1-4

 朝が来る。眩い朝日が私の視界を白く染める、なんてことは今のところこの国ではありえない。相も変わらずぼんやりとした灰色の空が広がっているだけだ。

 空と同じくぼんやりと冴えない意識を、せめて物を考えられる程度に晴らすべく、私は立ち上がりゆっくりと身体を伸ばす。外で寝るのはかなり久しいはずなのがあまり身体が痛くないな。

 地面には焚き火の黒い跡が虚しく残っていた。そしてその向こうに明らかに周りから浮いている鞄が置かれている。カナリアはまだ起きていないようだ。時計がないので確かではないが、もう九時は回っていると思う。カナリアは朝が遅いほうなのか。でも、時間を無駄にするわけにはいかないからな。問題はどうやってカナリアを呼ぶかだが……私には魔術の心得なんかないので正当な手段で呼びかけることは出来ないし、ってそもそも音は聞こえているんだろうか。

「おーい、カナリア」

 鞄に反応なし。

 今度はもう少し大きな声で、

「おーい、朝だぞ―!」

 それでも反応はなし。

 音は中に届かないんじゃないだろうか。としたら他にできるといえば……、鞄に触るのは無理、音は届かない、周りを掘り起こして鞄を動かすのはめんどうだな──。

 ああ、そうだ、昨日の薪代わりの木の枝がまだ残っていたんだった。

 私は数本の木の枝をカナリアの鞄の方へ投げつける。手から離れた枝がデタラメに飛んでいきバラバラに鞄を覆う結界にぶち当たる。枝が空中で一瞬停止して、パリパリと軽い音を立てて粉々になる。昨日のときはこんなに容赦ない威力だったっけ。

 とにかくこれでカナリアは出てくるはずだ。結界の状況は常に把握できるようにしてあるだろう。

 しかし、鞄からは反応は返ってこない。

「あんまり、遅いと置いていくからな」

 と言ってもこれじゃあ聞こえていないのだろうが。

「ガタガタ(鞄の開く音)」

「──!」

 こいつ、動くぞ。

「今、私を置いていこうとしたかしら」

「いいえ」

 鞄の中の妖精もといカナリアがのっそりと鞄の中から出てくる。

 なんだ聞こえているんじゃないか。

 彼女は地面に着いてからスカートの裾をつまみ上げて鞄から出す。昨日と同じく赤いドレスを来ているが、よく見ると別のドレスのようだ。ドレスの着替えまで用意しているなんて準備のいいやつだ。ますますその鞄の中身が気になってくる。

「いったい、その鞄の中にはどれだけ入っているんだよ」

「乙女に必要なものよ」

「必要なもの?」

乙女ねえ。

「それは昨日の魔術道具も含まれているのか」

「ええそうよ。魔術は、今を生きる淑女の嗜みなのよ」

「あんな風に屋敷を炎上させることがか?」

「炎上とは美しくない表現ね。あれは、優美丶丶な《丶》、花火の応用よ。私の多彩な才能にかかればそのくらいの芸当は出来るわ」

「何があって花火がああなるんだよ。かなり効率よく燃やしていたじゃないか。花火にあんな的確な燃焼が必要か!」

「あら、まあ、あなたにはそう見えるようね」

 何があってカナリアはこうも私を煽ってくるんだ。いいかげん怒るからな。

「さて、無駄話もこれくらいにしてそろそろ行きましょうか。ほら、持ちなさい」

 カナリアが軽々と鞄を持ち上げて私に渡す。やっぱりとてつもなく重い。どう見ても、というか実際に歩いているところを見るに、カナリアは極端なインドア派で運動神経も筋力もないはずなのだが。

 取りあえず鞄を受け取っておいてから、

「なあ、魔法で肉体強化でもしているのか?」

「さあて、何のことかしら」

「なぜとぼける」

「どうしてそんなことを聞くの?」

「肉体強化が出来るのなら、もっと歩き方とか体力とか強化した方がいいんじゃないかと思って」

「言ったでしょ魔術もタダじゃないのよ」

「そういうもんですか」

 それからもうしばらく山道を下っていく。途中、獣に遭遇することもなく、人とすれ違うこともなく、山には緑も花も、特にこれといって見るものもなく、のっぺりとした退屈な時間が過ぎていった──。



