2-5
流れ出した血の色も飲み込む深い夜。先程、巨大な熱源が発生していたせいか、妙に蒸し暑い。電灯もなく、黒色に荒く塗られた視界の中にある光源は鈍い赤色で点灯する鉄骨の残骸だけだった。
暗闇に目がなれてくると、建物だったガラクタの上に立つドレスの少女が薄ぼんやりと認識できる。まったくといって容赦のない、抵抗すら許さない圧倒的な力。
今回私は雁木とやらに出会っていないし、その人柄はクルップから聞いただけだ。それだというのに、
「これは、やりすぎじゃないかなあ」
ここまでする必要が、果たしてあったのだろうか。雁木と対話は無理だったとしても、全員殺してしまわなくたってよかったのではないか。いや、手段を選んでいる余裕が果たしてあっただろうか。過ぎてから考えたって、結果を見てからじゃ遅すぎるんだろうに。まあ、これでまた、この町に平和が訪れるといいんだが。
表面が黒くなった旅行鞄が私の前に投げられる。
ゆっくりと長い金の髪がうねって、何度もつまずきながら歩いてくる。
「カナリア、大丈夫なのか?」
「ええ、問題ないわ」
言いながら手を私の体に当てながら、ゆっくと体重を預けてくる。多分、完全にもたれているのだろうが、十分に軽い。人間離れした魔術を披露した彼女も体はただの少女なのだ。
「フラフラじゃないか」
「問題ないわ」
特に否定もなにもせず、ただ問題ないと主張してくる。ただ黙って支えになった。
無機物の音が到着して間もなく、眩しい光源が投入される。クルップがようやく車を回してきたのだ。
「早く乗ってください」
カナリアが自分で歩こうとしないので、私が鞄と一緒に抱えて運んだ。後部座席にカナリアを寝かせて、助手席に乗り込む。
車はすぐに出発した。
「どこに向かいます?」
クルップはミラー越しに後ろのカナリアを見ているようだ。
「紫、紫の七区に向かうわ。出来れば人の多い町がいいわね」
「了解しました。多分、二、三時間は掛かると思います」
「そう、着いたら起こしてね」
相当疲労が来ているのか、鞄の中に入らずにカナリアは目を閉じた。すぐに寝息が聞こえてくるが、車の音にほとんど紛れてしまっている。彼女の寝顔を見たのは始めてだ。眠っていると、まるで人形のようだ。顔の造形は整いすぎているし、肌の色もこの国の人間にしては薄い。派手な赤いドレスに、灰色のシートが異常に似合わない。
「あなたは眠らないんですか?」
「俺まで寝たら、カナリアを守るやつがいなくなる」
「ずいぶんと、気にかけますね。あなたに彼女の価値は分からないでしょうに」
「確かに、カナリアがどれだけすごいのかは分からん」
なにせ、比較しようにもちゃんとした魔術師に出会ったことがない。加えて、いままでに出会った人間もそれほど多くはないのだ。
「だがな、あんたが本当に味方かどうか、それも分からない」
「心配しないでいいですよ」
「お前の口から聞いたところで、何になる」
「それもそうです」
車のディスプレイが表示する時刻は、本来の時間からちょうど半周進んだ十五時半だった。
「結局何がしたかったんだ?」
奥行きの狭い窮屈な世界が、ガラス越しに目に入る。道は舗装されていなくて、よく車が揺れていた。
「どういうことです?」
分かれ道を迷わず右に。
「どうして、雁木たちを殺す必要があったのかっていうことだよ。わざわざ、こんなことしなくたって、逃げてしまえばいいじゃないか。あんなのは遠くまでお前を追ってきたりはしないはずだ」
「それも、そうです。泡沫さん、意外に頭回るんじゃないですか」
貶している風でもなく、ただ事実を告げるような感じで言う。
「そうですね。色々と不都合があるんですよ。僕もあなた方を完全に信用しているわけじゃない。言えないですよ」
「そうか」
「そんなことより……」
