーロは、師・リョートに抱いていた自分の感情の正体に気が付かなかった。




それが、恋であったと。



                  



                  『アスコラク‐聖痕の娼婦‐』了

                  『アスコラク‐時の女王‐』に続く。






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