第10話 談義に必要な

「ありがとう、先生。」

「いえ……起きます?」

「もう少し、こうしててひざまくら良い?」

「はい。」


 お腹が冷えないように置いた私の手をつかみ、キツネさんは目を閉じました。

 手持ち無沙汰になったなでていた方の手を下ろし、少し考えます。


 明日の報告に含めるべきか否か。


 


 私の教え子に必ず教える『問いかけ』がある。

 事務所への連絡手段とする利用に限定して教えている『問いかけ』を、キツネさんには教えた事が無い。きっと、から。


 キツネさんは、事務所の勤務ちりょうを終えると同時に連行されるむかえがくるだろう。

 隣国の要職に就き、心を砕く女性。いくつかの功績を伝え聞く事があった。支持者ばかりでは無いらしい、とも。

 個人的には、療養しても良いのではと思う。しかし、彼女の抜けた穴は大きい。辺国いなかの文官であれば、事務所ここに来る事は無かったのだろう。

 ……働き過ぎですよ。

 

「あの、先生。お願いがあるの。」

「私に、ですか?」

「そう、明日する報告は……少し待ってもらえない?」

「それは……構いませんが、『黒』は来ますよ?」


 事実のみを伝えても『黒』が直接確認に来るのだから、構わないでしょう。

 「ここなら、自分のペースで処理できるから。」と言うキツネさんは、少し苦しそうに見えました。もともと、体に不調など……無いのですよ?

 

「私に迷惑をかけてしまう、ですか?」

「……やっぱり、先生は騙せないなぁ。」

「場数の差ですよ。私に何を望むのです?」

「先生。私に……教えて欲しいの。『問いかけ』のを。」


 非緩衝地域ここは隔離されています。一ヵ月以上も滞在した者について教えなければなりません。『黒』が再来する日についても。

 まじめな顏をしつつも尻尾が揺れていますよ、キツネさん?





 次の日は、日の出前に食事を済ませました。


 キツネさんは私が起きる前に起きたようで、パタパタと歩き回る音に起こされました。

 エプロン姿のキツネさんを初めて見ました……かわいいです。


 少しの間、眺めている私に気づいたキツネさんが笑顔を向けてくれました。

 期限を思うと寂しくなってしまい、振り切るように視線を逸らし立ち上がります。

 

「先生は、ジャム入れますか?」

「いえ、コーヒーを……すいません、私がやりますので。」

「良いんですよ、この位。」


 「ですが」と食い下がるも、やんわりと断られてしまいました。

 テーブルで待っていると、キツネさんが洗練された動作で朝食を並べていきます。

 品目、盛り付け、そして料理の説明に至るまで、どこに出しても恥ずかしくない給仕さん。

 食べている姿をジロジロ見る点は、と……いけません、もう教えるべきでは無いですね。


「お口に合いましたか? 先生?」

「はい。素晴らしい朝食でした。」

「……ありがとうございます、さん。」

「はい、『黒』への連絡を持って、事務所ここでの仕事ちりょうは終わります。」


 何かを言いたげな表情で私を見るキツネさんに、今後の予定を伝えます。

 希望通りのに送り出し、新しい教え子を採る事。出来る限り私について話さない事。そして——


 ――事務所をキツネさん自身の判断で去る事。


 実際に、立ち止まってしまう子もいました。「残りたい。」と言う意思は尊重されますが、希望通りにならない事もあります。

 キツネさんについては、事前に許可しない旨の通知を受けています。『黒』が来るまでと伝えましょう。


「外に持ち出す品は、検閲されます。何か持ち出す物は、ありますか?」

「もし良ければ、あれを。」


 本棚から鈍色の鳥の置物を持って、キツネさんが戻ってくる。

 持ち出すとして、事務所との連絡手段に使うならば許可できません。


「事務所に帰属する品は……。」

「片道でも、ダメですか?」

「ダメです。」

「前例は……。」

「ありません。『黒』を通して下さい。」


 ガクッと項垂れるキツネさんですが、あなたは知っているはずですよ? 帰属品を持ち出すを。前回だって、散々喚いてひねり出したじゃないですか。

 ……覚えては、いないでしょうけれど。


「んー、んー。」

「ふふ。答えを急ぐ気持ちも分かりますが、昼食の用意もしなければ。」


 席を立ち、屋外へ行こうとする私の後ろを、キツネさんが付いてきます。視線で問うと、「気にしないで。」と素っ気無く返されてしまいました。こういう所は、可愛くありませんね……戻ってほしいとまでは言いません。少し、寂しいですが。


