おぞましい姿


 エリカ・リヒトは昔から癇癪持ちで短気な娘だった。

 魔力もまたそれに応じるかのように、エリカの意思では制御しきれないほど強大で、感情が高ぶったりすると、勝手に周りのものを燃やしてしまう。

 エリカの両親も、エリカの魔力には手を焼いていた。

 エリカは昔から、自分のそんな魔力が嫌いだったし、制御できないなら失ってもいいとさえ思っている。


 炎の魔力。


 強すぎる魔力は時にエリカ自身を傷つける。今までは軽い火傷で済んでいた。

 ただ、現状、急な環境の変化にエリカの精神がどこまで適応できるかと言う課題がある。


 扉を叩く音が響く。

 途端に現実に引き戻され、エリカは慌てて起き上がる。

 少し眠っていた。

「エリカさん、晩餐の支度が整いました」

 ロペルス王子の声だ。

「エリカ様、履物を」

「ええ。ドロテア、お茶の用意だけしておいてくださる?」

「はい。それでは、いってらっしゃいませ」

 ドロテアに見送られ部屋を出ると、うっとりとした表情のロペルス王子が居た。

「では、お手を」

 当然のように彼はエリカの手を握り、ゆっくりと歩き出す。

「本日は、やはり、内容を見直し、エリカさんの故郷の食材を使わせていただきました」

「まぁ、嬉しいわ。そろそろレーベンの料理が恋しかったの」

 長旅では行く先々の田舎料理ばかり食べさせられた。そろそろ故郷のものを食べたいと思ってもいいはずだ。

「それはよかった。私もあらゆる食材を厳選して、少しでもあなたのお口に合う物をと考えていたのですが……今夜は出来るだけまろやかな味付けを心がけました」

 やっぱり食べることしか考えてない。

 エリカは呆れる。このロペルス王子は食べ物のことになると途端に生き生きし始める。

「どうしてそんなに食べ物に拘るの?」

「即ち、食べることは生きることだからです。生命の根幹は食事にあります。私はクリーヒプランツェの王子として国民の健康を願い長年の研究をしてまいりましたが、人生で最も重要なものは食です。つまり食べるものはそのまま私たちの身体を作っているのです」

 あまりにも真剣な顔で言うのでエリカは思わず納得しかける。

「けど、私の父は人生において大切なのは仕事と愛だって言ってたわ」

「それは食があってこそ成り立ちます。長生きの秘訣は美味しいものを沢山食べることですよ」

 にっこりと笑むロペルス王子は驚くほど美しい。

「なのに、身体に悪いものも食べるの?」

「あれは、研究の為です。新しい味、新しい食感を追求してより美味しいものを民に伝えることこそ私の使命です。幸い、私は人より解毒能力に優れているので多少の毒物で死んだりはしません」

 まさに食い意地の張った王子の為の能力だと感心する。

 棒人間の様に細くて、ひょろりと背が高い。それに、髪は腰に届きそうで、エリカよりも長い。肌だって、ずっと森に居るのに白くて、指は長くて滑らかだ。

 黙っていればとても美しい王子だ。なのに、ロペルス王子は、変な物ばかり口に入れようとする。おそらくはそのせいで顔色が悪いのだろう。

「私は、この国では珍しく複数の系統の魔力を持っています。しかし、やはり重宝するのは解毒能力ですね。新しい毒を見つけるとつい、自分の身体で試したくなるので」

 エリカは頭を抱える。

 叔母から聞いた、赤い死神の伝説を思い出す。毒物を蒐集しては自分の身体で試し、実験を繰り返して世界を恐怖に陥らせた死神が居たと。

「もしかして、赤い死神の正体って、ロペルス王子?」

「赤い死神? ああ、西の死神の話ですね。違いますよ。西の死神は金さえ積めばどこの誰の依頼も引き受け、どこの誰であろうと確実に殺すという暗殺者です。見た目は割りと平凡な男ですよ。私の得意客ですが」

「殺しの依頼をしているの?」

「いえ、彼が、毒を仕入れに来るのです。私も他国の稀少な毒を分けてもらっていますし、彼の蒐集能力には驚きますね。クリーヒプランツェの研究所に匹敵する程の種類を所持している可能性さえあります」

