第2話「旅の途中のヘビと焚き火と」

2-1

 私たちが宿屋にたどり着いたのは日が暮れてすぐのことだった。

 なんとか周りが見えなくなる前に落ち着けたのはよかったものの、正直隣町がこれだけ離れているのは誤算だった。

「なんだか町と町の間隔が広くないか?」

「こんなものじゃないかしら」

「そうなのか」

 疲れに任せて身体をベッドに押し付ける。

「それにしても、これで悠々自適に外の生活を楽しむわけにはいかなくなったな」

 近い内に国の方から追われることになるだろう。そうなれば一つの場所に留まることは出来なくなるわけだ。あの町には監視カメラもかなりあったから、顔がバレてしまった。

「今更、後悔しているのかしら」

「どうだろう。それでも俺は人を助けたいと思う」

「自分のことと他人ひとは違うって分かってても?」

「そうだな。やっぱり目の前の悪は放っておけないよ」

 ああそうだ。昔、あの施設に入る前のころにあいつとも約束したしな。あんな頃の夢なんて思い出さなければ、いや、それも関係のないことだ。とにかく、こんな身になってしまったから、こんな身でないと出来ないことを考えよう。

 前向きに、未来志向で行こう。

「それと、カナリア」

「何かしら」

「あの〈七赤〉とか言うのは何だったんだ。あいつら律儀に名乗ってたし」

 正々堂々と戦うなんて決まりでも……ああでも、名乗る前にも後ろから発砲された。だとしたら最初に声をかけた男がただ馬鹿だった? これも名乗る理由にはならないな。

「ねえ、あなた学校という場所を知っているかしら。ああ、学校には言ったことがないと言ってたわね。じゃあ、この国の行政制度について何も知らないわけね」

「俺の無知はいいだろ。早く教えてくれ」

「無知の知は結構だけど、もう少し恥じた方がいいわよ。で、〈七赤〉というのは称号、役職なのよ」

「役職? 名字じゃないのか」

「そこがポイントなの。〈七赤〉という役職は赤の七区という決められた土地を管理する機関の長なのだけど、その役職の人間は同時にそれを名乗るの」

「それになんの意味があるんだよ。名乗るって、礼儀とかそんな程度だろ。敵にすることじゃあない」

「そうでもないのよね。名というものはそれだけで効果を持つ魔術具なのだから」

「は?」

「だから魔術具だと思ってくれればいいわ。名は、〈七赤〉という名は持っているだけで効力を発揮する魔術具のようなものだわ。もちろん、魔術という性質上、具体的な現象に込めないといけないわけだから、名乗りの必要性が生じてしまう……」

「ちょっと待ってカナリアさん」

「ここまで何か?」

 カナリアは教師のイメージなのか、ありもしないメガネをクイッとするフリをする。相変わらず無表情かつノリノリの演技だ。

「何かも何も、全然内容が頭に入ってこない」

「はあ」

「いいか、俺は魔術どころかろくに学問もしたことがないんだ」

「堂々と言うことではないわ」

「もっと分かりやすく言えないのか」

「安易な表現を選ぶと本質を損なうわ」

「それはもうどうでもいい。じゃあ、結論だけ言ってくれ」

 そんな長々とした説明を私が理解しきれるわけなどない。記憶にも残らないだろうし、それに知らなくたって結果が分かれば十分じゃないか。

「簡単に言うと、〈七赤〉は土地の管理者で、名乗るのはそれによって魔術的なサポートが発生するからなのよ」

 うん。まだ分からないところがあるが、よく分かった。つまり魔術だ。なんて便利な言葉なのだろう、まるで魔法の言葉、そう魔術だから。

「よし分かった。ようするに、あいつは偉い奴で、名乗ることで発動する魔術なんだな」

「まあ、それでいいわ。本当はもっと高度な魔術理論から、魔術の根本的な意味論による……」

「もういい。お前の説明は眠くなる」

「人に聞いておいてその態度はいただけないわね」

「自分が理解出来ない話はいただけないから」

 さて、この話はこのくらいにして。もう少し今後のことについて話した方が建設的だろう。これから先の方針を立てておかないと、どうせすぐにここも発たなければならないしな。

 カナリアの不思議なバッグから折り畳まれた紙の地図が取り出される。地図は二枚あって一つはこの周辺、赤の七区を中心にその前後左右の区が入る程度の大きさのもの。もう一つはこの国全体の地図である。私はこれを見て始めてこの国が完全に海に囲まれた隔離された場所にあるのだと知った。端に巨大な大陸が見切れている。

「まずは、一番肝心な方針を固めるわよ」

「というと?」

「国内に留まるか、海外脱出か」

 海外脱出。

 いまいちこれといって実感の湧かない話しだな。そりゃあ国外へ逃げればおそらく追手の心配はないだろうけれど、

 ──逃げるのか?

