2-2
朝日のない灰色の空の下、今日も朝が来た。
宿屋にゴロツキも来た。
その前に、少し育ちの良さそうな二十歳になるかならないかくらいの青年が、クローゼットに転がり込んでいた。宿屋の入り口にいるお兄さんたちには内緒だよ。
相変わらずカナリアは鞄の中で寝ていて、目覚めはもう少し先だろうから、この部屋で私だけが駆け込み訪問者を察知した。そのせいで少々睡眠時間が削られてしまう。さあて、何者だろうか。
いい加減に警戒しつつ、例のクローゼットを開ける。中には大事そうにアタッシュケースを抱えた男が入っていた。あまりにも静かだったので、勝手にガタガタガタと効果音を補足しておく。
「出ていってくれないか」
相手は変に肝が座っているのか、動揺は見られない。
「すみません。ちょっと隠れないといけないものでして」
「面倒事に巻き込むつもりか」
「いえいえ、ただあなたはいつか来るだろう目つきの鋭いお兄様方に、ただ一言。だれもいませんと言ってくれるだけでいいんです。あとは僕が自分でなんとかしますから」
よく喋るやつだ。
「それで、こちらに何のメリットがあるっていうんだ」
ここで、まともに会話しようとしたのが悪かったのかもしれない。
「なに、メリットですか。見返りを、ご所望ですか。よろしい、それでは僕が最近入手したとっておきの一品をご紹介します」
男は持っていた鞄の中をゴソゴソと漁り……。どう見ても鞄の薄さよりも深く手を入れているような、まさかこれも魔道具なのだろうか。カナリアが起きてればすぐに分かることなのに。
「テッテレー、折り畳み傘ー」
謎の前振りとともに、小さく二十センチほどに畳まれた傘を取り出す。見た感じはただの小さい折り畳み傘だ。
「へえ、海外製品じゃない。珍しいわね」
男の声が大きかったのか、いつの間にかカナリアが後ろに立っている。
「これはどういう状況かしら」
カナリアを見るや、正確にはカナリアの衣装を見るやいなや、男の目が変わる。
「僕はしがないセールスマンです」
声も半音上がっていかにも作ったという声色だ。
どこからともなく小さなカードを取り出してカナリアに渡す。
「ウイスキー・クルップ」
カナリアがそのカードに書かれた男の名前を読み上げる。私のときにはどうして名乗らなかったのだろうか。
「それで、どうしてセールスマンさんがクローゼットに半身つっこんで話しているのかしら」
「それがですね。今日の午前中だけ匿ってもらえないでしょうか。その代わりと言ってはなんですが、こちらの傘を」
「失礼、傘ならもうあるの」
「なら、代わりに何かご希望の品などはありますでしょうか?」
「ないわね。何もかも間に合っているの。特に『面倒事』は余っていて捨てないといけないぐらいだから。おとなしく他を当たってくれないかしら」
相変わらず辛辣だなあカナリアは。寝起きで不機嫌が加速しているのかもしれない。
「仕方がないですね。ならばとっておきのこの品で……」
ゴソゴソゴソ。
「これじゃなくて、これでもなくて、あれは違うから……ううん。どうしましょう。これと言ってお嬢さんが満足しそうな物が見当たらない。逆に買取をさせて欲しいくらいです」
クルップがカナリアの全身を細かく観察している。変態のように見えるが、視線はいたって真剣だ。いったい何を見ているというのだろうか。カナリアのドレスの価値が分かる人なのか?
