第1話「人生二度目のソラは晴れない」
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夏の終わりの頃、まだ残暑の残る頃だったと思う。私は八畳一間トイレ付きで、天上がそこそこ高く、手の届かない程の高さに鉄格子の付いた窓が一つだけ付いている部屋で生活していた。いや、生活させられていた。その証拠に、この部屋に特筆すべき所として監視カメラが複数存在し、唯一の出入り口である無機質な白の扉はこちらからは開閉できない。
この部屋での生活が始まったのは四、五年前、このような制限の多い生活が始まったのは十年近く前になる。それ以前の生活について、今はまだ語るときではないだろう。とにかくここで肝心なのは、私は長年に渡って監禁に近い、むしろ監禁よりも深刻な生活を送っていたということだ。
具体的に言うと、私は被検体、実験体、もしくは世にも稀少なサンプルとしてこの組織に引き取られた。別に最初からそういう名目だったわけではないのだが。むしろ最初の方はわりと高待遇だった気もするし、自由度もあったような気がする。しかし、最初の建物から移送されてからは目に見えて過酷になった。非常に人道的なまったく苦痛の伴わない実験や検査から、苦痛の伴う(そして見事なことに後遺症の残らない)ものになった。
私はその研究の目的を微塵も知らないままに、ただただ昔持った自分の中の正義感の種を温め、世の中の悪を許さない心を育み続ける日々を送っていた。というふうに振り返って思う。ただ単に復讐の毒沼に身をやつすことよりも、多少歪んでいたようだった。
そんな日々に別れを告げるところから、私の物語はスタートする。
部屋にある数少ない家具であるベッドの上に寝そべりながら、無骨に存在を主張している監視カメラだらけの天上を眺めボーっと精神の休養を取っているときだった──。
突然鳴り出す警報音と赤く染まる照明。突然の出来事に加速を始めた心臓を落ち着かせながら、冷静に状況を分析しようとする。
何かの異常事態であることだけは自明だ。さらに、窓から見える景色から判断するに、外で災害が起きているとか、そのような事ではないと思われる。
行動を起こすべく、開かないはずの扉を押して見る。
今まで押しても引いても微動だにせず、その見た目から絶対的な威圧感を持っていた扉があっさりと開いた。あまった勢いの分だけ姿勢が崩れる。
外に人はいなかったし、なぜか全ての扉にロックが掛かっていなかった。時折、所内放送用のスピーカーから「敵が来た」とか、「セキュリティーが掛からない」とか、「人員をどこどこに向かわせろ」などという会話、もとい叫び声が聞こえてくる。
この施設から脱出するには今しかない。
昔の記憶から何から脳みそをフル回転させて、施設の間取り、地図を頭の中に想像する。とりあえずここは地下だから上に向かおう。
人の気配に十分注意しながら階段を探す。エレベーターは動いているか分からないし、危険度も高いから全てパスだ。
人に会わないことを祈りながら階段を登る。普段使うことを想定されていないからか、道幅は狭い。人が二人並んでギリギリといったぐらいだろう。出来るだけ足音を消して、聴覚を働かせる。
なんとか誰にも見つからずに一階へ辿り着けた。どうやら、施設の人員が侵入者のいるフロアに集中されているようだった。
周囲の景色が百八十度ぐらい転換する。まさに研究施設のような白い風貌から、昔の木造の洋風邸宅へと変わる。ただし、床の赤いカーペットは乱れ土が散乱している。
この施設は一階から上が全部見かけ上、洋風の屋敷のようになっている。カモフラージュの為なのかもしれない。となると、問題の敵は地下へ向かったのかな。上の階には特別なにがあるわけでもないだろう、そうじゃないとカモフラージュの意味がない。
そういう事なら、さっきまでほど警戒はしなくてもいい。それよりも騒ぎが収拾する前にここを出ないといけない。それから出来るだけ遠くに遠くに逃げなければ。もう二度とあいつらに捕まってたまるか。
すっかり人気のない館の中を歩き回って出口を探す。
たくさんの扉が並ぶ廊下を歩く。
私の横を石像や花瓶が通り過ぎていく、そして、突然それは視界に入ってきた。気配を一切感じられなかったので、一瞬その前を素通りしかけるが、自分の視界に少しでも現れた時点で、その派手な金色の髪を置物だと判断して無視することは不可能だろう。
一、二歩後ずさり、その少女と向き合う。わざわざこうして立ち止まったのは、その少女から敵意を感じられなかったからか、どこか自分と同じ境遇なことを感じ取ったからか。見た目から言うと戦って負けるような気はしない。したがって危険度は低い。
歳は十二程だろうか、長い金髪のストレートが少女の腰掛けている巨大な旅行鞄に垂れている。この館に似合うフリフリの赤いドレスを着ている。が、現代に適応していると思えない。私はこれまでの人生でそんな格好をした人間を見たことがないし、そもそもドレスなどという実用度外視の衣装に巡り合う人生でもなかった。
少女の口から鳥のさえずりのような声が流れてくる。
「私も連れていきなさい」
ただ一言。その言葉には何も考えなければ身体が自然と動かされるような、おおよそ声の感じに似合わない重厚さがあった。まるでこちらに肯定を強要しているようだ。
だが、はっきり言って、こんな少女を連れて行く余裕なんてない。よって、私は「ごめん」と簡潔に否定の意を表明してこの館からの脱出に専念しようとする。完全に無視して行ってしまえばいいのに、少女の言葉の続きを待ってしまった。
「待って、私も連れていって…………、ここから出たいのよ」
さっきに比べると、小さじ一杯分くらい弱気になっていた。それでもまだ、人にものを頼む態度ではない。育ちのいいお嬢様だったりするのだろうか。人にものも頼んだことがないという。
「どうして? 俺になんの得がある?」
「…………」
少女は無言でこちらの目を注視する。何故そんなものが必要なの? と暗に示しているようだ。
これ以上は時間の無駄だな。こういう状況だからこそ、判断に時間を割いてはいけないだろう。仕方がないが……。
「分かった。行こうか」
どうしてか同伴を許してしまう私なのであった。つくづく甘い。ものを断る経験が少ない人生だったからだろう、ということにしておく。
「はい」
これは私への返事ではなく、物を手渡しする時の言葉だ。少女は当然の如く、自分の尻に敷いていた旅行鞄を渡してくる。すごく重かった。自分じゃ持てないから持てとでも?
