第7話 仕事の跡と、私事の痕

 クマゴロ氏の依頼を終え、明け方事務所に戻ってきた。

 静かに眠っていたものおとでおきたキツネさんに手伝ってもらいながらの朝食は、やはり良いものだと思う。

 腕のケガを見て、訊きたい気持ちを抑えきれないキツネさんがチラチラと包帯に目をやっている。


 少し、ミスをしてしまいました。しばらくは私の右手になってもらいましょう。


「はい、先生。あーん。」

「……あーん。」


 おいしいです。キツネさんがやる気を出しているので、家事に類する事は任せる事にしました。食器洗いに洗濯、届いた手紙の扱いや部屋掃除に至るまで。

 手順は完璧ですね、あとは慣れ、でしょうか。


 外で干すために洗濯ものを持って移動します。前回の反省から同行しますが。「先生と一緒♪」と喜んでいるので撫でておきます。

 かわいい。


 耳の先端付近がらしい。自身の耳を触ってみるが、古傷があるくらい。

 どちらかと言うと、寂しい感じです。皆は……息災げんきでやっているでしょうか。

 

 私の撫でる手が遠ざかったためか、洗濯物を干す手を止めてキツネさんは見上げてくる。


「先生? 手、痛いの?」


 視界が滲んだようにぼやけたうるんだ。目元に手をやるが、天気雨でしょうか。「いえ、何もしないというのは、眠くなりますね。」と濁しておいた。





「出来ましたか?」

「まだでーす。」


 ソファに座る私の髪を、キツネさんが結っている。「ちゃんと出来ます!」という言葉の後に、「あれ?」と呟かれると、途端に心配になります……ほどけるでしょうか。


 キツネさんが楽しそうなので、髪を切ることになったとしても構いません。元の姿に戻れば、髪も戻りますし。


「出来ました!」

「はい……キツネさん?」


 ハーフアップにするはずが、ポニーテールになってませんか? こっち見なさい。

 吹けない口笛なんて、どこで覚えてきたのでしょう。


 ふわりとキツネさんを、お姫様抱っこをしてだきあげてソファへ戻ります。見開いた目もかわいい。

 驚くのではなく、出来るようになってほしいのですが。


「先生の周り、キラキラしてる!」

「はい、このしろい姿の時は少しずつ消耗しますから。」


 口が半開きになっているので、指で唇に触れる。キツネさんと対峙する事が無いよう、祈りながら。

  

「キツネさん、結い方は復習しておいてくださいね? ……聞いてます?」

「はひ~。」


 だらしない顏の前で手を振ると、おもむろに掴まれてしまいました。少し、胸が高鳴りましたが、顔には出なかったと思います。


 私の手に頬擦りするキツネさんを見ているうちに、私の『問いかけ』が解けてすがたが、もどってしまいました。期待する目を向けられても、無い物は出せません。少しだけ耳や尻尾がシュンとした気がしました……。

 キツネさんを膝上で後ろから抱くようにして質問します。


「キツネさんは、『問いかけ』の勉強は楽しいですか?」

「うん。キレイだもん。」

「では、小物をキラキラさせてみましょうか。」


 尻尾の膨らみと耳がシュッと伸びたのが分かりました。

 本棚に飾ってある置物は、森の動物を模した鈍色の目立たないちょっととくしゅな仕様です。キツネさんは、事務所に来てからしばらく視えなかったみたいですが。

 本棚に移動しようとする私から、キツネさんが降りてくれません。


 今日のキツネさんは、べったりです。私を椅子にするのは、キツネさんくらいですよ?


 キツネさんの腕に添える様にして言葉を紡ぐ。少しでも使い方を覚えてもらおう。

 ……あと、何日過ごせるのだろう。


『鈍色の空は、いつか晴れる』


 私の腕から、小さな青白い光が置物に流れていく。


『窓辺も止まり木も無い』


 鈍色の置物に光が集まり、仄かに青白い。


『それでも、あなたには羽ばたく勇気がある?』


 小さな鳥のように忙しく羽ばたき、室内を飛び回る。

 キツネさんが手を伸ばし捕まえようとして。勢い余って私の膝から降りた。置物を動かすために片手を使い、キツネさんを支えられなかった。

 微笑ましく思っていた私は、キツネさんが急に振り向き私にしがみ付く様子に違和感を覚えた。


 一瞬しか見えなかったけれど、? この距離で?


 飛ばしていた置物を戻し、震えるキツネさんを見ながら思う。今日も切り上げた方が良さそうですね……。

 『問いかけ』を維持しすぎたようです。青白い外殻が剥がれ、黒い毛並みに戻ってしまいました。キツネさんの鼻が動いています……まさか、臭いますか?


 釣床ハンモックにキツネさんを誘導しながら、腕を鼻に近づけ嗅いでみます……良し。

 キツネさんからも「クンクン、先生のニオイ。」という不安になる発言が。あとで洗おうかしら……。


 昼寝自体は、咎められる行為ではありません。むしろ私の方針として推奨しています。

 キツネさんを釣床に上げると、横にはなってくれても私を放しては……くれませんか。

 添い寝は落ちそうなので、で我慢してもらいましょう。


 キツネさんは、どこを見て……私の胸元の傷ですか。キツネさんを抱き上げた時にはだけてしまいましたか。聞きたそうな顔をしても、教えられない事ですし。プライベートな質問は、栄転の時に話しましょう。


 別れが、辛くなりますから。今は、おやすみなさい。


『おとぎ話に耳を傾けて』


 キツネさんを青白い光が包んでいく。私の体温程度には温かいはず。


『不思議な国の物語が始まる』


 所用が終わるまで起きないように。耳が徐々に垂れていく。


『見えてくる、聞こえてくるものは、何かしら?』


 一定の寝息を確認して釣床から離れる。ごめんなさい、キツネさん。ちょっと事務仕事を終えてくるから。と言っても、キツネさんにとっては、なのよね……。

 数日は戻れないだろう。途中で起きないよう『問いかけ』ておく事も忘れない。


 呼吸の止まった眠り姫を一撫でし、外に出る。





 黒羽衣のロングコートを羽織りながら事務所から降りていくと、給仕服の三毛猫が目を瞑り佇んでいた。白、茶、黒毛の縞模様が特徴の付き合いの長い——お友達。


「お待たせしました、マミ。」

「ちゃん付けは、公式の場ではやめてくださいね。ネコミ?」

「……言われると、むずがゆいですね。」

「歩きながら話しますけど、貴人に関する検査結果が出ています。」

「早くて助かるわ、副長様マミカ。」


 「嫌味にしか聞こえないわよ、?」と、封書をチラつかせながら言うので、前回は保母さんだった事も併せてデコピンしておきます。

 ……うむむ。


「私は、そんな立場じゃ……ないから。」


 「卑下しすぎよ?」と言いながら、ヒゲを引っ張らないで。

 お土産は、何にしようかしら。栄養剤の調合もあるからジャム作りも良いかも?


「やっぱり、お母さんじゃない。」


 私の顔を見て言う三毛猫は無視です。胸の辺りがポカポカする感覚は、良いモノかもしれません。

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