第15話 近くて遠い距離

「先生は白い生地が良い? 赤い生地?」

「……白、ですね。」


 『黒』への頼み事は許され、私はしばらく謹慎ざんぎょうになりました。キツネさんは不平を漏らしていましたが、なのですよ?

 地面を転がる生地のロール給料1か月分から目を逸らし、考える。


 領域に持ち込まれた物資から色とりどりの布を散らかして——じゃなかった、思考を加速する事で内外差を埋める禁法について。





 領域には常時誰かが滞在しなければならず、いかなる例外をも認めない。


 そんなウソがまかり通る程度には、領域内での仕事は時間のかかる仕事。黒の言う「いかなる例外をも認められない」という建前ウソは、私が生きている時点で意味を成していない。


 ビリ……「あっ。」


 不穏な音が聞こえてきましたが、意識を向けず考えを巡らせます。

 キツネさんの服を1日で作る、領域外で用事を済ませ戻る。かかるでしょうか。


「せんせぇ……。」


 あのね、キツネさん。見ないようにしているのだから、目の前に破いたロールを持ってこないで。

 私の顔色をうかがう少女をなるべく優しく撫で、使うロールだけを事務所に持ち込みます。キツネさんに1巻多く持たせる大人気ない対応1かげつぶんのおもみをして、肩を落としながら。






「キツネさんは……」

「?」


 どんな柄が良いのでしょうか、とこうとして止めました。作成している間に


 そして、キツネさんが外の世界を楽しむ間――


「せんせ?」


 ――考えても詮無いしかたのない話でした。「何でもありません。」と抱き寄せ、一緒に作りました。外でも恥じる事の無いよう、ちょっと遠見しながら。

 貧困層は今も無地ですね。刺繍一つアップリケくらいは問題ないでしょう。


「先生、白くなくても早い!」

「慣れですよ。はい、完成です。」

「にゃあ♪」


 時折、キツネさんは猫のような声を発しますね。嬉しそうな尻尾も見ていて眼福です。

 体に服を当て、こちらに笑顔を向けてくれるキツネさんを服ごと抱き締めます。


 キツネさんに着替えてくるよう言い、背負い袋にいくつか役立つ物とメモを入れて封をして……よし。一つ『問いかけ』をしておきましょう。






「先生、どう?」


 着替えたキツネさんが戻ってきました。町娘の恰好ですが髪や尻尾の手入れの差でしょうか、ちぐはぐな印象を与えそうです。

 言葉に詰まっていると、少し不安そうな顔をしたキツネさんがシュンとしてしまいました。

 もう少し見ていたい、とは誉め言葉でしょうか?


「かわいい……っ、コホン。キツネさんは、髪や尻尾を少し隠した方が良いかもしれませんね。」

「耳は、こうやって、畳んでも、跳ねちゃうよ?」


 キツネ耳を何度も手で押さえる様が愛おしい。自然と緩む頬を隠すように首を振り、顔を引き締めます。

 撫でようと手を伸ばすと、撫でやすいように上目遣いうわめづかいで尻尾を振り振り。


「わざと、ですね?」

「あ、バレちゃった。」

「キツネさんは好かれる性格ですからね。……とても似合っていますよ。」


 ゆっくりと抱き締めると、キツネさんも私の背に手を回し、しばし抱き合いました。おそらく考えている事は異なるでしょうが。


 「忘れ物はないですね?」と問うと、「あとは袋だけ。」と先ほどの背負い袋に駆けていきました。メモに気付いてはいない、ですね。





 事務所に鍵を掛ける振りをして、鍵を仕舞いポケットに入れました。手を繋いで歩きます。ぎこちなく繋いでいた手は、お互いの顏を見なくとも繋ぐようになりました。


「先生、何だか楽しそう♪」

「そうですね、領域ここは見慣れてしまいましたね。たまには買い物にも行きたいです。」

「先生と、お買い物~♪」


 キツネさんは、どんな生活を営むのでしょう。どんな出会いを経験するのでしょう。

 悲しみに暮れる時、傍にいてくれる方を見つけられるでしょうか。




 他愛もない話をして、領域の境界に近づきます。

 私の鼻歌に合わせて、楽しそうなキツネさんを見ながら——




 ——キツネさんを領域外へと押し出す。


 柔らかい背中、綺麗な髪、揺れるキツネ耳。表情は見えないけれど、待っていますから。領域をすり抜けていく少女が、こちらを見ようと首を回すも……外から内側は見えない。

 


 残業が終わるまで、一眠りしましょうか立ち尽くす少女から目を逸らして





 ……おかしいですね、視界がぼやけるなんて。

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