1-2

 火が本格的に中の方を焼き始めたのか、周囲の気温が上昇する。それに対して心から粗熱が取れたからか、いやに暑さを感じる。

「それで、あんた行く所は?」

「あるわけないじゃないの」

「そうかい」

 じゃあ私といっしょだなと、勝手な共感を抱いておく。こうして誰かと気楽に会話できることも久しぶりだなあと、いちいち思ってみる。孤独な生活を経て逆に寂しがりにでもなってきたか。

「もうしばらく一緒に行動するか?」

「そうね。とりあえずはそれでいいわ」

少女はそっけなく答える。そういえば、さっきから少女はずっとマジメな顔をしているけど、嬉しいとかないのかな?

「外に出れたのになにか不服か?」

「いえ、ただちょっと笑い方を忘れてしまっているだけよ」

もしかして、はぐらかされているのだろうか。まあ、どういう目的で外へ出たがってたのかも知らないからな。少女の細かい素性なんて追々本人が話したくなったときでいいだろう。

「あんまり留まっているのもよくないから。行こう。えっと……名前を聞くのを忘れた」

流石に名前くらいはお互い知っておかないと不便だろう。

「こういうときは殿方が先に名前を明かすものじゃなくて?」

「俺の名前は泡沫うたかた。姓は……」

あれ? 私の姓ってどうなるんだ? 一応あの施設の元締めに養子に取られている扱いなんだろうか? どっちにしろ自分の生まれた家を知らないからな。えーと、

「別にいいわ。私も姓はないようなものだもの」

言葉に詰まっていると少女の方からフォローがくる。やっぱり少女の方もワケありなんだな。

「私の場合、名前の方も、あくまでもともと持っていたものが分からないのだけれどね」

少女の方が事情が重そうな気がしてきた。そんな小さいのに大変そうだなあ、なんて柄にもなく同情したり……いや、逆に失礼になるか。下手な同情はうざいだけだろう。

「私の名前はカナリア。漢字は、なくても結構よ」

「そうか。じゃあ行こうかカナリア」

「ええ、下僕」

ん? 私の名前はそんなに屈辱的な響きを帯びていただろうか。ひょっとすると私の名前を聞き間違えているのかもしれない、まさかとは思うけれど。

「俺の名前は泡沫だ」

「でも、私の下僕じゃなくって?」

「違う」

「じゃあ、荷物持ちかしら」

確かに荷物を持っているけど……。私が善意でやっているというのに。これがカナリアはずっと表情を変えずに、声色も変えないで言うものだから、冗談とも取りづらいな。

「普通に名前で呼べよ」

「今日出会ったばかりの女の子に名前呼びを強要するなんて」

カナリアが「恐ろしい」と演技を追加する。だから、まったくうまくないって。せめてもう少し演技してほしい。実は人を人とは思わないレベルのお貴族様なのか。だとしたら私の敵だ。

「名前しかないんだから仕方がないだろ」

「ふむ。ではサーヴァントでどうかしら」

「だから名前でいいから」

そんな横文字にされても反応は変わらないよ。

「分かったわ。泡沫げぼく

「もういい。置いていくぞ」

 カナリアを置いて森の中へ。こういう自分本位のやつが将来そのまま役職に就いてしまって、人を虐げるんだろうな。分かりやすい悪人だよ。

「待って、泡沫うたかた!」

なんだ呼べるんじゃないか。最初からそうすればいいんだよって、少女相手に少し大人気なかったかな。

 私の隣に小走りでカナリアが追いつく、ほんの十数メートル走っただけで息を切らしていた。これは本格的に私がついていないと駄目なんだろうな。どんだけ箱入り娘だったんだ。と思ったが、私も大概外に出ない生活だった。自主的に鍛えていたので大きくは衰えていないが。

 カナリアに合わせて歩くペースを落とし、針葉樹ばかりの森の中へ。

 森の中は木の葉に阻まれて涼しい日陰が、出来ておらず、広葉樹のない森の天井は隙間の方が多く雨漏りし放題だった。まあ、木陰でもそんなに涼しくはならないか。何せずっと曇り空だから。

 二人で緑のない地面を歩く。とりあえず山の麓に向かって。所在の分からないどこかの村か町か、とにかく人の住んでいるところに向かって。

 なだらかな下り坂をひたすら下りる。人生最高の開放感のピークが過ぎさると、今まで隠されていた空腹感、喉の渇きが意識の表層に浮かび上がってくる。もうすぐでお昼の時間帯だろうか? 結構歩いたことだしそろそろ水場でも探して休憩にしようか。生水を飲むのは正直怖いが(寄生虫とか産業汚染とか)干からびるよりはマシかな、胃腸はそこそこ丈夫なはずだし、それに、カナリアに煮沸してもらう事もできる。

