6.石化魔法

「それで、何故その同業者は連れていかれたんだ? 何か儀式めいたことを行っていたとか?それとも、呪文でも口にしたとか?」


シャクヤは首を振り、長く波打つ黒髪を指に絡ませた。


「何もなかったの」


「え?」


「客に嫌な思いをさせた。ただそれだけだったらしいわ。何でも娼婦の態度が気に食わなかった客が、嘘の密告を行ったらしいの。国を裏切る仲間を集めているって。ひどいことに、その娼婦は火あぶりよ」


「火あぶり?」


アパスは何かの聞き間違いだと思った。火あぶりは東の法に定められている極刑の中でも、もっとも屈辱的なものだった。ちなみに西ではもう既に廃止された極刑である。貧相な薄い服一枚で、精神的に追いやられた罪人を群衆の前で引きずり、民衆に罪状を知らしめさせる。そして、広場で柱に括りつけられ、足元に組まれた木に火が放たれる。ここで矜持を保てるものはいない。どんなに気の強い女も、権威のある紳士も、狂い、泣き叫ぶ。その姿を、民衆の見世物にされる。そして、醜く焼けただれ、この世のものとは思えない形相になり、死んでいく。その熱さ、苦しみ、恐怖、恥辱たるや他の刑が比肩するところの騒ぎではない。火をつけられた時の絶望。煙が上がってきたときの恐怖。そして、足元から自分を舐めるように這いあがってくる炎の熱と、痛み、苦しみ。手足は拘束されているため、もがくことすらできず、それらに顔を歪めながら絶命する。その形相は処刑人ですら見るに堪えないものらしい。しかし、それをまるで一種の娯楽のように見ている群衆も、狂っているとしか言いようがない。「魔女狩り」では明日は我が身であるはずなのに、それを忘れて火あぶりになっていく者を嬉々として見ているとは、一体何ごとなのか。


(民衆の心も、病んでいるのか)


「その娼婦は初めての客で、怖くなって拒んでしまった。それで腹を立てた客の男がすぐに教会に駆け込んだって言っていたわ」


「つまり、全く娼婦に非がなかったということか?」


シャクヤは二回ほどうなずき、投げ捨てるように言った。


「そうよ」


何の罪もない若い娘が、狂言で火あぶりにされる。その事実はアパスにとっては衝撃的なものだったが、思うところは別にあった。


「国はそれを黙認しているのか?」


「それは、リョート女王が、ということ?」


シャクヤの言葉に不信感と怒りがにじんでいた。アパスが黙ったことで、シャクヤははっと息をのみ、咳払いを一つしてから続けた。


「それはあり得ないわ。おそらく手が回らないほど忙しいのか、リョート女王の命に反して取締りをしていないかのどちらかよ」


「リョート女王びいきだな」


アパスは苦笑いを浮かべる。シャクヤがあんなにあからさまに、客に感情を見せるのは珍しい。


「ええ。もちろんよ」


教会はパフォーマンスとして魔女狩りの処刑を行った。処刑を祝祭とすることは、西も同じだった。しかしそれは大罪人だけで、処刑を目的化することはなかった。魔女狩りは日に日に残酷さを増している。おかしてもいない罪状が読み上げられ、人々が多く集まる広場で処刑は行われるという。聖職者のやっていることも許せない行為だが、処刑を一種の祭りとして見物に来る人々も理解できない。やはり、人々の心までもがどこかで麻痺して、おかしくなっているのだ。こんな世の中が長く続くはずはない。女王がこのことに気づいて、適切な命を下せていれば、こんな酷い状況にはならなかっただろう。それとも、本当に女王に求心力がなくなってきているのか。そうであるならば、東の大国は自然崩壊寸前だろう。


「冤罪が自白によってかき消されるということか。それはすさまじいな」


さすがのアパスも顔を歪めた。それは暗がりの中でも分かるほどに嫌悪感に満ちた声だった。


「ええ。私が心配しているのはリョート……女王の研究が、反対勢力によって魔女狩りの対象となることです」


シャクヤはこの情報をアパスに渡すことで、リョートの身を守れないかと考えていた。つまり、アパスを利用するのだ。シャクヤにできることはこれくらいが精一杯だった。リョートは即位当時、西側と和平を結べるかもしれないと期待されていた。しかし保守派の猛反対にあい、それは夢のまた夢となった。しかし西側にとってはまたとない存在であることに変わりはない。利用価値、と言ってはリョートがかわいそうだが、西側の上層部にとっては東の情報源として押さえておきたいところだろう。