「身に着けていく……荷物に隠す?」

「声に出して考える事で、助言を得られるかもしれませんね。上の職に就けば就くほど、やっかみも増えますけど。」

「助言を求めてますよー? 教え子がー。」

「キツネさんには、が助言になりそうです。」


 あなたは、考えられる教え子ですから。……誰よりも。


 昼食のスープも整いました。今日はパンがありません。採って来なければいけないですね。昼からは時間がありそうですし、問題ないでしょう。

 昼食の間、質問攻めに遭いました。と言っても、答え合わせをしたいキツネさんを躱し続ける事など造作も無いです。


 ですが。


「分かんないー。」

「どんな方法を考えましたか?」

「『問いかけ』で隠す、先に外に出しておく、先生に協力してもらう、出てから再入域する……。」


 教える、という行為を禁止されてはいないのです。キツネさんが困った時は助けて良い、という屁理屈で。もちろんバレると怒られますが、それだけの事です。

 キツネさんの挙げた案のうち、私に実害が少ない案を薦めていきます。このやり取りを懐かしく思いますが、顔に出すわけにはいきません。

 こほん、と咳をして探り合いが始まりました。


「そもそも、私が教え子を、手伝うわけにはいかないでしょう? 先に外に出す案も、出域すればバレますよ。再入域は、今のキツネさんには不可能でしょう。」

「隠す……。」

「私は何も聞いていません。」

「直接はダメ。」

「ダメです。『黒』がキツネさん調べます。」

「外に出る時は、あの黒いのと一緒?」

「『黒』たちが先に出ます。キツネさんは後からですね。」


 怪訝な顏のキツネさんでしたが、何かに気づいたようです。

 スッと唇に人差し指を添え、静かにしてもらう事にしました。口が軽いのは、直っていませんね。

 キョロキョロした後、近づいてきたキツネさんが私の膝の上に乗ってきました。気をつけて話してもらえるならば、ヒソヒソしなくても良いのですよ?

 ツンツンと頬をつついても離れようとせず、むしろグリグリと顔を押し付けてきました。どうしたのでしょうか。

 くっついたまま、キツネさんがポツリと言いました。


「先生、ありがと。」

「……仕事、ですから。」


 出かかった言葉を飲み込み、事務的な返答をすると、キツネさんが顔を上げました。

 苦笑した彼女は、私の唇に指を当て、口を開きます。


「先生、それはウソ。」


 逡巡。キツネさんの仕草に見覚えがある……教えた所作とおりですね。

 ジト目で見つめると、「あ、あれぇ?」と目が泳ぎました。まだまだ咄嗟の対応が出来ていません。これから、慣れていってください。応援していますよ、ずっと。


「男性になら、及第点でしょうか。」

「先生を誘惑する、って選択肢もアリかなーと思ったのにー。」

「ダメです。手伝ったと判断されてしまいますよ?」

「えー。」


 えー、じゃありません。


 その後、問答を通じて策を思いついたようでした。思いついてしまいました。

 ……間に合いそうですね。






 ギリギリまでして、『黒』を待ちました。

 努めて笑顔で。私の笑顔は、貴重ですよ? 教え子にさえ早々見せないですし。

 朝日を浴びて、キツネさんを見送ります。荷物を含めた検査を終え、出域可となったところで声をかけました。


「キツネさん。」

「……何? 先生せんせ?」

「私は、ここにいますから。」

「……。」

「ここに、いますから。」


 これは、別れ。しばしの別れであり、永遠に戻らない日々を提供する事務所としての。


「はい、行ってきます。」

「振り返らないで下さいね、キツネさん。」

「……うん。」


 晴れやかな笑顔で送り出したかった。少し声が震えてしまったかもしれません。

 しばしのお別れです、キツネさん。

 

 『黒』が先に出域し、こちらに向き直ります。あとは、キツネさんが出るだけ。緊張しているのか、尻尾が震えています。

 背中を見つめ、ゆっくりとした足取りで出域した事を確認し、私は『問いかけ』ます。


『あなたは進み、私は立ち止まる。』


 『黒』に連れられて、キツネさんが離れていく。


『溝は深まり、仲違いし続ける。』


 私の持つ置物が青白く光り、鳥のように羽ばたきました。


『さぁ、どう乗り越える?』


 書類と、いくつかの小物を届けてもらいます。


 ……これで、完了ですね。また逢える日を、あなたの居場所で待っています。


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