第2話 あなたのために出来る事。3.30

「ちゃんと、いますよ?」

「……うん。」


 小さく答え、コーヒーカップに手を伸ばしたキツネさんは、尻尾で私の手を撫でる。

 歯の間隔が広い櫛を取り出し、梳くために少し離れると、キツネさんはビクっとした。

 横目に私の動向を気にしているのがバレバレですよ?


「キツネさん、覚えた事を暗唱してみてください。間違っても良いので。」

「はーい。」

「返事は短く。」

「はい! 受け皿に混ぜ棒と甘蜜、小さいお菓子を載せます。底の深い器がある時は、色違いの布を敷いて、お菓子を載せるのも可です。あとは、あとは……。」

「高く積むような一工夫をしてみるのも良いかもしれませんよ?」

「あ、はい……。」


 私に言われてしまい、少し残念そうなキツネさんの尻尾を梳き終え、竦む肩に両手を置く。

 顔を上げたキツネさんに「少し用意しますね。」と声をかけ、私は立ち上がった。

 久しぶりに人前で使う。キツネさんは楽しんでくれるかな?


『ネコには、二つの姿がある。』


 私の爪は鋭く、しかし青白く。コーヒーカップに添えた指は細く長い。


『昼はポカポカ、夜は狡猾に。』


 私の黒髪が肩から腰にまで伸びていく。毛先から青白くなっていくにつれ身長も伸び、たおやかな肢体に変わる。

 振り返る私を見た彼女きつねさんの驚きは、相当なモノだろう。


『あなたには、私が見えているかしら?』


 私の姿は、ネコの姿それからキツネさん似の姿へ。年齢相応の姿おとななので目の毒だろうか。


 それでも——


「ネコミ先生……。」

『ふふ、次は社交の場でのマナーについて、よ。キツネさんも立って?』

「は、はい……。」


 トロンとした顏のキツネさんに手を差し伸べ、小さな手を軽く引く。日なたは、私たちだけのフロア。勉強と運動をバランス良くこなし、飽きない講義を、尽きない興味を、そして願うならば。


 ——どうか、この世界を嫌いにならないで。





 猫の社交場では、ホールドほうようせずに踊る事が多い。拘束される事を嫌う奔放じゆうな者たちだからこそ。教え子ならばまだしも、色目を使うきもちわるい富豪たちは勘弁願いたい。キツネさんは、手を放したくないようで……おいおい教えましょう。

 ホールダンスと呼ばれる身体を接触させて踊る事もある。私が男役でキツネさんをリードする。今回は、踊りが楽しいと思ってもらえば良い。


 男女の抱擁が含まれるため、年配者や宗教関係者から強く反発されている。もしかしたらベタベタ触る行為は禁止されるかもしれない。触れられたくない時は断って良い事、事、そして権力を持ち出す者の情報とくちょうも教えておいた。


 ぜひ粛清してほしい。


 

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