瞳を直視できない。
エリカが泣き止むと少し困った様子のロペルス王子は「席を外させていただきます」とどこかへ行ってしまった。
それが少し寂しくて、もう少しごねてみるべきだっただろうかなどと考えてしまう。
しかし、これ以上王子を困らせるわけにも行かない。
彼が好き。
それは、既にエリカも十分に理解している。
それでも、彼はエリカには勿体無いと感じる。
それに、まだ、根本的な壁を解消したわけではないのだ。
もしかすると、彼はエリカが見ていないところでまたとんでもない何かを食べているのかもしれない。
そう思うとゾッとするし、心配にもなる。
食中毒で婚約者を失うことだけは避けたい。
エリカは化粧を直しながら、彼を思う。
長い睫毛がとても綺麗で、少し暗い緑の瞳は真っ直ぐエリカを見てくれる。
お行儀も口も悪いエリカを、好いてくれる、稀少な人。
欠点なんて食べ物の好みが風変わりのことくらいしか思い浮かばない。
少し変っているけれど、とても優しくて、傍に居たいと思わせてくれる。
けれども、彼にはもっと相応しい人が居るのではないかとも思ってしまう。
ほうっと、ため息が出た。
「エリカ様?」
心配そうなドロテアの声。
「……ロペルス王子にはもっと相応しい人が居ると思うの」
「それは……確かにあのゲテモノ趣味には困惑されるかもしれませんが……お美しい方ですよ? 武芸は苦手だと聞いていますが、お美しいですし……少し風変わりなのは、研究者気質によるところも大きいのかと。それに、お美しいですし」
ドロテアは彼の外見しか褒めない。
確かに、美しい人だ。
けれど、それ以上に。
「凄く、優しい人よ。私なんかには勿体無いわ」
「なにを……エリカ様に相応しい男など、天下には存在しません。どんな方が相手だろうと、エリカ様は勿体無いです」
ドロテアは何を根拠にしているのか力説する。
「ドロテアは、私の何をそんなに気に入ってくれているの?」
正直、なんのとりえも無い小娘だ。ドロテアはとてつもない魔力を持った魔族だというのになぜか妙にエリカを崇拝している部分がある。
「エリカ様はご自分の価値を分かっていらっしゃらない。純度の高い魔力と、穢れの無い魂を持っていらっしゃる。つまり……生まれる国が違えば、龍に捧げられるような存在なのです」
しかし、レーベンは龍を崇拝してはいない。
先代が龍を拒んだ。そして、引き換えに、魔族と契約したとも聞く。
「つまり、私の魔力が目的?」
「いえ、私が頂戴するのはその器です」
レーベンの王族は、死後、空の棺で埋葬される。それは、使役する魔族に肉体を奪われるからだ。王族は星の魔力と使役を持ち、レーベンの民を照らす太陽であるとされる。星の魔力こそ持たないが、エリカもまた同じように空の棺で埋葬されるのだろう。
「エリカ様の器に残された純度の高い魔力と、魂の一部を頂くことにより、私はより強化され、魔族界で出世できます」
あっさりと言うドロテアに少し呆れる。
彼女は、魔族の中では中の下位の階級に居るらしい。しかし、魔族を使役に出来るものは、レーベンでも少しばかり特殊な立場だ。
兄、カルトはまだ使役を持っていない。もしかすると、持たずに一生を終えるかもしれない。
それでも、カルトはまだ、風の魔力を自力で操れるからいい。それに彼は魔術が得意だ。なにより、彼は星の魔力に恵まれている。レーベン王族の証で、王位継承に相応しい力だ。
エリカは自分の魔力を制御できずに、火事を起こしてしまい、離宮に隔離されるようになってしまった。
なるべく怒らせないように、使用人たちが気を使い、大抵の我侭は許されるようになる。
友達は、みんなエリカの機嫌を取る。
それはエリカの思想自体がレーベンに合わない部分があったからかもしれない。
なんの意味も無い日々。
「私、今まで何のために生きてきたんだろうって、思ったわ。ロペルス王子は……素晴らしい人ね。とても、沢山のことを知っていて、民のこともとても考えているわ」
離宮で毎日遊んで暮らしていたエリカとは違う。
エリカは自分では何も出来ない。
なのに、着飾って、気取ることばかり覚えて。
情けない。
自分が恥ずかしく思えた。
「私じゃ……彼の隣には立てないわ……」
使用人の仕事は卑しいと、心のどこかで思っていた。
汚い仕事は全部、身分の低い者のすることだと。
しかし、ロペルス王子はどうだろう?
