第8話 くもりときどき

 無傷で戻る。


 きちんと常緑樹の果実も買いました。お話も。くもり空なのは残念ですが、今日は室内講義です。問題は無いでしょう。

 ジャム作りに、紅茶に合う菓子、話の運び方も良いかもしれません。キツネさんは、どんな反応を返してくれるでしょう。喜ぶ顏を想像すると、ニヤけてしまいますね……こほん。




 一年前のネコミ女史を知る者が見れば、二度見したであろう異常事態。


『きつねさん~待っててくださいね~。』


 ネコミ女史が、鼻歌を歌っている。押し殺そうとしているが、木漏れ日を歩きながら時折スキップをする辺り、自制しきれていない。


『依頼も終わりましたし~。』


 しばらくはキツネの教育に専念できる、そんな思いが尻尾にも表れている。


『今日は腕を振るっちゃいま、す……よ。』


 小さな起伏を超えた先、事務所が視界に入った時。ネコミは息を呑む。持っていた袋を抱え直し、前傾姿勢となった。


 広大な敷地は全て非緩衝地区ネコミのにわであり、許可の無い立ち入りは同業者でもない限り不可能。よほどの事が無い限り事前に申請がある、という平和ボケした思考にとらわれ安心していた。不覚だった。


 駆ける。現在、事務所下の日なたに4匹の黒猫くろいローブがいる。全員が背を向けているため、詳細は分からない。5匹目が事務所入口に立っていた。


 『問いかけ』により、青白い体毛に。知らず日なたの明るさに猫目が細くなり、足音で気づいた者が振り返ると、気圧されたようにたじろぐ。私を知って……教え子でした。


 間合いを開け、対峙する。教え子が必死で頭を下げています。許しませんが。

 他の黒猫が教え子の反応を見て、眉をひそめている。黒猫の一匹が入口にいる5匹目を呼ぶと、下に降りてきました。身なりと勲章が5匹目のみ良い、リーダーという事でしょうか。

 教え子が黒庁に務めているとは……。一浪するから、と田舎に帰るのでは無かったのですか?

 私を警戒する4匹に断り、教え子が前に出てきました。


「ネコミ先生、御無沙汰しています。」

「事務所に依頼かしら。」

「違います。です。」

「執行は、半年以上先でしょう?」

「事情が変わった、という事です。」


 つまり話し合いには応じない、と。ため息をつき「事務所で眠っているわ。」と言うと、「今日は確認だけですから。」と……定期的な報告をしているでしょうに。


 5人を事務所に嫌々招待すると、釣床で眠るキツネさんに驚いていました。「さすが先生。」とは誉め言葉でしょうか。スプーンを投げつけておきます。

 練習用の安い葉で淹れた茶を振舞うと、リーダーさんのみ飲みました。


「あの、先生。俺のは……?」

「恩を仇で返す教え子に苦しめられた私の心の痛みを知りなさい。」

「うぐ、すいません。」

「ネコミ女史、突然の訪問失礼しました。これの上官の『黒』です。以後、お見知りおきを。」


 色で呼ばれる者は少ない。国への貢献が認められた証で、私を含め10名もいない。

 そんな方のもとで、教え子が粗相そそうをしていないか心配になってきました。はぁ。




 よくよく聞いてみれば、キツネさんの容体と報告の真偽を確かめに来たらしい。事前に教え子から事務所宛てに連絡したらしい。そんな報告は、と考えた時。入口扉の向こうから何かが扉に当たる音が。

 、来たわよ? 連絡が。


 紅茶を飲みながら片眉を上げて問うと、教え子はダラダラと汗を掻いていた。ぎるてぃ。


 キツネさんが寝ている間に体液検査をするらしい。口頭で「触れると、起きますよ?」と伝えても止めようとしなかった。本当に私の報告を信じていないようね。

 『黒』の後ろから1匹が、キツネさんに近づいていきます……とても不愉快です。


「被害は、あなたに請求すれば良いのかしら?」

「心配ですか? 簡単な検査ですよ。」

「被害は無い、と?」

「舌に触れる程度です。被害は——」


 『黒』の発言を遮る不快な音が鳴り響く。さっと耳を押さえた私と『黒』、そして教え子は無事でした。ちっ。

 チラっとキツネさんを見ると、目の前の男性オスに驚き釣床から落ちてしまいました。助けたいですが、我慢です。

 手を伸ばす男性から「嫌! いやぁぁ!」と叫び、事務所の備品が壊れていく。教え子が私とキツネさんを交互に見てアワアワしています。

 キツネさんの尻尾からはバシン、バシンと痺れる鞭ひばなほうでんが出ています。私に慣れてくれるまでは、本当に良く備品が壊れました。事務所を畳もうかいなかにかえろうか、とも思えるくらい……。


「やぁ! 先生、このオジサン嫌ぁ!」

「検査らしいですよ?」


 私を見つけてからは、何度も訴えてきます。それとなく返してあげる事で、被害は抑えられていますね。請求先があるので涼しい顏でいられます。あ、食器棚は……はぁ。


「お互い、教育の難しさを痛感致しますわね?」

「そうですね、今後の訓練の参考とします。」


 大人4人から逃げ続けるキツネさんも大概だとは思いますが、この惨状の片づけをするのは私だという事を理解しているのだろうか。

 だから事前に連絡しなさい、と通達してるのよ!


「そろそろ、止めましょうか。埒が明かないようですし。『戻れ。』」

「そうで、んぐっ!」


 『黒』が事務所の全員に聞こえるよう言った、たった一言。いきなり重い物を持たされたような体の重さを感じ、顏をしかめ耐えるしかなかった。黒猫4匹とキツネさんは床に叩きつけられたのか激突音がいくつか聞こえ、うめき声まで聞こえてくる。


『早くしろ。』


 まただ。『黒』は、問いかけていない。命令しているだけ。私ですら耐えるのが精一杯だなんて……。

 黒猫たちは起き上がり、キツネさんの唾液を検査していく。何で動けるのよ、させたい行動は可能だとでも言うの? 厄介な者を認定したわね……。


 検査が終わると、黒猫たちは帰っていく。教え子が「先生、逆らっちゃダメですよ。あと事務所すいません。」と言い残して。


 入口扉が閉まると体の重さから解放され、脱力するとともに『問いかけ』も解かれた。

 ぐったりするキツネさんをソファに寝かせ、私は床に座り込む。外傷はありませんが、目が虚ろです。キツネさんを撫でながらポツリと呟く。


「敵対していなくてコレ、なのよね……。」


 見回した事務所は、ぐちゃぐちゃだ。修繕費用を請求するとは言え、今日すべて元通りとはいかないでしょう。窓を開けて、大事な書類も確認しないと。落ち込んでいても仕方ありません。

 立ち上がると、裾をつかむ手に力を込めたキツネさんが見上げてきます。


「事務所内にいますよ?」

「……おんぶ。」

「おんぶ、ですか。」


 ますます呼びが定着しそうですね……誰も見ていないと思いますが。キツネさんは、退行しちゃいあまえるようになりましたか。

 数か月かけて少しずつ成長したというのに、抗議文も書く必要がありますね。


 キツネさんは幼児ではありません。それなりの体重があり、力もあります。


「お、重い……。」

「先生、がんばー!」

「歩いて、ください。」

「やぁ!」


 ある程度成長した個体をおんぶして、中腰で作業を続けていれば当然痛くなるわけで。

 腰痛になったら労災下りるんでしょうか、と少し現実逃避をしながら、掃き掃除をしていきました。


「おなかすいたー!」

「いたた……はいはい。」

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