「女王の研究とは?」


自分の予想通りにアパスが食いついてきたので、シャクヤは緊張した。鼓動が早くなることを悟られてはいけない、と思うと余計に体がこわばった。本当にこんなことでリョートを守れるのか。逆効果にならないのか、と一瞬迷った。しばらくの沈黙の後、シャクヤは静かに、だがはっきりと言った。


「石化魔法です」


シャクヤの告白に、アパスは絶句した。初めはシャクヤが冗談を言っているのではないかと疑ったが、よりによってシャクヤがここで悪い冗談を言うはずがない。何よりシャクヤの態度と表情が、真実だと告げていた。光が強ければ強いほど濃い影を生むように、華々しい女王に反対する勢力も大きいのだろう。しかしそれでなくても、石化魔法とは神をも恐れぬ行為ではないか。西の国でそんな行為が露呈すれば、即座に司教庁が断罪しにむかうだろう。アパスがここで心配したのは、もしも、本当に石化魔法なるものが存在したとして、その研究が軍事利用されないかということだった。魔法など、神話や伝説の登場人物が使う物だ。全ての手順を省略して、不可思議な現象を引き起こすとされている。しかし実際は全ての手順を省略することはできない。魔法に似た錬金術というものがあると聞くが、それも手順や元となる材料があって初めて成立するものだ。


「その研究とは、具体的にどんな?」


シャクヤはアパスの心配事を察して、笑いながら答えた。


「リョート女王一人でやっている研究よ。女王は弟子をとったり、自分の研究が公になったりするのが嫌いなの。石化魔法というのは、文字通り動植物を石にしてしまうというのだけれど、難しいことは私には分からないわ」


巷でリョートが「石化の魔女」と最近呼ばれ出したのを知ったのは、やはりシャクヤが売春宿の寄合に出た時だった。それ以来リョートの研究について情報を集めようとしたのだが、最下層に漏れ出て聞こえてくるのは、どれも信憑性が薄いものだった。例えばリョートに触れると石になるとか、リョートに睨まれただけで石像にされるとか、そういうものだ。まるで昔話や神話のような話ばかりで、さすがのシャクヤも辟易していた。


「にわかには信じられないな」


アパスはゆるゆると首を振った。

魔女と言っても本当に魔法が使えるというわけではない。薬草や迷信に詳しい者を魔女といって尊敬してきたという歴史があるほどだ。しかし今の魔女狩りは魔女を悪魔と契約し、国に災いをもたらす者という考え方に変わっている。最近では仲が悪い者を魔女として売るものまで現れ、東の大国は疑心暗鬼の坩堝と化していた。シャクヤの話を聞いたアパスは、東の大国の内部崩壊の兆しを見て取った。現在、政治の表舞台ではリョート女王が民衆の心を引きつけてやまない。しかしその裏側では、着実にリョートをおとしめようとする動きが活発化している。リョートがいなくなったとき、次に現れる王が強力な逸材でない限りは、東の大国に綻びが生じるはずだ。そこに、西の大国が付け入る隙がある。流れは西にあることをアパスは確信した。しかし長年にわたって西と東は拮抗を保ってきた。軍の統制、軍備にかける費用は東が勝る。ここで気を抜かずに、より情報を集めるべきだ、とアパスは自身に言い聞かせる。そしてアパスはリョートを西側に引き込めないかと考えた。しかしそれはアパスのような軍の末端近くの一軍人が考えることではなかった。これ以上はもっと上の人間が考えることだった。

 シャクヤを利用しておきながら、アパスはここにきて罪悪感にかられた。自分の国がシャクヤの国を亡ぼすかもしれないのに、アパスは今でもシャクヤを利用し続け、さらに庇護欲に駆られている。間者としては失格だが、アパスも人間であり、良心の呵責からは逃れられそうにない。


「逃げたいと思ったことはないか?」


「何から?」


「ここから。この国から……」


そう言ったアパスの唇を、シャクヤの唇が塞いだ。


「私は、ずっとリョート女王の味方です。この身が焼き尽くされても、女王陛下がこの国にいるのなら、私はここにいます」


「シャクヤ、お前」


「今日は、お帰り下さい。もう十分でしょう」


アパスはシャクヤの事を、少しだけ勘違いしていたようだと気づいた。アパスはシャクヤとリョートを対比して見ていた。リョートが太陽の光なら、シャクヤは月の光だ。リョートが情熱的なら、シャクヤは冷静だ。そんな風に思っていた。しかし月の光のように静謐で冷静なシャクヤの身の内に宿っていたのは、間違いなく灼熱の太陽だった。しかも、その熱は全てリョートに向かっている。一体シャクヤは何者なのか。自分が今まで見てきたシャクヤという女は、本当は誰なのか。アパスは帰り際に何か冷たいものが背に張りついている気がした。

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