絡み取られてしまった
とにかく彼に会いたい一心で、少し薄暗くて不気味な温室を歩く。
もう、日が傾き始めているのだろう。足元で何かがぼぅっと青白く光っている。恐らくはキノコかなにかなのだろうが、蓄光のような明かりが妙に薄気味悪く思えた。
早く王子を探さないと。
そう思う心に反して怖気づいた身体はゆっくりとしか前に進むことが出来ない。近づく夜と、得体の知れない光が恐ろしい。
炎の魔力でもう少し明るくしてしまえればいいけれど、魔術が得意とは言えないエリカの腕で万が一植物に火が点いてしまっては大惨事になってしまうと思い、堪える。
彼と歩いた時は、珍しい植物に驚くと同時に、心惹かれるものがあったけれど、一人で歩くこの空間は、なにか恐ろしいもののように思えた。
触れると激痛を感じるものや、熊を一瞬で気絶させるような毒性のある植物も多いと聞いている分、一層恐ろしく思えるのだろう。
「誰だ」
突然の低い声に飛び上がりそうになる。
「ああ、シャルル、驚かさないで。心臓が止まるかと思ったわ」
エリカは少し大袈裟に出てしまった自分の言葉に恥ずかしくなるが、すぐに目的を思い出し、声のした方を見る。
「ロペルス王子はこちらに?」
訊ねれば、シャルルが樹の影から姿を現す。
「もう、ロペルス様に近付かないでください」
地を這うような低い声に驚く。
「あなたは、王子を傷つけた。はやく国に帰ってください。もう、これ以上彼が傷つくところを見たくない……。また引篭もって……これ以上博士号が増えては国外から不正を疑われる……」
気にするところはそこか。
やはりクリーヒプランツェの人間はどこかずれているようだ。
エリカは呆れるが、ロペルス王子を傷つけてしまったことは事実だ。
「私、彼に謝りたくて……酷い態度をとってしまったわ」
「今更何を……王子は、酷く取り乱していらっしゃる……また、こんなことがあっていいはずが無い」
シャルルはとても怒っているようだった。
「ただでさえ、奇人変人と名高い王子がこれ以上おかしくなっては……あの悪食だけでも城中を困惑させているというのに……これ以上変な趣味に目覚めてしまったらどうするつもりですか」
それに関してはエリカの責任ではないと思うが、シャルルの気迫に反論できない。
「大体、クリーヒプランツェに来て数日しか経っていないというのに……王子を惑わせて……この妖魔が! さては、レーベンは王子を利用してクリーヒプランツェを侵略する気だな」
シャルルの言葉を耳にした途端ぷつりと、エリカの中でなにかが切れる。
エリカを罵る分には別に構わない。
所詮シャルルは身分の低い人間だし、ロペルス王子を傷つけてしまったことは事実なのだから、何を言われたって構わない。
しかし、レーベンを、叔母である女王陛下を侮辱することはたとえ最底辺の出だろうが許されない。レーベンの女王はレーベンの民の太陽だ。彼女を汚すことはたとえ言葉であろうと許すべきではない。
「……愚民が、這い蹲って陛下に詫びろ……」
自分でも驚くほど低い声が出た。
もう、止められない。
熱い炎が全身を包んでいる。
「お前……さては、レーベンの人間兵器……やはりこの国を攻めるつもりだったのか!」
彼は驚いたように目を見開き、弱々しい魔力で、水の壁を作る。
しかし、そんなものは、エリカの炎の前ではなんの意味も無い。一瞬で、水は蒸発してしまう。
まずい。落ち着かないと。
エリカは必死に、陛下を思い出す。
魔力が暴走して、誰かを傷つけそうになった時は、まずは深呼吸して、落ち着けるように努力しなさいと彼女に言われていた。
エリカは必死に呼吸を整えようとするが、炎は渦を巻き、無差別に周囲に広がっていく。
「だめっ、止まって!」
木に、草に、花に……炎が侵食していく。
このままでは、ロペルス王子の大切な温室を焼き尽くしてしまう。
「お前! なんてことを! これ以上王子を傷つけるつもりか! この妖魔が!」
シャルルの罵る声が聞こえる。けれども、もう、そんなことを考える余裕なんて無い。
「逃げなさい! あんた、私に焼き尽くされたいの!」
エリカは炎の魔力になんとか逆らいつつも、シャルルを遠くに突き飛ばす。
もう、それが精一杯だ。