突然、車の前を野生動物が横切り、止むを得ずに急ブレーキをかける。野生動物は驚いて、また闇の中に走り去った。エンジンが再起動する。
「あなたとカナリアさんが一緒にいることの方が不思議ですけどね。見た感じまだ知り合ったばかりでしょう。それに、全然釣り合ってないんですよ。あべこべなんだ。とにかく似合わない」
「あんまりな言いようだな」
「でもそうでしょう。どんなきっかけがあれば、あんな、カナリアさんみたいな人が、あなたみたいな取り柄のなさそうな貧乏人と旅をするんですか。カナリアさんかなり信頼しているみたいですよ」
それは、そんな風に見えるのだろうか。カナリアに信頼されている。悪くない。
「たまたま、同じ場所にいただけだ。多分それ以外にない。カナリアにとって、偶然俺がこのポジションにいただけなんだ。深い意味はないだろう」
「否定しないんですね」
「ああ」
カナリアは服装とか態度を見る限りお嬢様らしいが、私は、姓もないような、ろくな身分ではないからな。正直、合わないどころか、その手の人間は昔の私にとって嫌悪の対象でもあっただろうに。奇妙な関係だよ。
「しっかし、あなたは魔術の心得がないんでしたよね」
「そうだ。そんな物学べる余裕なんてない人生だったから」
「ふむ。何も知らないんですね」
「何を?」
「文字通り、何も」
クルップが少し笑ったような気がしたが、暗いから見間違えたのかもしれない。
「一つ、訂正というか、教えてあげますよ。この情報はただです。こうして、話しながらあなたのことを深く見ていたんですけどね」
例の道具で強化された鑑定スキルか。人の名前なり、魔術適正なり、いったいどこまで見られるのか分かったものじゃあないが、本人の知らないことも見られるというのか。
「あなた、妙なものを持っているでしょう。凄まじいまでに深い部分に埋もれていて見えないですが、何かありますよ」
「さっきからぼんやりした話しばかりだ」
「僕の鑑定でも見えない、何か、ですよ」
「そうかい」
そんなこと言われって何になるんだよ。何かわからないなら、知らないのと同じじゃないか。
「両親はどこの人ですか?」
「知らん」
今までの会話との関連が全く読めない。変にどうこうする前にこの手の話題は切り上げないといけない。
「その黒髪は地毛なんですか? その虹彩も?」
「髪の色がどうしたんだよ?」
少し前にも聞かれたことのある質問だったような気がする。なんなんだよ。いったい何だって言うんだ。髪の色なんてどうでもいい。
「いえ、気にしないでください」
「なら始めからしないでくれ」
「そうします」
会話が途切れて、聴覚を車の音が満たす。
カナリアのことを考える。今日のは流石に強烈だった。相手が何人だろうと、喧嘩が強かろうと関係ない。建物ごとまとめて爆破した。抵抗さえも許さない力。それを平然とやってのけるカナリア。
シナリオは簡単だ。カナリアが魔法陣をビルの面積よりも大きい布にびっしりと描き込んで準備完了。あとは、隣の建物からカナリアの入った鞄を屋上めがけて投げて、空中で姿を現したカナリアが魔術でビルごと破壊する。あとはまた鞄の中に籠もって、炎が落ち着くまでの間待機する。たったそれだけ。
その後、時期を見て出てきたカナリアはもうフラフラで全部を使い果たしたようにも見えた。あれが全力。そして、あれだけの衝撃の中で、表面が焦げるだけに留まった鞄。性能が高すぎやしないだろうか。カナリアが作ったのか。クルップが今つけている魔道具だって、カナリアが関与しているというし、道具作成だって、相当な技量だ。あとそんな道具がいくつあるか。
一定に続く車の音、黒くて狭い世界の単調さに、だんだん意識が削られていく。
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