「何が入っているんだ? こんなものを持っていたら邪魔になるだろ」
「すべているものよ。何もなしで、どうやって生存するつもりなの?」
「それはそうだが……」
それにしたって重い。中に鉛でも詰まっているんじゃないか? 荷物は必要最低限に絞ったらどうなんだ。明らかに容積を超えた重さのような気がするし。
「先を急ぐわよ。ついてきなさい」
「場所分かるのか?」
「ええ、施設の地図は覚えているもの」
「そうか」
じゃあ、一人でも十分脱出できたのでは? 浮かび上がる疑問は気にしないでおく。とにかくここを出てからだ。
あっ、と、少女が何の警戒もなく曲がり角を曲がろうとするので、
「ちょっとまて」
小声と手で少女を制止させる。
「なに?」
声を潜めようともせず不満を込めた返事が返って来る。馬鹿かこいつは。
「誰かいたらどうするんだ?」
「誰もいないわよ。ここの階にはね」
「どうしてそんなことが分かるんだ」
「精神把握系の知覚魔術って言ったら分かる?」
「君は魔術が使えるのか?」
「そうよ。最近は使えない方が少数でしょう」
「そうですか」
それにしたって、さっきから別に魔術を発動する動作は見られなかったけど。1フロア全体を索敵する程の規模なら、もっと明らかにそれと分かるような儀式や道具が必要な気もする。それに相当脳のリソースを割かないといけないはずだ。それとも私が知っている頃から魔術も飛躍的に進歩したってことなのかな? ちゃんとした魔術師にあったことはないから分からないけど。
まあ、嘘をついている感じもしないし気配もないから、とりあえず人はいないんだろうということにしておく。
周囲を警戒しつつ迷いのない足取りでまっすぐに出口を目指す。
エントランス、だったか馬鹿に広い玄関部分に出る。大きな両開きの扉が視界に入った。
突如、正面から金髪で白衣を着た男が歩いて来る。さっきまで前に人なんかいなかったはずじゃ……それに索敵はどうした。
私は身構える。
交戦するか。
少女は気にしないでそのま進んでいく。あの男が見えていないのだろうか? その小さな肩を掴んで引き止める。そして男をじっと見つめるがサングラスに阻まれて奴の表情の半分しか見えない、その口元は微かに笑っている、のか。
「大丈夫そいつは無害よ」
何故か少女が見知ったように呟く。確かに敵意は一切感じられない、というか考えが読めない、何をしでかすのか分からないので自然と警戒は解けない。
結局男は通りすがりに私の肩をポンと軽く叩いただけだった。そして何もせずに、私の認識外へと消えていく。まるで煙か何かのように、跡形もなく──。
「行くわよ」
前を行く少女の声で思考を現実に戻す。とにかく今は先を急いだほうがいいだろう。
そこから先、不気味なまでに何もなく、普通追手に追われながら決死の脱出だとか、建物が出た瞬間に崩壊するとか、なんらかのアクションがあってもいい気がするが、幸いなことに一つのイベントもなく外へと辿り着く。
私はしゃばの空気はうまいな~とか思いながら、空を見上げる。辺りを見回す。普通に山奥でしかも片側に崖があるから建物自体が少し見つかりづらい立地だ。そして、空は相変わらずのっぺりとした無彩色の幕に覆われている。
最後に青空を見たのいつのことだったか。
と、私が久しぶりの外の景色に感慨にふけっている中、隣で少女がせっせと鞄を開いてその中から怪しげな黒い粉の入った瓶を取り出して、その中身を円形に地面に並べている。
「何をしているんだ?」
正直、早くこの建物から離れてどこか遠いところへ消えたい気分なんだが。
「私よりも後ろに移動して」
言われたとおりに後ろに下がる。
「で?」
「****(以下略)」
早口で聞き慣れない漢字ばかりの文言をまくしたてる。
地面の黒い粉が赤く発光したと思えば、次の瞬間には屋敷全体から炎が上がっていた。
「さて、行くわよ」
少女が鞄を閉めながら言う。
ちょっとの間ぼうっとして自分の身長の何倍もある炎を見ていた。私の歴史の
酷い話だ。燃やしてしまうのも、その建物があった目的も。
「今のも魔術?」
「そうよ。細かい理屈は理解できないでしょうから省くけど」
「そうかい」
晴れ晴れしくもないなあ。
無機質な表情で屋敷に背を向ける少女は何を思っているのか。
とにかくこれで自由の身になったのだ。物理的な縛りはなくなった。
大きく伸びをして、思い出したくもないことから心を離して、まだ見ぬ世界のことを思った。これから何をしよう、何をしていこうか。喪失感に似た爽快感、開放感を味わいながら、周囲を見渡して、深く空気を吸い込んだ。
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