7.コイン

 アスコラクはマスハで気になることを聞いた。「聖痕の娼婦」と呼ばれる娼婦が、マスハから離れた旧都にいるという。その女はこの土地の生まれではなく、美しく波打つ黒髪と灰色の目を持っているという。この土地の生まれなら、まっすぐなブロンドの髪に青い目をしているはずだ。そのため彼女の容姿はマスハでは目立つに違いない。そのため、エキゾチックなその娼婦は人気があるのだとういう。

 そしてその容姿は噂を聞く限りリョート女王に似ていた。ただ、リョートが持つ清廉潔白さと威厳に対して、その娼婦は儚さと妖艶さを持つという。その娼婦が何故有名になったかというと、額には棘冠、手には架刑、胸の下には槍の痕が付いていたためだという。噂の域を脱しないこの話に、アスコラクの心は寒風に震える木々のように、ざわめいた。何か内側から急き立てられているようだった。


「その娼婦の名は?」


苛立ったように情報を探るアスコラクに、声をかけられた男は面倒くさそうに首を振る。


「さあね。娼婦は娼婦。ただそいつは聖痕の娼婦ってだけで、いちいち娼婦の名前なんて覚えてないさ。だいたい、お互いのことをあれこれ聞くなんて、娼婦宿では野暮なことなんだ。風情がないというか、粋ではない」


男は若者の姿をしているアスコラクに対して、「これだから若い奴は」とか、「経験も常識もない」と嘆いて見せた。完全にアスコラクを見下していたが、アスコラクは構わなかった。むしろ、娼婦宿に風情とか粋とかといったものがあるのかと、疑問に思った。

 アスコラクは女性風の外見と、青年風の外見を使い分けすることができる。今回は娼婦宿の情報収集という目的だったため、青年風の外見をしていた。銀髪に青い瞳。腰まである長髪を青い布で巻いて一本に束ねている。白い洋服に青い縁取りがされていて、格好だけ見ればその酒場には不釣り合いだった。しかし銀髪に青い目がこの土地の者と同じであるためか、「変な格好」とか、「若い奴にはこんな服が流行っているのか?」とか、そんなどうでもいい感想しか持たないようだった。アスコラクの銀髪でも目立つのに、黒髪であるというその娼婦と女王は確かにこの土地の人間から見れば、エキゾチックに見えるのだろう。アスコラクの場合、貴族というより位の高い騎士に間違われることも多く、相手に警戒されやすい。それはアスコラクからにじみ出る高潔な雰囲気がそうさせているのだが、アスコラク本人は全く意識していなかった。マスハでは誰もその娼婦の名前を知らなかった。娼婦宿を利用するのは男の方が多いだろうと考えたアスコラクは、そのまま男の姿をとって、男たちが仕事を終える時間帯を狙って、酒場を渡り歩いた。そうして聞き取りを重ねていくうちに、それらしい名前を口にする者が出てきた。


「俺はその女を買ったことがあるぜ。まるでリョート女王を抱いてる気分でさ」


五軒目の酒場に着いたアスコラクは、夜も遅いのに大声で話す男と出会った。酒場にいた男は自慢げに話す。酔っているのか男の鼻息は荒かった。男は仕事の関係で旧首都に赴いた時、「聖痕の娼婦」の噂を聞き、その噂を辿って一軒の売春宿を突きとめたのだ。半信半疑で入店し、件の娼婦を指名して、やっと対面することができた。


「いやあ、驚いたね。リョート女王に瓜二つだ。しいて言えば、娼婦の方が髪が長かったくらいだ」


男はリョートの横顔が刻印された貨幣を、にやにやしながら手の中で転がす。リョート女王の髪の長さは、コインで見る限り肩にかかるくらいだが、その娼婦はアスコラクと同じくらい、つまり腰まであるということだ。


「声は小さいが鈴のように心地のいい声をしていてよ。それからな、目がうるんでいて、もう最高だった」


「で、その名は?」


我慢しきれずにアスコラクが問いただす。男はにやついた顔で、アスコラクを見た。そして、指を突出した。


「いくらで買う?」


アスコラクは初め、男が何を言っているか分からなかった。


「娼婦宿から情報を持ち出すってことは、金庫から金を持ち出すことと一緒だろうが」


それは以前、別の男が言っていたことだったのでアスコラクはうなずいた。


「情報料だよ。いくら払う?」


ここにきてやっとアスコラクは自分が置かれた状況を理解するが、気が進まなかった。「聖痕の娼婦」の話しに金銭を絡ませることが、何となく嫌だったからだ。後ろめたいといっても過言ではなかった。しかし、男は金がないなら文字通り話にならない、と言わんばかりに立ち去ろうとした。いっそのこと正体をばらしてしまおうかとも考えたが、結局アスコラクは男の言い値でその情報を買った。


「シャクヤだよ、シャクヤ。この金でまた買ってやりたいもんだぜ」


男は酔った赤ら顔で、コインの端を撫でまわしながら言った。その男の仕草に、アスコラクは怒りと同時に嫌悪感があった。


「ふざけるな」


アスコラクの怒気をはらんだ声に、男はびくりと肩を震わせた。その一言で、男の酩酊状態はすっかり抜けてしまったようだった。アスコラクが払った金でその娼婦が買われたとなれば、間接的にアスコラクがその娼婦を買ったことになる。そんなことは考えることも嫌だった。


「冗談だよ。あれは高級娼婦の域だから、そんなに買えるもんじぇないよ」


「その女は何故聖痕の娼婦と呼ばれている?」


「そりゃ、聖痕を持った娼婦だからさ」


「それは本当なのか?」


「本物だったぜ。生まれつきらしい」


親が聖痕を捏造して寄付を募ったり、聖職者が教会のはく付に利用したりして自らの子供にわざと痣をつけることはこれまで何度も見たり聞いたりしてきた。しかし本物はアスコラクでさえ見たことも聞いたこともなかった。いつもは氷のように動かないアスコラクの胸が、雨の日の水面のように波立つ。アスコラクは自分でも知らず知らずのまま、自分の胸を抑えていた。


「本物の、聖痕……」


もしも男が言っていることが本当だとしたら、その娼婦は主の現身。天から守られるべき存在だ。

男の下品な笑いに、アスコラクは吐き気をもよおした。もう少し自制心がなかったら、男を殴っていたかもしれない。それほどまでにアスコラクにとってシャクヤという女性は、大切に思われたのである。


「シャクヤ」


アスコラクはその名前を反芻した。美しい名前だ。どこかで聞いたような、聞いたことがないような気がする。アスコラクはシャクヤが勤める宿の場所を聞いたが、逢いに行く気にはならなかった。今回派遣されたのはマスハ。それにも何か必然的な事情がある気がしたからだ。例えば、首を狩る対象がマスハにいるなど。もしかしたら、シャクヤという女はマスハに来る運命なのかもしれない。アスコラクはそんな予感がして、マスハに留まることを決意した。アスコラクが街を歩いていると、街はずれの看板が風にあおられてカタカタと音を立てていた。その看板には大きな鎌と翼が描かれていた。それが売春宿の目印、つまりは商業者マークだと先ほどの男は言っていた。その目印として描かれたものこそ、アスコラク自身を表すものであるとも。つまりこの東の大国の売春婦は皆、アスコラクを守護天使にしていることになる。もちろん、シャクヤも例外ではない。


(私はシャクヤを守らねばならない、ということか? しかし何から?)


アスコラクはようやく自分が関わるべき対象を見つけたという気になっていた。

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