 エリカは聞いたことを後悔した。そんな危険人物と王族が堂々と交流を持っていて良いものなのだろうか。

「さぁ、こちらです。私の自慢の食堂でしてね。家具は全てレーベンの職人による品です。絵画は多すぎないほうがいい。絵はクレッシェンテが誇る天才、ドーリー作の【怪奇植物】です」

 彼は優美に笑んで扉を開く。

 家具の趣味は悪くない。精巧な細工の美しい食卓は、王宮で使われるにふさわしい出来だ。大きな窓は全て玻璃が入っている。窓掛はどうやらハウルの品らしい。美しい金の刺繍が入っている。

 しかし、壁に掛かった絵だけはどうしてもエリカの好みに合わない。食欲が失せるようなおぞましい、人の顔をした花の絵だ。

「あの絵の植物は実在するの?」

「ええ。人面果ですね。正しく使えばあらゆる病を治す薬になりますが、扱いが難しい植物で、近付くと猛毒の粉を撒き散らします。大昔に町を一つ壊滅させたこともあるとか。一応町外れの森にも一本だけ人面果の樹があるのですが、ここ十年ほど実を付けません。未だ謎の多い植物です」

 毒を撒く植物をわざわざ栽培しているのだろうか。

 エリカは疑問を抱きつつも、促されるままに席に着く。

 並べられた料理を見て、一気に血圧が下がるのを感じる。

「さぁ、どうぞ、召し上がってください」

「……なにこれ」

 食卓に並ぶおぞましい姿の数々。生きたままの姿の甲虫が沈むスープ、顔を残したままの猿の頭、ぎょろりとエリカを見つめる謎の生物の目玉が浸ったグラス……。

「全てレーベンから取り寄せた食材ですよ。その甲虫はレーベンにしか生息しません。栄養価も高く、長旅の疲れを取るのに良いでしょう。その猿もレーベンの国境付近の山にしか生息しません。見た目に反して味は淡白ですのでエリカさんも楽しめるかと。ああ、その目玉はとても稀少で、今回は運が良かったというべきでしょうか、龍の目です。非常に高い魔力を持つ龍の目で、食べると魔力を高め、寿命が伸びるといわれています」

 穏やかな笑みを浮かべ、得意げに解説するロペルス王子の言葉を一つも聞きたくないと、エリカは耳を塞ぐ。

「ごめんなさい。食欲が無いわ。部屋に戻ります」

「え? エリカさん? スープだけでも召し上がりませんか? 疲れを取るのに本当にいいんですよ」

 慌てた様子を見せるロペルス王子にエリカは苛立つ。

「あのね、私は、そういう気持ち悪いものは食べたくないの! もっと普通の! 一般的なものだけ食べて人生を終えたいの!」

 言葉と同時に拳に炎が宿る。

 しまったと思ったときには遅い。卓布に火が点く。

「あっ、大変……」

 慌てて消そうとするが、一度点いた火は中々消えない。

「オリーブ」

 ロペルス王子がよく響く声で初老の男を呼ぶ。

 彼は落ち着いた様子でゆっくりと食卓に近付いた。

「失礼いたします」

 まるで食器を取り替えるように、自然なしぐさで、彼は自分の手を燃える炎の中に入れる。

「ちょっと、火傷するわよ!」

 エリカが慌てて止めようとするが、そのときには既に火は消えていた。

「……嘘……」

「驚かせてしまい申し訳ございません。私の身体は少々他の方より丈夫なものでして」

 彼の手には火傷一つ無い。

「では、ごゆっくりお食事をお楽しみください」

 彼は何事も無かったように自分の持ち場に戻る。

「エリカさんは、炎の魔力をお持ちなのですね」

 ロペルス王子は興味深そうにエリカを見る。

「……欲しかったらあげる。私、この魔力で得したことないもの」

「どんな魔力も使いようですよ?」

「制御できなかったら意味が無いじゃない」

 エリカはそう言って席を立つ。

「あ……エリカさん! 何だったら口にしていただけますか」

 ロペルス王子は心細そうな表情で、訊ねる。

「……イチジクのタルトが食べたい」

「すぐに用意します。ですから……嫌わないでください」

 まるで幼子のように、彼はエリカを見る。とても不安そうな顔をしている。

「……その食生活を改善してくれないと無理よ」

 そう、言い残し、食堂を出る。

 どんなに見た目が美しくても、あんなにもおぞましいものばかり口にする人と結婚なんて無理。

 一刻も早く国に帰りたい。

 それがエリカの切実な願いだ。

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