炎はどんどん大きくなって、既に天井を焦がしそうになっている。
「ドロテア、ドロテア! 助けて!」
使役は主の魔力をある程度吸い取れる。
ドロテアはエリカが暴走したときに、止める役割もしてくれる。
しかし、レーベンを出るときに、随分無理をしてエリカの魔力を吸収したドロテアは、まだ、これだけの魔力を吸収できるほどの余力は無いかもしれない。
それでも、エリカは必死に彼女の名を呼ぶ。
だが、現われてはくれない。
炎はさらに強まり、エリカ自身を焦がしそうな勢いで、周囲を包む。
(嫌だ……まだ、ロペルス王子に謝ってないのに……)
まだ死ねない。
彼にちゃんと謝ってからじゃないと。
泣き出しそうになる。まだ、炎は強まる一方で、酷く熱かった。
少し遠くに、王子がとても楽しみにしていた、夢想花の咲く樹が、炎に呑まれるのが見えた。
「そんなっ……ロペルス王子の……大切な樹が……」
みんな、エリカのせい。
エリカがもっとはやく、素直になれれば。彼を傷つけなければ。温室に来なければ……そもそもレーベンを出なければこんなことにはならなかった。
意味もなく、ぼろぼろと涙が毀れる。
このまま焼け死んでしまった方が良いのではないかと思う。
王子にも、陛下にも迷惑を掛けるけれど、それでもまだ、温室一つ焼き尽くす程度で済むのならばその方がずっといい。
「ごめんなさい……陛下……ごめんなさい……ロペルス王子……」
焼け死ぬのはきっと痛くて苦しいだろう。
怖い。
けれど……これ以上王子を苦しめないのなら、このまま灰になった方がいいに決まってる。
死んだら、龍帝様の住む国に行けるのだろうかなどと考えてしまう。
いつか、行ってみたい場所。けれども……きっと、悪い子のエリカは、行くことが出来ないだろう。
「……最後に……もう一度会いたかったな……」
そう思った相手は、大好きな叔母でも、兄でも、ずっと傍に居たドロテアでもなく、なぜか、ロペルス王子だった。
「エリカ!」
必死に叫ぶ声が響く。
こんな声の主をエリカは知らない。
一瞬、兄のカルトかと思った。
「エリカ! ああ……エリカ……良かった。まだ生きていた」
力強く、しっかりと抱きしめられる。
深い、緑色の髪。
「……ロペルス、王子?」
どうしてここに?
驚きを隠せない。
「さぁ、エリカ。はやくここを出ましょう」
しっかりと抱きかかえられる。
あんなひょろりと細い体の癖に、意外と、逞しい。
「でも……私……」
「魔力が暴走しているのでしょう? 自力で止められますか?」
驚くほど冷静な彼に問われ、思わず首を振る。
「では、すみません。失礼します」
突然、彼の手がエリカの頬に触れる。そして、そのまま、唇を重ねられた。
仄かに温かい、何かが体内にゆっくりと広がり、徐々に、沸騰するような魔力が静まっていく。
「……な、なに?」
「……すみません。お叱りはあとでいくらでも頂きますから……速く、避難しましょう」
彼は視線を逸らし、エリカを抱きかかえたまま走り出す。
しかし、出口もまた炎で塞がれていた。
「……困りましたねぇ。エリカさん、あなたは、炎に耐性はあるのですか?」
「……な、ないわ。ただ、なんでも燃やしちゃうだけなの」
申し訳なく思いながら、そう告げると、彼はエリカをそっと降ろし、自分の上着を脱いでエリカに被せる。
「一気に走り抜けますから、しっかり上着で肌を覆ってください。燃え移ったらすぐに投げ捨てて構いません」
「え……でも……」
「ああ、私なら大丈夫ですよ。エリカ、女性の肌に傷を作るわけにはいきませんから」
しっかりとエリカを抱きかかえた彼は、普段からは想像もできないほど。すばやい動きで駆け出す。
長い細い脚は、意外にも力強く地面を蹴って、勢いよく炎の壁を突き進んだ。
外には既に消火活動を進める人たちが集まっている。
「王子! なんという無茶を……」
オリーブが焦った様子で近付いてきた。
「エリカを失っては生きていけないのですから、ここで心中しても同じことでしょう?」
彼はあまり興味がなさそうにそう告げると、ゆっくりとエリカを降ろし、しっかりと抱きしめる。
「怪我は、ありませんか?」
「ええ……でも……ロペルス王子……あなた、お顔が……」
彼の美しい顔は、左半分、酷い火傷を負ってしまった。