「海外に出る手段はあるのか?」

「あるわ。確定しているわけではないのだけれど、そのつてはある。だけど、あなたがそれでなっとくするかどうかなのよ」

「俺のことなんて放っておいて一人で行くという選択肢は?」

「冷たいのね」

「どっちがだよ。カナリアはあんまり親切するタイプじゃないだろ」

「まあね。足の問題なのよ。私一人では、やっぱり心細いから」

「そうか」

 意外に寂しそうな顔をするもんだな。

「いずれにしても当面の行き先は一緒かしらね」

「? 海外脱出をしないならどうするんだ」

「まずは東へ、紫の七区へ。そこから、中央に向かって紫の一区に行くわ。海外へ行くならさらに進んで青まで行くけど」

「そういやこの中央のやつはなんなんだ?」

 地図にはおおよそ円形で北に水、時計回りに青、紫、赤、橙、黄、緑という風に地名が並んでいる。さらにその中で中央から順に一から七の数字が振り分けられている。それで全部かというと、ちょうど中央の部分に楕円形で別の地名が書かれている。

「ああ、地図もちゃんと見たことないのね」

真面目な話だからか、追撃はない。

「この国の首都、参令郷さんりょうきょう、そして唯一の安全地帯だと言われているわ」

「治安がいいのか?」

「実際のところは分からないけれど、軍隊だとか警察だとかが集中しているし、他よりマシなのわ確かね。逆に、かろうじて先進国の体裁を保っているだけとも言えるわ」

 ううん。

「つまり上辺だけってことか? あと、先進国ってなんだ」

「さっきから質問が多いわね」

 カナリアは一度ため息をしてやれやれ言わんばかりである。実際は大きいリアクションはしていないけど。

「泡沫は、この国は世界的に進んでいると思う?」

「考えたこともない」

「やっぱり」

「ただ、今の社会は変えたいと思う」

「やっぱりそうなるのね。あのね、昔はこの国も世界的に進んでいる国の一つだったの。けれど、魔術の実用化、第六次産業革命にこの国は乗り遅れたわ」

「それが原因なのか」

「というよりきっかけなのよ。元々時代の変化を許容しづらい国だったの」

「でも今は変わらないといけない状況になってる」

「そうね」

 ちょっと頭が混雑してきたな。色々と初めて知ったことが多くて整理が追いつきそうにない。「もうこの話は終わりにしよう。頭が疲れてくる」

「それじゃあ最後に、泡沫の意志を聞かせてちょうだい。当分の方針について」

「俺はとりあえずカナリアに付いていくことにする。他にあてがない。ただ、その道中何をするのかまでは保証できない。昨日みたいなことになるかもしれない」

 自分で自分をコントロール出来る自身がないし、どのみち目の前の理不尽を見過ごすよりはいいと思っている。それについてカナリアも巻き込んでしまうのは申し訳ないが、それを抜いても自分を犠牲にすることをいとわないだろう。

「分かったわ。さしあたり今日はもう寝て、明日中にまた移動しましょうか。出来れば乗り物の当てがほしいわ」

「ちなみに、カナリアはどういうつもりなんだ?」

「何が?」

「カナリアの望みというか目的というか、目指す場所はどこにあるんだ?」

 カナリアは少し俯いてしばらく考えてから言った。

「私にも分からないわ。正直なところ。あまり何がしたいかなんて考えられないのよ。安全に暮らせることが重要で。外に出たら何か変わると思ってたんだけれど」

「ふうん」

 それについて私は深入りを避けた。私と同様カナリアも暗い過去や心の底に黒いものをいくらか抱えているだろうから。

「さて、私はもう眠るわ」

 そう言ってカナリアはホテルのベッド、ではなく彼女の旅行鞄の中に入る。あの中の寝心地はいかほどなのだろうか。いつか中に入ってみたいものだけれど、どうせカナリアは許してくれないだろうな。

「おやすみ」

 誰に言うでもなく独りで呟いて照明を落とす。それでも窓から入る外の町明かりのせいで完全には暗くならない。前の町はこれよりも暗かったし、あの施設はもっと暗かった。ベッドだって施設のものよりは良いし、さらに幼いときに使っていたものより広々としている。

 気づけば普通の町の中にいるのだ。

 場所だけは平凡な世界にいる。

 幼い頃は貧しい場所で、同類はたくさんいたけれど、それでも一人、いや二人きりだった。それから本当に一人になって、今また二人でここにいる。

 このまま何も起きずにただの放浪生活になるのなら、多分今までの人生で一番平穏なのだろう。ただ、つまらない日々だ。なんていうと逃亡者の自覚に欠けるが……。

 なんだろう、私は何がしたいのだろう。

 昔した約束があった。

 昔見た悪があった。

 昔のことを回想しながら、ゆっくりと意識が闇に沈んでいく。

 感覚が溶けていく。

 鈍色の睡魔にその身を預けたとき、遠く夜を引っ掻く悲鳴を逃した──。

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