「カナリア、お前この山の地図とか分からないか?」

 そう言って、カナリアの方に顔を向けると、ほんのりと甘い香りがした。

「流石にそこまでは把握していないわね」

 口に当てていた手を離して言う。

 私は立ち止まった。

「なによ。立ち止まったりして」

 カナリアの口に近づけられている手元を注視する。白とピンクでカラフルな色をした物がその手に握られている。

「その手に持っている物はなんだ?」

「飴よ」

 相手はそれがどうかしたの、と言わんばかりで、またすぐに飴を口元に運んでいる。しかも、話し方とかはお嬢様風なのに食べ方が汚いのか、口がベタついている。

「何一人で食べているんだよ」

「でも、これは私のものよ」

 カナリアは残り小さくなった飴をわざとらしく、わざわざ口を大きめに開けてその中に放り込み、ガリガリと噛み砕いてしまう。もったいない。私の小さい頃なんてそんな菓子の類いは滅多に食べられないから、ゆっくりゆっくり味わって決して噛むことなく食べていたというのに。

「俺の分は?」

「あなたが持っていないのならないんじゃない?」

 言い方が毎回神経を逆なでするようなのは、狙ってやっているのか。

 カナリアがさらに追い打ちをかける。

「ちょっと鞄を置きなさい」

「ん」

言われるままにカナリアの前に鞄を置く。カナリアが鞄を開く。よく見るとこの鞄には暗証番号四桁の鍵がかけてあるようだ。えーと、番号は、1、7、5、8、っと。

 カナリアは鞄の中から、ステンレスボトルを取り出し飲み物を飲み始める。

「よし」

 さも当然のように鞄を私に返してから歩きだすカナリア。水筒も装備とかどれだけ用意がいいんだよ。まるで、今日脱走することをあらかじめ準備していたようだな。まあいいけど。

 今どうでもよくないことは一つ、

「ちょっと飲み物だけでいいから分けてくれない?」

 カナリアの首がちょこんと横に傾き、その口がさえずることはない。

「いいかげん何か飲まないと、ちょっとまずいなー」

 やはり無言で答えられる。というか完全に無視されているじゃないか。

「あーはいはい」

 そっちがその気なら、こっちだって考えがある。幸いなことに、水筒の入っている鞄はこっちの手にあるし、その上番号だってさっき見て知っているのだ。

 私は何の躊躇もなく鞄を地に置いてさっき見たとおりに番号を入力する。

 しようとしたが、バチッっと季節外れの静電気にその一度目を邪魔される。その程度ではまったく動じずに、続けて番号を入力しようと手を伸ばす。次は、さらに大きな音と衝撃が指先に走る。空気中を走る小さな稲妻が見えたような気がした。

 おかしい。夏に静電気が起こること自体珍しい気がするのに、その上二回連続、さらに二回目の方が威力が増しているとはどういうことか。

 顔を上げてみると、カナリアが半目で冷ややかに私のことを見下ろしていた。まるで哀れな虫けらを見るような目だ。

「さては、何か仕掛けをしているな」

「人の鞄を勝手に物色しようというのが悪いのよ」

 うん、きちんと正論になっているから反論しずらいなあ。いいじゃないか、これ以上何も飲まなければ意識がぼーっとし始めるんだよ。倒れる前に早めの水分補給を!

 見るに見かねてか、カナリアがこちらから鞄を奪って中を開き水筒を取り出す。今回は番号の入力をしていなかった。じゃあさっきのは何だったんだ。カナリアと接していると所々にトラップが仕掛けられているような気がする。

ひざまずきなさい」

カナリアが手を身体と垂直になるくらいまで掲げ水筒の口をこちらに向ける。このまま飲めとおっしゃいますか。もう私には抵抗する気力もないか。

「はい」

 言われたとおりに跪いて口を上に開けて、小さな女王様からの恵みの水を待つ。茶色で透き通った液体が空気中を落下し、舌を伝って喉に注がれる。おや、あまり飲み慣れない味だな。予想していたものと違うせいか軽くむせかける。

「紅茶よ」

聞いてもいないのにカナリアが説明してくれる。

「ダージリンね」

 へえ。紅茶は紅茶じゃなかったのかー、なんていう感想はおくびにも出さない。

 前触れもなく液体の供給が絶たれる。

「これくらいで十分でしょ」

カナリアはさっさと水筒に蓋をして鞄へと戻す。鞄を閉める時にも鍵の辺りをいじっている風はない。次は開くかな、とか思うけれど恐らくまた酷い目に遭うので何もしない。うーん、鍵の周り仕掛けがしてあるのか、でもそれだと持ち運んでいるときに触れても何もないのはどうしてだろうか。魔術は奥が深いなあ。

「さあ、早く行くわよ。日が暮れると一気に危険度は増すのだから」

 カナリアは鞄を私に預けてゆっくりと歩き出す。歩幅が狭いせいなのかその動きにくい服装のせいなのか、急いでいる割にはマイペースな歩みだ。

 なぜか私にはこの鞄を持ったままカナリアを置いていこうという気が起きず、その上歩くペースを同じに合わせてワガママなお嬢様をエスコートするのであった。私はいつから今日あった人にこれだけ尽くすような思いやりのある人間になったのだろう。束縛から逃れたことの嬉しさからか、長きに渡る監禁生活のせいで頭がおかしくなったのか、いやそれはないな。

 それからしばらくは二人で黙々と山を下って行くのであった。

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