猫上司とキツネ耳のソファ談義。

あるまたく

第1話 木漏れ日が暖かいです。3.11

 ガチャ


 建付けが悪い入口扉のカギを開け、一匹のネコが室内に入ってくる。いつも通りの時間の、いつも通りの行動。ネコ上司ことネコミ女史は、戸締りを確認して帰宅したはずの室内に違和感を覚えて見回す。薄暗いが、カーテン越しでも朝日のおかげで奥まで見える。

 大木の内部に作られた狭い室内には、木の机が2つと応接用のソファーとテーブル、そして壁に沿って本棚があるだけ。このニオイは……。

 入口からは見えないソファーの背の向こうから寝息が聞こえる。

 ネコミ女史は溜め息をつき、カギを壁にかけると奥の机に昼食の御弁当を置く。カーテンを開けないのは、寝ている者の反応を見越してだ。


「起きてくださいな? キツネさん。」

「んん、あと4時間……。」

「泊まるほど仕事無かったでしょ? ほら、起きて。」

「ネコさんが、いじめるぅ。」

「いじめてませんよ、まったくもう。」


 毛布に顔を埋めたキツネ耳の助手を怒っても仕方が無い。

 ネコミはカーテンを少し開け、コーヒーを淹れるコップにじわじわ10びょう。助手にさせても良いが、ネコミは極力自分で入れるようにしている。濃ゆいコーヒーは、あまり好きではないのだ。


「うん、良い香り♪」

「ネコミしゃん……わらしにもぉ。」(ネコミさん、私にも)

「いつもので良い?」

「にゃい。」

「ネコよりネコらしいですね?」

「ありにゃん……。」

「ほめてません。はい、ミルク入り。」


 もそもそと起きた助手の着崩れは無視してコーヒーを嗜む。

 助手の向かい側に座ると、テーブルに置かれたツマミが目についた。

 出勤からのこの一杯コーヒーがネコミの好きなひと時である——はずなのに。


「じゅじゅ、あち、あち。」

「台無しじゃない。」

「あ、すいません……今月厳しくて。」

「キツネさんの金欠は、いつもでしょ?」

「うう。」


 目の前の頼りない助手がミルクを飲み終えるのを待ち、話しかける。

 やはりと言うべきか助手は寝泊りし、朝食の用意もしていないらしい。寝癖の残る髪を手櫛で整え座り直す頃には、寝ぼけ眼も少しは改善した。


「えっと、お待たせしました。」

「では始めましょうか。」

「はい、ネコミ先生センセ!」


 チラチラと私の昼食を見ている助手兼生徒に「今日は外を歩きながらにしましょう。」と提案し、外へと連れだした。もちろん昼食とカバンも持って。

 

 朝日が昇り、木漏れ日が暖かい。

 キツネさんの恰好は、昨日汚したローブと小さな杖、それにとんがり帽子。帽子の穴から両耳を出すくらいなら被らなくて良いと思う。もごもごと口も頬も動かして……私にバレないと思っているのでしょうか。じーっと見ると目が泳ぐので鼻をツンっと押しておきます。別に怒っているわけではありません。

 自然と手をつなぎ、私が先行して歩く、いつもの光景。

 

「今日は、どこに座ります?」

「……。」(もぐもぐ)

「おとといは湖の畔でした。小高い丘に行きましょうか。」

「……。」(もぐもぐ、ごくん)

「じー。」

「ごちそうさまでした。いつもおいしいご飯をありがとうございます!」


 少しは勉強した事を、私生活に活かしてほしいと思う反面、キツネさんの明るさに助けられている部分もある。恥ずかしいから直接は言わないけれど。

 ニコっと笑うキツネさんから目を逸らし、再び歩き出す。少し顏が赤くなってしまったか、目を見た時に笑顔になるから直視してしまったじゃないか。あ、手を強く握りすぎていないだろうか。


「ネコミ先生の手、あったかいね?」

「……温かい、ですか? いつも通りだと思いますよ。キツネさんはしっとり……べっちょりしてますね。」

「え!? あ、洗ってきます! あれ、先生……手。」

「放しませんから。」

「うう、せんせぇ~。」

「……放したく、ありませんから。」


 ボソっと呟いた事を聞いてくるキツネさんを躱しつつ、森を歩いていく。時折、指を動かすと小さく返してくれる事に温かくなりながら。


「温かいです。」

「いい天気ですよね、青空も見えていますし。」

「はい、温かいです。ありがとうございます。」

「どうしたんですか? 急に。」

「言ってみたくなりました。」

「私、何かしましたっけ?」

「昨日のツケ、利子をつけて返してくれるんですよね?」

「にょわ!」


 冗談ですよ? と言いながらキツネさんをからかい、丘の建物まで手を引いていく。

 私の講義で寝ちゃ……ダメですからね?




