第4話 明るい夜
私の事務所に来てからというもの、今回のように泣き叫ぶ事は無かった。
「せんせぇ……すぅ。」
「はい、いますよ。」
正直、遊びが過ぎました。私のいない時間を、どのように過ごしていたか報告を受けていたにも関わらず。疲れていた、とは言い訳にもならないだろう。
泣き腫らした目尻を指の背で優しく撫でると、キツネさんはむず痒がった。起こして……は、いないようだ。
ホッと息をつき、ズレ落ちた毛布を掛け直してあげる。
一撫でした後、親指で撫でながら先程のやり取りを反省することにした。
昼食を私の膝の上で食べ、片づける間も腰にしがみ付いていた。「食べる?」と聞いても、「何か飲む?」と聞いても顔を埋めるばかり……子育て経験の無い私には初めての反応で、対応の難しさを知る。こんな事になるなら、小児教育も学んでおくべきでした。
唇を、少し噛みました。
「キツネさん、起きてください。」
「んん、あ、ごめんなさい……寝てました。」
「はい、可愛い寝顔でした。落ち着いたようですし、事務所に戻りましょうか。」
きちんと謝る事が出来ているキツネさんを撫で、帰り支度をします。私も謝らなければ、と思うもキッカケを失いました。帰り際にしれっと織り交ぜましょう。言った事には変わりありません。
「先生、あの……。」
「う、手を、つなぎましょうか。」
無言で片づけていた私の顔色を窺うキツネさんに手を差し出すと、花が咲いたような笑顔を見せてくれました。あぁ、これからそれとなく謝ろうとしている分、心が痛い……。
「キツネさん、明日は支給されている服ではなく、一緒に買いに行った暗い色の服を……あ、ごめんなさい。黒色の服を着てください。」
「はい! えっと、先生?」
「髪は私が結います、何ですか?」
「先生の手、震えてます。寒くは無さそう……さっき先生が言ってた『緊張すると、震える。』ですか?」
思わず顔を背けてしまいました。私に寄り添い、小さく「先生、ありがと。」と言うキツネさんに「
事務所に戻った私たちは、明日の用意をしておきます。服も料理の下ごしらえも済ませ、夕食を隣同士で食べていると、キツネさんが窓を見ながら言いました。
「先生。食べ終わったら、寝なきゃダメ?」
「明日は、お客様が来ますから。」
キツネさんは長い長い夜の間、起きていたらしい。耳を折り畳み、尻尾を胸の前で抱きながら。
「キツネさん、今も、怖いですか?」
「……はい。」
「上司としては、慣れて欲しいですね。」
横目でキツネさんを見る。俯きつつ私の服を掴む姿が痛々しい。あまり甘やかしたり、私情を差し挟んだりは、彼女のために……。
でも。
「友人としては、一緒に慣れていきたいかも、です。」
隣でガバっと顏を上げるものだから思わず顏を背けてしまいました。背筋が伸びてしまったので、じわじわと戻しつつ——いや、珈琲でも飲んで落ち着かねば。
席を立とうと腰を浮かせた時、隣で同じように席を立つキツネさん。しっかりと腕を抱きしめられています。目をキラキラさせている事が、見ていなくとも分かりますよ!
「先生と、お友達♪」
「うぐ。」
「一緒に居たい♪」
「あにゅ。」
「先生、かわいい!」
「にゃあああ!」
夜の森にネコミの悲鳴が木霊し、キツネさんとの仲は……ちょっとだけ良くなったとか。
休憩室の
キツネさんが寝付いた頃、
私の昼寝用枕を可愛らしい鼻先に近づけると、のそのそと抱き着いた。しばらくは大丈夫だろう。臭っていないと信じたい。
差出人は、
いつも届けてくれる影のような方に、御礼を言えた事がありません。人見知りならぬネコ見知りなのでしょうか。
静かにソファに座り、猫の肉球印の封を切る。粗悪な見た目なのに
中身は、1枚の折り畳まれた布切れ。指先にピリっと刺激を感じる。一見すると他愛無い内容の布だが、私たちには何も書かれていない裏にこそ特別な意味がある。
チラっとキツネさんを見ると、規則的な息遣いが見て取れた。
胸に手を当て、小声で問う。
『問いかける者は、いない。』
指先を青く光らせ、布の上で指を滑らせる。
『問われる事も無い。』
光が布に吸い込まれていくにつれ、少しずつ青い文字が浮かび上がる。
『では、問いかけは何処にある?』
問いかけに問いかける、という同業者同士の伝達手段。クマゴロさんには、同業者が付いているらしい。読む手に、嫌な汗をかきました。
布切れには、明日の予定とクマゴロさんへの禁句や嗜好、持病が箇条書きしてある。禁句と嗜好については問題ない。特別な配慮が必要な方々への対応は心得ている。
だが、持病が問題だった。
「生まれつきのニオイフェチ、特に小さな子。難敵ですね……。」
男性経験の乏しい私もキツネさんも、男性に近寄られる事には抵抗がある。乗り切れば経験になるが、失敗すればキツネさんの将来に禍根を残してしまう。
出来る事なら私が対応している間、隠れていてほしい。しかし——
もぞもぞ
釣床が揺れた音で、慌てて布切れを折り畳む。見られてしまっただろうか。まだキツネさんは恐怖を克服していない。枕を確かめた後、様子を窺う私に手を伸ばし言う。
「せんせ……やらぁ。」
――全力で守りましょう。
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