8.夢か幻か

 リョートの研究用の部屋には、石の中に入った動植物の骨が所狭しと並べられていた。これらは後の時代に「化石」と呼ばれるものだったが、現代では魔術や魔法の産物とみなされていた。リョートはこの「時を止めた者たち」にひどく関心を寄せていた。何故これらは朽ちて土に帰らなかったのか。何故、骨格を石の中にとどめていられるのか。一方何故人間は老いて力尽きて死んでしまうのか。リョートの探求は止むことを知らない。彼女のこれまでの研究によれば、東よりも西の方がこのような石が多く見つかるはずだ。特に西のカーメニにある「石の都」はこのような石の宝庫であろう。だからリョートは西の大国にも興味を持った。同じ大国でありながら、何故西の華やかさが東にはないのか。リョートは血のにじむ努力の末、王座を射止めて見せた。それもこれも、彼女の探求心がなせるわざだった。

 リョートはいつも微睡の中で赤ん坊の声を聞いた。


(ああ、まただ。また、あの時の……)


リョートはこれが夢なのか、現実の中の幻覚なのか分からない。しかし、これが自分の生い立ちであるということは、はっきりと分かるのである。

 始まりはいつも赤ん坊の自分が教会の神父に預けられるところからだ。後ろ姿が自分にそっくりな女性が、泣きながら去って行く。あれは自分の母親だろうと、リョートはぼんやりと思う。そして、困ったような神父の顔が自分をのぞきこむように、真上に来る。薄暗く、寒い教会で、神父は幼い私を必死で育てている。修道女たちも一緒だ。リョートの他にも数人の子供たちがいて、一緒に読み書きを勉強したり、食事をとったり、眠ったりした。ここでリョートが他の子供たちと違っていたのは、読み書きや計算を覚えるのが他の子供たちとは比べものにならないくらいに早かったことだ。それはリョート持ち前の好奇心と探究心の他に、天賦の才としか言いようがなかった。さらに言えば、リョートは成長するにつれて美しくなっていった。それは天が二物を与えたとささやかれるほどだった。ただ、リョートは声を大にして言いたかった。天才なのではなく、秀才なのだと。リョートは陰で他人が考えられないくらい読み書きの練習をしたし、いたるところで数を数えた。「これは一冊、あれは二匹、これは三本、これは一対……」などといった具合だ。それは指先や足先から、本当に血がにじむほどだった。ただの努力家ならそこまでしただろう。しかしリョートは天才的な努力家だった。そのため、にじみ出た自らの血で、文章を書いたり、数式を解いたりしていた。

 しかも聡いリョートは努力家の限界を知っていた。それは身分の差。つまり生まれながらにして与えられた者にしかくぐれない門があると。逆に言えば、どんなに努力をしない者であっても、身分が高ければある程度のものが与えられるということだ。だから、リョートは「天才」でなければならなかったのである。

 そして場面は急に変わって、男たちのひそひそとした声が聞こえてくる。リョートは暗いところでそれを立ち聞きしている。声の主の一人は神父だったが、他の声は聞き覚えがなかった。男たちはリョートの評判を聞いてやってきたのだ。とても美しく、賢い女児がいる。それがリョートであり、もっといい環境で、質のいい教育を受けさせてやりたいという話だった。リョートはほめられたことよりも、自分の探求心を満足させられる場所が手に入るということが嬉しかった。それが娼婦の「身請け」と変わりないものであっても、だ。ただしリョートが幸運だったのは、「身請け」先が名家であり、そこの養女となることで高い身分を得られたこと。そしてなにより、恋愛対象というよりは、才能があり美しいリョートの後見をすることで後に甘い汁を吸えるのではないかという政治的権力争いの中に入ったということである。ここにきて、リョートの血が滲んだ努力は、やっと報われ始めたのだ。そこはもう飢えとも寒さとも、痛さとも暗さとも無関係な場所だった。しかし、リョートは教会のそれらの苦しみを忘れることはなく、努力もさらに続けていくことになる。

 さらに場面が変わって、教会ではなく大きなお屋敷にリョートはいる。教会が育てられる子供の数にも限界があり、リョートほどの器を育てられる人間にも限界があったのだ。リョートは教会を離れるときに泣きもせずに、お屋敷に移って所作や言葉遣いまで直され、学校というところに通うことになる。しかし、学校の教師からお屋敷に連絡が入るまでそう時間はかからなかった。リョートが教師よりも何もかにもできてしまったからだ。リョートは結局学年を無視する形で進級し、その進級試験も満点で通ってしまった。もちろんリョートは上質な服を擦り切らすまで勉強をしたし、それがばれないように自分で擦り切れた袖を縫い直したり、汚れが見えないようにこっそり洗ったりした。しかもその美貌は増すばかりで、すっかり高嶺の花と化していた。ただ、無理に文句をつけるとすれば、リョートは人を見下すような言動が多くなっていたことぐらいだ。

 ここにきてリョートの周りの大人たちは、リョートが「本当の天才」という枠に収まらない、まさに規格外の「怪物」であることに気が付いたのだ。そして、リョートが見せ始めた求心力とカリスマ性は、教師たちをも虜にしつつあった。そして大人たちは悟るのである。リョートに何か教えるなどということは、おこがましいことだ。リョートに教えるのではなく、リョートに付き従うべくして、他の人間がいるのだと。

 場面はまだ変わる。今度のリョートは着飾ってどこか別のお屋敷にいた。お屋敷というのは実は間違いで、城の中だった。リョートが後に結婚する相手がいる城だった。そこでリョートに一目ぼれしたという王子に、リョートは「自分の研究を今後も許すこと」を条件に、結婚を許諾してしまう。その相手が一国の主であると知ったリョートは、政治、経済、信仰、歴史、地域差、支配などの勉強を始め、思い出し方のように西の大国についても勉強し始めた。この時から、リョートの親西はささやかれ始め、身分も怪しい者を后にすることに抵抗を見せる者がいた。しかしリョートは「敵を知らずして、何故自国が知れるのか」と、逆に相手を一刀両断にした。ついに、リョートは結婚し、一男をもうけるのだが、病弱だった息子は即位してすぐに病に倒れ、母親であるリョートが即位する。夫はリョートたち身内には優しかったが、外での顔は恐ろしい独裁者だった。そのため、まだ年端のゆかぬ少女ながら天才で美貌を兼ね備えたリョートが王にふさわしいという声が上がった。その頃はまだリョートを「小娘」と侮るものも多く、政治的傀儡としてリョートを扱おうとする者も多々あった。しかし、リョートは一度王位につくと、自分に甘言を言う側近を排除し、自らに厳しい者をそばに置くようになった。そのため即位当初ついたあだ名は「茨の王」。つまり、自分の王座を茨の中に置くような政治姿勢だったのである。その後、そんな中でも頭角を現したリョートは二十歳になり、皆に認められ、その華やかさから「バラの女王」と呼ばれるようになった。

そこで夢か幻の中からリョートは目覚めるのだった。

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