 ふもとの町は期待以上に大きな町で生活に必要な施設は一通り揃っていそうな風だった。町の外周は簡単な鉄柵で囲まれていて、町の規模に比べて出入り口が少なく、外からの侵入者を警戒しているように見える。

 さて、今日はいったい何曜日だったか。遠目から見た風だと建物の密度にしては異様に活気のない町である。カレンダーを見ない生活が長かったせいで平日が何曜日かはっきりと思い出せないが、多分平日なのだろう、だから住民の皆さんはお仕事に精を出して外出をしていないのだろうと思われる。

 柵の開いているところを目指して歩いた。

「変ね、何も音がしないわ」

「いいことじゃないのか?」

 騒音問題っていうのもあるみたいだし。

「交通量が少ないというならいいのだけど……、学校の音が全然聞こえないのよ」

「学、校」

「あら? 知らないのかしら」

「そりゃあ知っているが、学校の音ってなんだよ」

「チャイムの音よ。かなり遠くまで聞こえるはずだし、必ず流れるはずでしょ」

「あ、ああそうだな」

 あれってそんなに遠くまで聞こえるようなものなのか?

「静かではあるな」

 カナリアは私が町を眺めている間に、先に入り口の方に歩いていく。心なしか山道を歩いているときよりも早足になっている気がする。

 あんな無表情なふうでも町が見えて少しテンションが上っているのだろうか。もっと素直にリアクションすればいいのに、可愛くないやつ。

「早くしなさい」

「はいはい」

 私は入り口を見張るように設置されている二台の監視カメラに存在感に違和感を覚えつつ(存在感に違和感という言葉が既に違和感だ)周囲に警戒しつつ町の中へ。私たちを閉じ込めていた施設が、この町の組織と繋がってでもいない限りは、いきなり捕まることもないと思う。はてさて、この町の治安はどんなものか。

「まず最初に、ホテルを決めましょうか。それから食事でもしましょう」

「お金あるのか?」

「ええもちろん。現在の物価がどうなっているか分からないけれど、一ヶ月はもつと思うわ。私一人で使った場合だけど」

「じゃあ、いったん宿に落ち着いてからゆっくり考えられるな」

 しばらく町の中心に向かうように歩いていると、一回り大きい通りに出た。不思議なことにここまで人の住んでいそうな住宅街を通ってきたのに、誰ともすれ違っていない。他にも開いている雑貨屋なども見つけたが、まったく客の来ている気配がなかった。

 四車線道路が交差する交差点で、色の剥げかけた地図の看板を見つける。車が通らない大通りというのはやはり寂しいものがあるな。

「随分と放置されているようね」

「そうだな、それにさっきから町が閑散とし過ぎている気がする」

「まあ、仕方がないわね。こんな辺境の土地で閑散としているだけならいいほうだわ」

「? それってどうゆう……」

「ああ、ここからそんなに遠くないわね」

 カナリアが地図の一点を指差して言った。

「ちゃんと営業しているのか?」

「行ってみないことには分からないわ」

「なあ、なんか便利な端末とか持ってないの?」

「ねえ、あなた、ちょっと私に対して態度が大きいのではないかしら」

「だったらなんだっていうんだよ」

「資金を握っているのは私なのよ」

「すみません」

 我ながらプライドの欠片もない早さでの返答だった。

「分かればいいのよ」

 自分は一生女性には逆らえないんだなとか思ったり思わなかったり。どうして女性ってやつはこんなに強気なんでしょうか。昔は働くのは男性なんて風習もあったみたいだけど、その頃から男は女の言いなりになっていたんだろうか。

「さて、じゃあ行くか」

 他にも使いそうなお店の位置を確認だけしておいてその交差点を離れる。

 薄っぺらい信号機の液晶パネルが、所在なく明滅を繰り返していた。

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