自分の手で、植物を育て、料理人以上の腕で料理をし、医者以上の知識と技術を身につけている。
朝、自分で育てたという薔薇を摘んで、エリカに届けてくれる彼は、一体どれだけの早起きをしたのだろう。
エリカの我がままに合わせて、食べるものにも配慮してくれる。
彼は他にもやるべきことが沢山あるというのに、エリカに沢山の時間を割いてくれる。
「……ドロテア……私……どうしたらいいのかしら……」
彼に惹かれている。
この心には気付くべきではなかったかもしれない。
たとえ、彼がエリカを本心から愛してくれているとしても、彼の愛する民は、きっとエリカを歓迎しないだろう。
「きっと、他に候補がいなかったから私を愛していると思い込もうとしているだけだわ」
「エリカ様……そんなに弱気になるなんて、とてもエリカ様とは思えません。エリカ様はやはり唯我独尊! エリカ様を中心に世界が動いているようでなくてはいけません!」
ドロテアは力説するが、どうも、それはエリカには受け入れられそうに無い。
確かに、わがままで傲慢かもしれない。
けれども、彼を見ていると、少しくらい素直になれればいいのにと思う。
「レーベン王家の系譜たる者、感情を表に出さず、常に、気品溢れる対応をしなくてはいけません」
「それは、私には無理よ。ドロテアだって知ってるでしょ? 品がなさ過ぎて貰い手が無いんだから」
エリカはため息を吐く。
もしかすると陛下はこれを見越してエリカをロペルス王子と会わせたのかもしれない。
どうもあの方は、得体の知れない力を持っているような気がする。
エリカは乱れた髪を整え、窓の外を見る。
よく晴れている。
そう思ったのもつかの間、すらりと細い人影が近付いてくるのが見えた。
ロペルス王子だ。
彼は両手に大量の薔薇を抱え、近付いてくる。
「……あれ、まさかここに?」
「でしょうね。あの毒々しい薔薇は彼のお気に入りなのでしょうか?」
やはり、美的感覚は合わないようだ。
「むやみに命を奪うのは良くないって言ってなかった?」
「エリカさんの目の保養になるのでしたら無駄ではありません。それに、私が愛情込めて育てた薔薇です。是非、あなたに愛でて欲しい」
どうやら聞こえていたらしい。窓の外から力説するロペルス王子。
「……あなた、忙しいのか暇なのか分からないわ」
「エリカさんの為なら、いくらでも時間を割きます。私の可愛い婚約者。一刻も早くあなたと正式に結婚したいと思っているのですが、まだ心を決めてはくださいませんか?」
少し不安そうな瞳は、本当にこの人はエリカよりも年上なのだろうかと疑いたくなるほど幼く見える。
「……あなたは、私には勿体無いわ」
「私にはエリカさんしかいません。私には、気取った女性よりも、あなたのように、素直で正直な人が必要です。エリカさん……その……こういう言い方は、失礼かもしれませんが……私は、あなたの少しきつい物言いにとても好感を抱いています」
微かに頬を染め、視線を逸らす彼に驚く。
言われてみると、彼が弟子として傍においているシャルルも、大人しい部類ではないし、言葉だってきついところがあるかもしれない。
「本当に、変った人ね」
エリカは思わず笑う。すると、彼は、また不安そうな表情になった。
「あ、あなたが納得する、普通の人になれるように努力します。ですから……どうか、私の傍に留まってください」
「別に、悪いなんて言ってないけど。ロペルス王子は、ちょっと変な人だからロペルス王子なんじゃない。そのままの方が、みんな安心するわ」
エリカは言って、しまったと思う。
いくらなんでも変な人は言いすぎだろう。
「……変な人、ですか。シャルルもそこまでは言いませんが、あなたに言われるのは悪い気はしません。ですが……他の人間がどう思おうが構いません。あなたに好かれたい」
窓越しに、跪く彼に、少し胸が痛む。
