第13話 呼び名の意味
「先生、おはようございます。」
「……おはようございます。キツネさんに寝顔を見られてしまうとは、不覚ですね。」
「えへへ、初めて見ました。」
ささっと身だしなみを整えると、キツネさんは残念そうな顔で私にくっついてきました。
ちょっとしたお返しに尻尾を荒くこすっておきます。森に声が響いたため、鳥たちの飛び立つ音まで聞こえてきました。
「さて、朝食の支度をして考え直しですよ。」
「はい、ん、手伝います……。」
キツネさんを腰に巻きつかせながら、朝食の用意をします。
「はむ。」
「にゃっ!」
――尻尾を噛んじゃダメ、です!
頭から湯気を上げている助手の前に置いた朝食は、大きい方の果実を添えて。許してはいませんが、しっかりと食べる事とは関係ありません。
落ち込んだかと思えば、朝食に飛びついて顏を綻ばせる。気分屋なんですから。
「食べにくくないですか?」
「もっ、もっ。」
隣に座り、腕を組みながら食べる朝食に苦言を呈したものの、キツネさんは私の小皿を凝視するばかり。
そーっと腕を解こうとすると、食べるのを止めてまで組み直す様は何と言うか。
「食べま……よく噛んで食べないと、太りますよ?」
「ごちそうさまでした。」
なぜ差し出した中身を
小皿を置き、静かに抱き寄せます。ポンポンっと背中を叩くと「けぷ。」という小さな
「そろそろ戻りましょうか。」
「はーい。」
落ち着いたキツネさんは私から離れ、『問いかけ』に向かって歩いていきます。やはり解いていましたか。私も小皿を下洗いして、事務所に持ち帰りましょう。
キツネさんは、『問いかけ』の言葉を無視して歩み寄り、そして透過する。
さっとゆすいで荷物をまとめた私は、キツネさんが『問いかけ』をすり抜けて領域に入った事を知り、血の気が引いた。
先に入ったという事は、時間の流れが異なる領域に独りぼっちという事。
いくつか食器を洗い残したまま、荷物を鷲掴みに淑女らしからぬ疾走で、飛び込むように入場し——
ゴッ、ズザザ!
「え、あああ!」
――キツネさんに膝蹴りをしてしまいました。もんどりを打って倒れる少女に駆け寄り抱き起こすと、側頭部に
泣き腫らした目元も流した涙の
「10秒も経っていないは、ず……。」
外の1日は、領域内の4年である。あっという間に死に別れる内外差。
たった10秒とはいえ、キツネさんは何時間一人で泣いていただろう。
「ぶたないで、ぶたないで。」と怯え、逃げようとするキツネさんに叩かれても耐えます。
ここで離すわけには、いきません。
猫が毛繕いをするように、ちょっとだけ強めに
「寂しかった。外に出れなくて……勝手に入って、ごめんなさい。」
「はい。入る時と出る時は、一緒の方が良いですね。ちなみに事務所に戻ります?」
「もう少し、このまま。」
内側で休む分には、
何か食べる物を、と荷物から保存食を取り出します。キツネさんの耳がピクっと動きました。
屋外で手づかみになりますが、今日は大目に見ましょう。
大人しく
「あ、私にも残しておいてくださいね?」
「もっ、もっ。」
「……怒ってます?」
なぜでしょう、尻尾を振ってくれません。背中を押し付けてくるので嫌われては、いないようです。手櫛で機嫌を取ることにしました。
「キツネさん、かゆい所はありませんか?」
「ここ。」
「事務所の掃除が終わったら、お風呂も用意しましょう。」
「……うん。」
事務所を空けて半日経つ。きっと埃まみれでしょうね。建付けの悪い扉も、そろそろ修理を考えないと。
本当に、時間の流れが早く感じます。ざっと1200倍に。
「折角ですから、耳掃除もします?」
「……3日前にしてもらったもん。」
「そうですか。」
最近、してあげたのでしたね。数年ぶりに見る
撫でながら何と話しかけようか考えている私に、キツネさんはゆっくりと振り返り問うた。
「ねぇ、先生。私の事……何年ぶりに見るの?」
キツネさんの不安気な瞳が私を見つめている。気づかれたという事実に、ひくつく口元を手で隠し、とぼける事にした。
「どうしたんですか? 昨日も一緒だったじゃないですか。」
「先生、寂しそうに……違う、懐かしそうだったもん。」
答えに窮する。雰囲気で分かった、とでも言うのだろうか。
「懐かしそう、ですか。」
「先生、困ったら口を隠すもん!」
……良く見ている。怪訝な面持ちのキツネさんに、真実を話しても悪い方へ考えるでしょう。
努めて無表情で手を下ろし、言葉を選んでいく。
「そう、ですね。説明しづらい事ですから。」
「また、はぐらかそうとしてる!」
「ふう、どこで話しましょうか。」
「どこで話しても同じだもん!」
「では、寝ます。よいしょっと。」
熱くなっているキツネさんに背を向けて横になります。背の高い雑草を押しやり寝る場所を作りました。
急に寝始めた私に、キツネさんは動揺しているようですね。
聞き耳を立てていると、小言を垂れながら近づいてくる足音が聞こえてきます。はいはい、お菓子は沢山作りますからね。
尻尾をフリフリして誘っていますが、手の届きそうな距離で立ち止まったようです。
「先生、お話……。」
「私は、あなたの先生では無くなりました。ただの昼寝をしているネコです。」
「先生は先生だもん。」
「キツネさんもどうですか? 気持ち良いかもですよ?」
しがみついてくる小さな手を包み、落ち着くまで待つことにします。あなたが居たいだけ居て良いんですよ? これからは期限なんて無いですから。
キツネさんは私を恐れるでしょうか。何年、一緒に居られるでしょうか。童話には、小さな子の教育目的で、〝
『問いかけ』で
「あの王が、変な妄想を足すからですよ、まったく。」
「せーんーせーいー。」
皆に誤解されていても、キツネさんに理解されていれば……良し、としましょう。
――――――
※ 蛇足
ネコミ女史がキツネの入域に気づいて飛び込むまでの10秒は、4時間ほどです。
一人で出来る、と考え行動した後に「親がいない」と気づいた子が泣く所から。
慌てて飛び込んできたネコミを見た、懐かしそうな顏、時間の計算、そしてウソ。
キツネさんも考えているのです。
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