「あら、私のこのドレスの良さが分かるのね」
「ドレスだけでなくアクセサリー類も素晴らしいですね。僕も商売人の端くれなのでそれくらい分かります」
「謙遜はしなくていいわよ。それだけ見抜けるのは並の鑑定士ではないわね?」
おっと、何か私の預かり知らぬところへと会話が進んでいくような気がする。完全に分からなくなる前に止めないと。
「何の話をしているんだ?」
「私の衣装についてよ」
「それは分かるが、なんだよ。見抜くだのなんだのって」
「あなたは分からなくてもいいのよ。本当ならそこの商売人さんも分からなくていいことなのだけれど」
「また俺を置いていくようなことを言って」
「残念だけど、まだ完全に信頼してるわけじゃないのよ。泡沫が知らなくたって何も不都合はないわ。私の味方である限りにおいてはね」
「おやおや、お二人さんはあまり仲がよろしくないのかな」
クルップがいらない口を出してくる。
「それこそあなたには関係のないことだわ。いい。早く部屋を出ていってちょうだい」
「いやいや、そんなこと言わずに是非、見返りは用意しますから。大丈夫です。私にはそれないのコネクションがあるのです」
「誰があなたみたいな初対面でクローゼットに入っていたやつを信用できるというの。いいから早く出ていきなさい。フロントに言いつけるわよ」
「お願いします。それだけは勘弁してください」
いい加減、かわいそうになって来たなあ。
「なあ、どういう理由なんだ?」
二人の間に割って入る。追い出すのは理由を聞いてからでもいいだろう。
「ダメよ泡沫。対等に会話しようとしては駄目だわ」
「いいじゃないか。こんなに頼みこんでいるんだから」
「まったく。私は止めたわよ」
カナリアは横にあるベッドに座り込む。小気味よくスプリングの音がする。
「さて、話だけでも聞いてやるから」
「ありがとうございます。えーとですね。その前に、あなた方はこの町の住人ではないですよね」
「ああ。訳あって旅をしている」
「やはり、そうですか。なら、この町の掟というか、今この町を取り仕切っている集団についても知らないわけですね?」
「何?」
「今、この町は
ふむ。この町に警察組織はいないのだろうか。前の町は国の組織自らが一方的な支配を敷いていたから、どっちみちではあるか。にしても続けてこうも無法者に当たるとは、この国は本当に治安が悪い。どうにかならないものか。
「そうなのか」
「ええ、まったく、わざわざこんな田舎に来て何がしたいのか分かりませんが、それ自体はないことではないでしょう。問題はですね。今、僕がそいつらに追われているということなんですよ」
だんだんと声を大きくしながら言う。隠れなきゃいけないんだったらもう少し声を抑えて欲しい。
「それで、なんで追われているんだよ? 早く理由を言ってくれ」
「まあ、そう急かさないでくれ。今言いますから。それで、僕ももともとここに住んでた分けじゃないんですけど、あるきっかけで雁木側に加担したことがあったんです。そこで少し繋がりが出来てしまって。で、まあ、今日に至ると言うわけです」
話が長い、そして、今追われていることについての理由がまだない。実際のところ、話して匿ってもらおうなんて気は、ちっともないんだろうか。そうだ、いったいどうしてこんなやつと長々と話しているのだろうか。
ここに来て私の中にようやくひとつの考えにたどり着いた。そう、こいつは本当に匿ってもらう気がないのだ。ただ長話をして、ただ、時間を稼ぎたかっただけなんじゃあないのか。こいつは先程午前中だけでもと言ったが、今このちょっとした時間だけしのげればそれでいいということじゃあないのか。
「もういい、これ以上はいい。今すぐ出ていてくれないか」
そう気づいたときにはもう遅く。
「分かりました言います。直接の理由は僕が盗みを働いたからです」
「ねえ泡沫、外に誰か来たわ」
「え?」
「おっと、ちょうど頃合いのようですね」
クルップはきれいなターンで再び後ろにあるクローゼット、ではなく、一番近くにあった私のベッドの下にきれいに身体を滑り込ませた。
カナリアが言うには外にがたい男が数人、車から出てこの宿屋に入ってきたらしい。全員何かしらの武器を持っていて、恐らく魔術師はいないそうだ。
とっさにベッドの下に隠れたクルップの反応を見るに、どうやら話題にあったならず者らしい。
クルップを部屋から叩き出す暇もない内に、階下の方から野太い声が聞こえてきた。何も大きい声を張り上げるなよ。まったく、この分だともう敵対してしまうか。私のことだからどのみち見逃せないだろうけれど、それにしたって、流れるように巻き込まれてしまったな。でも、こうなれば退く理由もなくなった。
「早くもこんなことになってしまうのね」
「どのみち、こうなっていただろうから。少し早まっただけだろう」
「もう少しくらい私のことも考えて欲しいのだけど」
「しかたないだろうよ」
「分かっていたけれど、もう少しゆっくりしたかったわ」
カナリアは鞄からいくらか道具を取り出して部屋の奥で準備する。私は手元にカナリアからもらった短剣を準備して、ひとまず相手に見えないように隠しておく。念を入れておくに越したことはない。
ドタドタと無骨に階段を登る音がする。
野蛮な悪の声がした。
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