13.弟子

 シャクヤは長い廊下を通り、何度も角を曲がった。そしてついに小さな橋の上までたどり着いた。緩やかにアーチを描くその石橋は、ちょうど真ん中、人の目の高さに小さな窓があった。人一人の顔が、やっと外をのぞけるようになっている。石橋の長さは、通常の男なら十数歩で歩ききることができるくらいしかなかった。あんなに豪華な城と殺風景な刑場が、このような形でつながっているとは思いもしなかった。行ったきり、二度と戻ることが出来ない橋だ。シャクヤは一歩一歩踏みしめるようにして歩いた。そしてただ一度だけ指南書の指示をやぶって橋の中の小窓から外を見た。シャクヤが目にしたのは、街でもなく、夕日でもなく、夕日に照らされて黄金に沈んだ町を背景にした、薄紫色の翼と大きな鎌を持った天使だった。


「まあ」


シャクヤはため息を漏らし、その天使の神々しさと気高さに、息を呑んだ。そして大鎌を持っていることから、これが自分の守護天使なのだと分かった。そしてその名の通り、この守護天使に出会ったら、人間は最期の時を迎えるのだと理解した。本当にいたのだ。シャクヤの天使は、実在したのだ。シャクヤを助けるのではなく、救うために来てくれたのだ。長い銀髪をたなびかせる天使は、泣き出しそうな、それでいて険しい複雑な表情をしていた。


「許せ」


そう言って、天使は大鎌を振り上げ、一瞬にしてシャクヤの首を切断した。ごろりとシャクヤの首が転がり、どさりと身体も倒れた。肝を冷やしたのは処刑人たちだった。処刑人たちは、シャクヤの天使の姿を見ることができなかった。だから、不意に倒れた元女王の首が橋を転がるという光景に、大きな混乱と恐怖が彼らを襲った。しかも、首は今切断されたにもかかわらず、血が一滴も流れなかった。


「これは、一体……⁉」

「ま、魔女だ! 魔女だったんだ!」

「そんな! 魔法なんて、この世にあるはずがないだろう⁉」


橋の壁にへばりつくようにして、処刑人は死体をそのままにして逃げるように駆け出した。


「早く、大臣に知らせねば!」

「大変だ。大変だ!」


処刑人たちは、狼狽し、恐怖に顔をひきつらせながら、城へと戻って行った。

しかし元々死ぬ運命にあった女だ。大臣の命によって、死体は速やかに処理された。ドレスを剥がれ、顔を潰され、誰かはもう分からないほどに死体を損壊した後のことだった。この時、シャクヤの聖痕に気付いた者があったが、口に出さなかった。彼は出来るだけ早く、この不気味な死体を処理したいということで、頭がいっぱいだったのだ。

 ここで激怒したのがラサルだった。もう少しで「聖痕の娼婦」という稀で生きが良い心臓が手に入ったところなのに、それを台無しにされたからだ。一体誰の仕業かと問わずとも、こんなことを職業にしているのは一人しかいない。アスコラクだ。


「気に食わない。主の犬めが」


セリフとは真逆の笑顔を残し、ラサルは飛び去った。


◆ ◆ ◆


 リョートは長い旅路の末に西の大国へとたどり着いた。そこで待ち受けていたのは、大量の難民申請書類だった。この書類申請は厳格で、自分の出生から現在に至るまでを述べなければならなかった。リョートはこの類の書類を侮って書くと、西では痛い目にあうことを知っていた。だからこれまで秘密にしてきた生まれも育ちも、本当のことを書いた。不思議なことに、壮絶だとばかり思っていた自分の人生が、文章にするとかなり安っぽく、作り物じみていることに気付かされる。それと同時に、やっと虚偽の人生から解放されるという思いもこみ上げてきた。リョートが東の大国でも高い位にいたことが分かると、申請は尋問に変わった。やがてリョートが反乱によって亡命してきた東の大国の女王だと知れると、西側はちょっとした騒動になった。しかし間者の報告で、リョートは東では既に処刑されたことになっていることが分かると、騒動も納まった。女王が替え玉を使って、西に来たことは明白だった。そして、東の女王は、政治的な意味においても、身体的な意味においても、東ではもう死んだことに変わりはないのだ。

