9.投獄

ある日、執務室のドアが荒々しくノックされた。それはいつものドアのノックの仕方とは明らかに異なっていた。敵意があって、焦っていて、それだけでなく、何かに怯えるような音だった。


「何だ」


いつものように高圧的にリョートが言った。リョートは一国の主である。ノックの音がいかに不穏に満ちていたとしても、それに対していちいち反応してはいられない。王たるものは、けして弱みを相手に見せず、相手を威圧していなければならない。それを苦痛だとか、疲労があるとか言っているような者は、元々王の資質がないのだ。


「兵たちが女王陛下の部屋を見聞したいと申しまして……」


大きな両開きのドアから部屋に入って来たのは、白髪を撫でつけた執事長だった。


「何故か?」


リョートは努めて冷静に問いただす。ドアの外に、敵意と焦燥と、恐怖が渦を巻いていることが分かる。初めのノックに覚えた感覚に相違なかった。


「それが、女王陛下におきましては、最近妙な研究をなさっておいでだとか」


執事長の声が上ずっている。剣か何かを喉に突き付けられているに違いない。魔女狩りを利用した反逆だと、リョートはすぐに感づいた。リョートはシャクヤと違って世間知らずではいられなかった。だから自分が行っている研究がいずれ反逆に利用されるであろうことも分かっていた。そして世間で、自分がどのように揶揄されているのかも、全て知っていた。


(思ったより早かったな)


リョートは心の中でごち、偏頭痛でももよおしたかのように、片手でこめかみを抑えた。


「良いだろう。入れ」


リョートは執事長に命じて、執務室の鍵を外させた。武装した兵が五、六人部屋になだれ込んだ。思ったより兵の数は少なかったが、誰も止めに入らない所を見ると、城中が反逆に手を貸しているのだろう。もしくは強く脅された身分の低い者は反逆を知りながら見てみぬふりをせざるを得ないに違いない。そうすることでしか自分の愛する者たち、たとえば家族や恋人、友人を守ることができないためにやむなく反逆に手を貸しているのだろう。それは仕方のないことだが、それを自分より身分や立場が下の者に強いた者たちの陰湿さと邪悪さも伝わってくる。

 それでもリョートは威厳と冷静さを失うことはなかった。いかなる時でも凛としていなければならないと、リョートは自身に言い聞かせてきたのだから。それくらい、リョートは自分を律することに長けていた。

 兵士たちは剣という武器を携えながらも、執務室に入って来たことを後悔しているようだった。人間一人が書類仕事をするには広すぎる室内。一歩踏み込めば、足が沈むような感覚を得る絨毯。天井や柱に施された意匠や絵画。執務室を一度も見たことがない連中だと分かる。つまり、この兵たちは黒幕によって集められた烏合の衆。仕事が終わればすぐさま殺される運命にある男たちだ。金に困っていたのか、はたまた魔女狩りの際に脅されたのかは分からないが、愚かすぎる。それに、王に剣を向けておきながら、怯むとはどういうことなのか。リョートは自分を甘く見られたことに、気分を害した。一度王に歯向かうと決めたのなら、王を殺す覚悟を持っているべきだ。それなのに、今更この部屋に場違いだと気づくというのは、あまりにお粗末な話だった。

 執務室には政務に関係するもの以外、置いていなかった。しかし「見聞」という名の「捜索」において、その部屋しか調べられないということはあるまい。寝室はもちろん、大事な研究室も、兵士たちが乱暴にドアを開けていく。リョートはその様子を、執務室の椅子の上で眺めていた。ここで取り乱してはここまで保ってきた威厳が傷つく。それに、城内の全ての人間が敵となった今では、逃げきることはできないだろう。やがて、研究室に入った兵士が悲鳴をあげるように叫んだ。


「あああ、あった。本当に、あったぞ!」


完全に声が裏返った男の悲鳴に、兵士たちが研究室に集まる。リョートも優雅に椅子から立ち上がり、研究室に入った。


「お前達は、誰に言われてここに来た?」


兵たちは何も答えず、ただただリョートの収集品に絶句していた。これで兵たちは、リョートが石化魔法の研究をしていると確信したに違いない。相手を見ただけで石に変えるという、頭髪が蛇の女の化け物を彷彿とさせたのではないだろうか。リョートは屈強な兵たちに腕をつかまれたが、それを振りほどいた。力で勝る兵士の腕が簡単にほどけたことから、軍による反乱ではなく、軍を動かせる役職の反乱であること、すなわち政治的な反乱であると分かる。


(大臣クラスか)


リョートは考えを巡らす。そう言えば最近やけに甘言ばかり言うようになっていたな、とリョートは人のよさそうな初老の男の顔を思い出す。父親のコネで大臣になったといわれる男だった。リョートはその男に魔女狩りの調査を命じていたが、その報告はあまりにも国と教会に都合がよい内容だった。魔女狩りを国の成熟した証だと、大臣は報告書に記載していた。


