散ってしまいたい
夢の中で彼女を抱きしめたとき、もうこの人なしでは生きられないと感じた。
エリカ・リヒトという女性は世間知らずで、少し我侭な姫君かもしれない。
けれども、とても素直で可愛らしい人だ。
時にきつい言葉も口にするけれど、それが妙に心地いい。
少なくとも、クリーヒプランツェで、ロペルス相手に思ったことを素直に口にするなんていう女性は少ない。
ただでさえ、気味の悪い王子と噂されているのだ。
近頃では大変不名誉なことに目が合っただけで食われるから決して目を合わせるななどとも言われているらしい。
しかし、最早そんなことはどうでもいい。
ロペルスのただ一人、運命の女性は間違いなくエリカなのだから。
しかし、どうしても、彼女は心を開いてくれない。
まだ、あの夕食の件を根に持っているのだろうか。
それとも、朝食の際に説教じみたことを口にしてしまったことを気にしているのだろうか。
ロペルスは深いため息を吐く。
エリカほど美しい人を知らない。
エリカほど美味しい人を知らない。
ロペルスの手料理を、美味しいと、幸せそうに食べてくれる彼女に惹かれないはずが無い。
ロペルスをきっぱりと変人と言い放つ、正直な人。レーベンの生まれのくせに恐ろしいほど嘘を吐けない。
彼女以外、妻に迎えるつもりは無い。
手放したくないと、両親に婚儀の準備を急いでもらっている。
いや、あとは婚姻届に署名さえ貰えば、父である国王がどうとでもしてくれる。
しかし、エリカの嫌がることはしたくない。
惚れた弱味とでも言うのだろうか。
常に、彼女を優先させたいと思っている。
なのに、泣かせてしまう。
困らせてしまう。
「エリカ……」
拒絶されてしまっただろうか。
背を向けた彼女を思い出すだけで涙が溢れ出る。
夢でも構わないから、彼女を手元に置きたい。
夢の中で交わした口づけを鮮明に思い出し、一層空しくなる。
しっかりと、抱きしめたはずの彼女は、目が覚めると居なかった。
一人で、広い寝台に残されて空しかった。
夢想花の見せる幻影ではなく、今度は現実で彼女を抱きしめたいと願う。
あの柔らかな唇に触れたい。
あの澄んだ青い瞳に見つめられたい。
ただ、ただ、彼女を独占したい。
しかし、彼女はこのまま去ってしまうかもしれない。
そうだ、エリカは初めから、ロペルスを拒絶していた。
それでも、彼女の意思で留まって欲しい。
「……私らしくない……」
薬で無理やり意識を操ることだって出来る。しかし、彼女にそんなことはしたくない。
ほんの少し惑わせて婚姻届に署名させてしまえば、彼女の逃げ道を塞ぐことができるのに、ロペルスにはそれが出来ない。
彼女が望まないことはしたくない。嘘を知らない無垢な彼女を偽りで汚すことなど許されるはずがない。
けれども、彼女が去ってしまうなど耐えられない。
「ロペルス王子」
シャルルに声を掛けられ、飛び上がりそうになる。
「なっ……泣いていらっしゃるのですか?」
戸惑うシャルルに、下がれと、仕種で示す。
「一体何が……」
「暫く……一人にしてください……ああっ……私は……エリカを失っては生きていけない……いっそ……彼女が私を殺してくれればどんなにいいか……」
毒では死ぬことの出来ぬ身。しかし、自らに刃を立てるなど、とても恐ろしくてできそうにない。
ロペルスは臆病者だ。
ただただ、涙が溢れ、彼女の姿ばかりが浮かぶ。
「……まさか、振られた……のですか?」
そこまで言っていない。そこまで言われていない。
しかし、シャルルに言葉に出されたことにより、一層寂しさが胸を貫いた。
「……ああっ……エリカ……エリカ……行かないで……」
彼女が去ってしまったら、自分はどうなるのだろう。
きっともう、立ち直ることが出来ない。
たった数日過ごしただけで、完全に彼女に心を奪われてしまったというのに、このままでは心を砕かれてしまう。
「ロペルス様、まだ、帰ってしまわれると決まったわけではありません」
慰めるようなシャルルの言葉が一層胸に突き刺さる。
「シャルル……一人にしてください」
少し、落ち着かなくては。
せめてもう一度、彼女に会いたい。
けれども、こんなに乱れた姿を晒すわけにはいかない。
「……あの……俺、隣の温室に居ますから……何かあったら声を掛けてください」
珍しく気を使ったらしいシャルルが、ロペルスを気にしながら外へ出て行く。
しかし、最早それもどうでもいい。
エリカ以外はどうでもいい。
彼女の美しい金の髪に触れたい。
あの青い澄んだ瞳に見つめられたい。
あの白く滑らかな肌に口づけたい。
もう一度、甘く芳しい彼女を味わいたい。
出逢ったばかりの、まだ、何も知らない彼女になぜこんなにも惹かれるのかはわからない。
けれども、もう既に、彼女がいない人生などなんの価値も無いように思える。
去ってしまうというのなら、せめて一度抱きしめさせて欲しい。
そして、愛しいエリカの感触をしっかりと脳裏に刻み、花のように散ってしまいたいと願った。
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