 コンクリートで四方を囲まれた部屋だったが、白く着色されていることで圧迫感のない取調室だった。リョートは自分がやり残して来たものの中に、警察の資質を問うことがあったことを思いだす。椅子も座る部分が柔らかくできており、長時間聴取されていても疲れたり尻が痛くなったりしにくくなっている。しかも、リョートが女であるため、男では話しにくいこともあるという理由で取り調べする方も女だった。ここにもまだ、東が学ぶべきところが沢山あったことに気付き、悔しく思ったが、それはもうかかわりのないことだ。何と言っても、自分はもう、東では死んでいるのだから。

 金髪をポニーテイルに縛った鋭い目の取調官を見れば、かなりの手練れだと見て取れた。リョートは試に先手を打ってみた。


「死んだのは私の替え玉だ」


「それはこちらも承知している」


もちろん東では、本物のリョートが死亡したことになっている。西の取調官は眉ひとつ動かさずに言った。まるで自分の意思がない鉄の仮面をかぶったような女だった。


「取引をしよう」


「立場をわきまえろ。取引などは行わない。お前は私の問いに素直に答えていればよい」


冷たく硬い声なのに、人間味のある声だった。リョートは北風と太陽が、旅人の服を脱がせ合う童話を思い出した。おそらくこの女は、太陽と北風の二つの顔を自在に操って取り調べを行っているのだろう。


「では黙秘権を行使する。西では強制的尋問や拷問は禁止されているのだろう?」


リョートは西の諸事情にも精通していた。西では東とは異なり、体罰も禁止されている。だからいくらでも横柄な態度をとれたし、挑発もできた。


「よく知っているな。ただ、死体にかける温情などは持ち合わせていない」


鉄を思わせる女はリョートと対等に渡り合った。東ではお目にかかれなかった人材だ。


「西には良い人材がいるな。私の手札は東側の情報の全てだ。殺すにはおしかろう」


リョートも負けじと鼻で笑った。無表情のまま、取調官の女はそれを見ていた。


「私の手札を知りたくば、私に研究を許しておくれ」


リョートは粗末な服で椅子につながれても、その威光は衰えることを知らなかった。しばし取調官の女は無表情で考え込み、「分かった」と言った。それは間者の内の一人が、リョートの研究は内々に行われていた個人的な趣味のようなものであるとの情報を、もたらしていたから言えたことだった。しかもその優秀な間者は、東で言われている「魔女」というのは、ただの虚言であるとも伝えていた。つまりその間者の言う通りならば、政治的、軍事的にもその研究は利用価値のないものであり、女が独りよがりに行っている研究に過ぎないというのであった。


「東の軍備、経済情報、国の造りなど全てを話してもらう。研究というのも、続けてもらって構わない。ただし、お目付け役として一人弟子を取ってもらう」


「弟子、か。我が孤高の研究に耐えられる者など、いるのかどうか」


リョートは鼻で笑ったが、取調官は落ち着いて部屋に一つしかないドアを開けた。そこには一人の青年が立っていた。黒い髪と目を持った頬骨の出っ張った青年だ。真一文字に結んだ口が、秘密厳守主義を体現しているようだ。


「彼の名はクランデーロ。お前の研究に興味があるそうだ。生まれは裕福でなかったが、西でも成績は一、二を争う逸材だ」


リョートがクランデーロに流し目をおくると、クランデーロは一瞬、びくりと体を震わせて、顔を上気させた。その様子に、鉄仮面の女もさすがに舌打ちをした。


「案ずるな。私の前では皆、こうなるのだ」


リョートが得意げに言うと、対面したいた女は初めて私的な感情をあらわにして、リョートとクランデーロをにらんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る