「これは、どういうことだ?」


リョートは当然、その意味を厳しく追及した。すると大臣は、次のように述べた。


「国、いえ、女王陛下への忠誠心が成せる業です。人々は皆、この国を愛するが故に、魔女を狩るのです」


リョートは奥の手を出した。


「聖職者たちの質が、失墜していると聞いている。それを隠すための行為だろう? 貴様、聖職者たちから不明瞭な資金援助を得ているのではないか?」


信頼できる側近に、密かに調べさせた内容だった。これには大臣もさすがに言葉に詰まった。しかし、次の瞬間には笑顔に戻り、「何かの間違いでしょう」と言ってのけた。証拠がなかったため、それ以上の追及は出来なかった。間者の身分がばれてしまえば、側近に危険が及ぶため、リョートは大臣に魔女狩りの再調査を命じるにとどまったのだ。リョートは正確な調査を遂行するように求めた上で、「さもなくば職を解く」と言って大臣に圧力をかけ、魔女狩りの再調査を命じたが、調査書は一向に上がってこなかった。その代り、間者としていた側近が、何者かによって殺され、川で遺体が発見されることとなった。リョートは最初から教会と大臣の癒着を疑っていたが、相手に先を越されたのかもしれない。職務を重視しすぎたために手を打つのが遅れたのだ。ともあれ、反乱の芽を潰せなかったのは自分の責任だ。しかしリョートは最初から反乱など織り込み済みで命を懸けてマスハの町を作り、人々の生活を改善してきた。それは自分が幼少時代に味わってきた苦しみを、今の人々に味わってほしくなかったからだ。だから自分が「魔女」と呼ばれていたとしても、執務に努めた。政治を投げ出して自己の保身のために逃げようなどとは、一切考えたことはなかった。

兵士たちは明らかに迷い、戸惑っている。一体どちらにつくべきか、女王に手を出しておきながら未だに自分の利益を推し量っている。憐れで愚かだとリョートは思う。こうして反乱に手を貸したなら、もう引き返せないという覚悟を決めて事に当たるべきだ。エルは軍備に多大な国家予算を毎年計上しているが、軍の質が落ちているのだ。しかしこの兵たちの年齢を考えると、リョートと同じくらいだと推察できた。リョートは今でも兵たちにとって誇らしい旗印であると確信している。兵士たちは自身の利益よりも、自身の命を預けるべきなのはリョートであるか他の人材であるかも迷っている。何もなければ、兵たちは迷わずリョートを選んだはずだ。しかし自分の命より大事な者を人質にとられている状況の中では、自分の考えとは裏腹に別の者に従うしかないのだろう。兵士たちを一時でも自分になびかせることは、リョートにとっては容易いことだった。リョートは兵たちに同情するとともに、自分はもう東で生きていくことはできないことも分かっていた。そこで、リョートは兵たちにおとなしく捕まろうという気になった。兵士たちに花を持たせるのである。

リョートは机の上に立った。あくまで、睥睨する。


「お前たちは自分の意志ではなくここにきて、私をおとしめた。いいだろう。牢に連れて行くと言うなら、連れて行くがよい。ただ、指一本、私に触れることは許さぬ」


リョートは文字通り上からそういうと、兵士たちに自分を囲ませ、地下にある牢まで歩いた。鍵のかかった扉を開き、らせん状の階段を降りる。薄暗く、湿った階段は、まるで夜闇よりも深い所につながっているようにさえ思える。兵士たちの様子はまるで、リョートの護衛をしているかのようだった。リョートの顔は東のほとんどの人に知られている。だから、もう逃げることはできないということも、ドアをノックされた時から分かっていた。しかし最後まで女王としての威厳を、リョートは守りたかった。だから人前で無様な姿をさらすことはできなかったのである。それが、リョートの最期の見栄であっても、だ。

 それに、王がこんなところで無様な姿を見せるわけにはいかない。リョートはこの国の価値そのものであり、旗印であり、国民の希望でなければならない。だから、最後の最後まで、リョートは威厳を保ち続けた。

 牢は石組と鉄の柵で構成された殺風景な部屋だった。窓はなく、明り取りの小さな穴だけが開いていた。棘のある薔薇を思わせるリョートの威厳と華やかさは、牢では霞んで見えた。リョートはここにきて、自分が築き上げたものが崩れ去る音を聞いた。それは自分から何もなくなったという現実を理解した瞬間だった。もともとリョートは何も持ち合わせていなかったが、一生をかけてここまで業績を積み上げてきた。それが全て一瞬にして奪われたのだ。奪ったものが私利私欲のためではなく、国のため、国民のためにリョートから奪っていったのならばまだ許せる。だが、ただ単に権力や財のためにリョートの努力を踏みにじることなど誰にも許されるはずはない。

 神官に服を着替えるように言われ、質素な囚人服へと着替えさせられた。ここにきてリョートは政治的に力を持つものが、神官たち宗教的有力者と癒着していることを確認する。

 リョートは、牢の中で絶望の淵へと追いやられた。自分が死に近づいていることを認識したのだ。しかもこのまま死ねば、歴代の王がそうであったように、反逆者の都合のいいように歴史は作り替えられる。おそらくリョートの華やかさは「豪遊」と「浪費」に置き換えられるだろう。さらに芸術の推奨は、市民の生活苦を招いたとされる可能性が高い。そしてリョートの親西政策は、東への裏切りだったと言われ続ける。


(私の何が悪い? 私は間違っていたか? 何故私腹を肥やそうとしている馬鹿の集まりに、私が屈しなければならない? そもそも、奴らと私を同レベルに扱うとはどういうことだ? こんな不条理が許されるのか?)


「はははははははっ」


リョートは明り取りの穴を見上げて笑った。


(ああ、神などいない。努力などは報われない。それどころか努力した分だけ絶望が返ってくる。当たり前のことなど、何一つない)


顔を歪めて笑いながら崩れ落ちたリョートは、初めて涙を浮かべた。王になってからもその前にも、見せることのなかった涙だった。最後の抵抗として自死を選ぼうかというリョートの思いが頭をよぎった時、白く眩しい光が視界に入りこんだ。

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