 丘の亭やねだけのたてものに着き、キツネさんへの談義を始める。

 明るくなったら談義をし、寝たい時に寝るという『ネコミ流談義』が、実は人気らしい。参加希望と定員増加の打診が絶えないけれども、ネコミ女史は一人に教える形を取り続けていた。

 こんなやり方が通じるのは、受講生が高給取として頑張っているからでもある。


「それでは、コホン。」

「……。」

「明日、いらっしゃるクマゴロさんは温厚な方です。少しくらいは許されるでしょうが、コーヒーの出し方くらいは覚えておきましょう。」

「……ごくん。」

「空のコップで練習です。一礼して音を立てないように置き、お菓子の乗った皿を隣に置きます。もし質問をされた場合に備えて、メモの内容は覚えておきましょう……良いですね?」

「お菓子、少なくないですか?」

「誰かさんが食べたから、1人分しか残っていないのですよ?」

「え!?」


 可愛いキツネ耳をツンツンしながら小言を言います。まったく、出すたびに食べてしまうんですから。安い菓子でも盛り付け次第で食べたくなるほどおいしそうに見える事を教えると、キツネさんは真剣な顏で聞きながら手が伸びていた。ペチン。

 小さな菓子をキツネさんの口に与えながら、もう一度させてみる。


「盛り付けもしてみましょう。食べ過ぎたら夕食が入らなくなりますよ?」

「……。」

「……集中力と独創性、器用な所は良い所なのに——」

「にゃあ!?」

「——失敗するはずの無い所で失敗。」

「せんせー。」

「練習用なので割れませんよ? 私も学びましたから。」


 学びましたから。経費で落ちるか心配な額の、キツネさんには伝えていませんが。たらい回しされて私の所に来たとはいえ、しっかりと教育してあげなければ。

 あ、そういえば。


「キツネさん、今日は寝癖を直しましたか?」

「ギクっ。」

「いけませんよ? 身だしなみ、ですよ。」


 怒られると思ったのか俯いてしまったキツネさんの横に座り、静かに抱き寄せる。怒っていない事を背中を撫で伝えると、小さな光をたたえた尻尾をブンブンと振っていた。

 キツネさんに生きる術や、人との関わりを教える事も私の仕事ではある……妹が出来たみたいだけど。

 手のかかるキツネさんとは、スキンシップの時間を多く取る。どこで振り切れてしまうか分からない。経過観察、という言葉は好きではない。実験動物としてではなく、キツネという個を尊重したいから。


 散っていく光の粒を横目に手櫛を続けていると、キツネさんの尻尾が落ち着いてきた。


「髪は整いましたよ?」

「せんせ? ここ、できない。」

「……ここは——」


 あえてキツネさんに、くっついたまま質問に答えていく。数日に一度、甘えたくなるらしい。

 少し頭が臭う……まだ湯を浴びる事に抵抗があるのかもしれない。とはいえ、明日からの仕事の話も詰めておきたい所。どう切り出したものか。


「わあ♪ きれい……先生せんせ?」

「ふふ、どうぞ。」


 一緒に盛り付けた菓子皿が綺麗になりました。キツネさんが社交の場に出る事は、無いかもしれない。今はただ楽しく、明るく過ごしてほしい。

 頬張り咀嚼しているキツネさんが手の届く距離にいる。静かに見守り、こちらを向いた時は笑いかけよう。急に不安になり「ちゃんと近くにいる」という事実を確認したいかもしれない。


 振り向いたキツネさんの顏は、私を見つけ安堵とも偽りとも取れる笑みを浮かべた。



 ※ こういう雰囲気を書きたいなぁ、描きたいなぁ。



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