「ごめんなさい……私のせいで……」
泣いたって意味が無いのに勝手に涙が溢れ出る。
「こんなこと、構いません。私は、エリカさんが無事でよかった」
「でも……王子の……綺麗なお顔が……それに、大切な温室も……」
彼の大切なものを全て奪ってしまったのではないだろうか。
エリカは自分のしてしまったことの恐ろしさに震える。
「エリカ、温室ならば、予備がありますし、火傷ならば少し時間は掛かりますが、治ります。ですから、気にしないでください」
優しい手がエリカの背を撫でる。
どうしてこの人は……こんなにも優しいのだろう。
「私、あなたに沢山酷いことを言ってしまったのに……沢山酷いことをしたのに……どうしてそんなに……」
思わずぎゅっと抱きしめると、彼がぐらりと揺れた
「ああ……今更になって……震えが来てしまった……ああ、エリカ……あなたの前では、少しくらい……かっこいいところを見せたかったのに……どうも私は……あなたの自慢には慣れそうにありません」
(そんなことを気にするなんて……)
変な人。本当に、頭がよくて優しくて、凄い人なのに、どうして自分に自信がないのだろうか。
「馬鹿っ……凄くかっこいい。だから……もっと自信持ちなさいよ」
「……っ……エリカ?」
「……あ、あなたが、凄く素敵だって言ってるの……その……だからっ……もし、あなたが……私を許してくれるなら……その……」
ちゃんと、言わなきゃいけないのに、どうしても、素直になれない。
だから、せめてこれだけは言わなければいけない。
「あ、あなたが……好きだって言ってるのよ馬鹿っ!」
(馬鹿は私よ馬鹿っ! なんでもっと素直に言えないのよ)
エリカは恥ずかしさと情けなさで顔が熱くなるのを感じる。
「……エリカさん……今のは……あなたの本心ですか?」
彼は驚いたように目を見開く。
「……な、何度も言わせないで」
素直になれない自分が憎らしい。
「ああ、エリカ……その言葉だけで十分です。もう、あなたを手放さない。エリカ、私と正式に、結婚してくださいますね?」
「……ええ……あなたが許してくれるなら」
「ああ、こんなにも幸せなことはありません。あなたの為なら何もかも捨てられる。しかし……流石に顔を捨ててはあなたに嫌われてしまうでしょうか」
彼は冗談のように言うけれど、それはどういう意味なのだろう。
「ロペルス王子、お顔の手当てをしないと……私、詳しくは無いのだけど、そういうのから病気になってしまうこともあるのでしょう?」
「大丈夫ですよ。このくらいの火傷でしたら……オリーブ、私の鞄を」
彼はまた、あの妙なものが沢山入った鞄を手に取ると、中から不思議な形の容器を取り出す。
「私の調合した薬ですが、切り傷や火傷ならばすぐに治ります」
どうやら軟膏のようなものらしい。
但し、ものすごい悪臭がする。しかし、彼は気にした様子もなく、自分の顔にそれを塗っていく。
「……すごい……」
塗った先から傷がどんどん消えていく。
「流石に髪は治りませんが……そろそろ切るべきかと考えていたので、丁度いいですね」
彼は笑って、それから自分の腕にも火傷を発見したようで、軟膏を塗っていく。
「この薬を使った後は暫く誰も近付きたがらないのですが……」
「ええ、ものすごく臭いもの」
「気になりますか?」
「……今回は、我慢するわ。私のせいだし」
そもそもエリカが問題を起こさなければ王子は火傷などしなかったのだ。
「本当に、あなたは可愛らしい人だ。愛してます。エリカ。その……後日、婚約指輪を贈らせていただきたいのですが……私が勝手に選んでしまってもよろしいでしょうか?」
「……別に……いらないわ。私、あなたを困らせてばかりだもの」
少しは憧れていたけれど、これ以上望んではいけない。
「では、エリカ。これ以上私を困らせないでください。私が、あなたに贈りたいのですから、おとなしく、受け取っていただけますね?」
ふわりと笑む彼は、いつも以上に魅惑的に美しく見える。
「……は、はい……」
断るなんて出来ない。
どうやら、エリカはすっかりと、彼に絡み取られてしまったようだ。
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