こんなこと、されるほどいい女じゃない。
「……別に、嫌ってないわ」
思わず、背を向けてしまう。
こんなの、よくないとわかっているのに、染み付いた習慣は抜けない。
私だって、もっと素直に……好きだって言えればいいのに。
胸が痛い。
「あら、お茶の時間だわ。ドロテア、お茶を淹れてくださる?」
少し早いけれど、王子を直視できなくてそう言えば、ドロテアはいつも通りにお茶の用意を初める。
「ああ、少し待ってください。お茶菓子を持ってきます」
「いらないわ。今日は、そう言う気分じゃないの」
驚くほど、冷たい物言いをしてしまった。
彼を傷つけてしまっただろうか。
しかし、彼は優しく笑む。
「朝食が多かったのでしょうか?」
「ええ、そうかもしれないわ。それで? 御用があったのではなくって?」
平常を装って訊ねれば、彼は困惑した表情を見せる。
「ただ、少しでもエリカさんの傍に居たくて、では迷惑でしょうか?」
哀しそうな彼の瞳を直視できない。
「……母が、すでに、あなたの婚礼装束の手配をしていて……もう、生地まで決めてしまいました」
着々と、結婚に向けての準備が進められているのだと、彼は言う。
「……私が断ったら、どうするつもりなの?」
「……やはり、私では、あなたの夫には相応しくないと……おっしゃるのですね」
心底、哀しそうな彼を見ていられない。
そうじゃない。
相応しくないのはエリカの方だと言ってしまえればどんなに楽か。
「あなたが私の元を去ってしまうというのでしたら……私は……私は……この先生きていける自信がありません……もう、あなたの居ない人生を想像できない……ああ、エリカ……あなた以外の女性を妻に迎えるなど、私にはできません」
王子の瞳に何かが光る。
それが涙だったと気付くまで少し時間が掛かった。
「すみません……取り乱してしまいました……少し、落ち着いてきます」
そう言って、彼は来た道を戻ってしまう。
地面に散らばってしまった薔薇を見て、彼を傷つけてしまったと気付く。
あんなにも、植物を愛する人が、自分が何をしているのか理解できなかったのだろうか。
「ドロテア、花を……集めてくださる?」
「……あの花を、どうなさるおつもりですか?」
「花瓶に、挿しておいて。私は……少し、頭を冷やしてくるわ」
別に、部屋から出ることを禁じられているわけじゃない。
少し、外の空気に触れて、落ち着こう。
エリカは柔らかい革靴に履き替え、部屋を出る。
本当に、こんなにも素直じゃない自分は嫌いだ。
どうやって、謝ればいいだろう。
彼は、あんなにも情熱的に、エリカを求めてくれているのに、エリカは戸惑ってばかりいる。
どうかしている。
決断が早いことと、喧嘩っ早い事くらいしか自信を持って宣伝できることがないというのに。
(こんなの私じゃない)
エリカはぎゅっと手を握って、足早に中庭へと向かう。
きっと、この庭も、彼が手入れしているのだろう。
色とりどりの美しい花が咲いている。
少し離れただけでも、彼のことを考えてしまう。
こういうことを、全て伝えられたらいいのに。
全部、正直な気持ちを伝えたら、もっと彼を傷つけてしまうかもしれない。
けれども、この正直な気持ちを伝えることが、彼に対しての礼儀のような気がする。
ちゃんと謝ろう。
そして、今のエリカの正直な気持ちを全部話してしまおう。
エリカはそう、決意して、彼を探す。
きっと、温室にいるはずだ。
彼の人生の全てが、あの場所にあるのだとしたら、彼を安心させるのは、きっとあの空間だろう。
昨日、案内された巨大な温室に向かう。
彼は、エリカを許してくれるだろうかと不安を抱く一方で、許されなくてもいいのだと思う。
ただ、全部、すっかり打ち明けてしまいたい。その一心で、温室の扉を開けた。
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