艶のある視線


 客室に戻ったエリカはドロテアの淹れたお茶で一息つく。

 冷静にならなければならない。気を沈めなければ再び発火させてしまうかもしれない。

 エリカは自分の魔力を恐れていた。

 炎の魔力は強大な魔力の証で、全てを焼き尽くす最も力のある魔力だ。しかし、それは制御できればの話だ。

 本来ならば、戦士の為の魔力のようなものなのに、政略結婚の道具でしかないエリカには不釣合いな力だ。

 自分が気が短いことはよく知っていた。堪忍袋が火薬で出来ているかのように、すぐに爆発してしまう激情型であることも理解している。

 ただ、今夜の場合は、恐怖を誤魔化すための怒りであったと自覚していた。


「ドロテア、国に帰りたい」

「エリカ様……ですが、もう、この結婚は陛下がお決めになられたことです」

 そう、エリカの叔母である国王は、クリーヒプランツェの薬を欲し、エリカを売ったのだ。

 レーベンの医療技術は高いとは言い難い。国に蔓延する死の病から民を救う為には必要なこと。

 しかし、あのロペルス王子の妻になるくらいなら、死の病で民と共に命を絶やした方が幾分マシに思えた。

「クリーヒプランツェの国王は本当にレーベンの民を救ってくださるかしら?」

「ええ、きっと。国同士の婚姻は、互いに利益があるからこそ。エリカ様がこの国に嫁がれるのは、レーベンはこの国を侵略しないという誓いでもあるのですよ。陛下はエリカ様をとても愛していらっしゃいます」

「愛してるなら、あんな王子と結婚させたりしないでしょ」

 それがわがままだとも、エリカは自覚している。

 王族の系譜。その血には責任がある。民を護らなくてはいけない。レーベンの王族は常に国民を照らす太陽。彼らのための偶像であることこそが王の系譜の責任だ。

「万が一、エリカ様が発症しても、ロペルス王子ならば救うことができます」

 ドロテアの言葉に驚く。

 自分が発症する可能性など微塵も考えていなかったというわけではない。けれども、発症したときに救える人の下に送られたのだとは気付かなかった。

「レーベンが滅ぼうとも、エリカ様だけは無事であるようにと、陛下の強い願いです。その、陛下は、ご自分の子を亡くしてしまわれましたから」

 万が一の際、レーベンの王位を継ぐのはエリカの兄カルトだ。

 国王は、エリカたち兄妹を我が子のように可愛がってくれた。

「そうね。もうちょっとだけ、陛下のために頑張ってみるわ」

「はい。まぁ、ロペルス様は顔は整っていらっしゃいますし……その、多少悪食でも顔は整っていらっしゃいますし……大変研究熱心な方なので、婚儀さえ終れば、恐らくはご自分の研究に戻られるのではないかと」

「……顔しか褒めるところ無いのよね。あの人。ってか、悪食が一番の問題だし」

 朝食に虫が出ないことを祈ろうと、エリカは溜息を吐く。

 すると扉を叩く音がした。

「はい」

 ドロテアが返事をした。

「エリカさんは、まだ起きていらっしゃいますか?」

 ロペルス王子の声だった。

「なに?」

 仕方が無いので立ち上がる。すると、ドロテアが彼を中に招いた。

「イチジクのタルトを用意しました。それと、疲労に効くお茶を。先ほどはすみませんでした。母に、他国の方には少し刺激の強すぎる食事だと言われてしまいました」

「少しじゃない。ドロテアだってあんなの食べないわよ」

 しゅんとした様子のロペルス王子にそう言い放ち、エリカは恐る恐るタルトを見る。

「……綺麗……」

 花のようにイチジクを並べられた美しいタルト。

 先ほどのおぞましい食事との対比のせいかもしれないが、祖国で見たものよりずっと美しく見えた。

「エリカさんのために心を込めて作りました」

「え? ロペルス王子の手製なんですか?」

「ええ。食への拘りはかなり強いほうなので、料理人に任せてばかりではないのですよ。時間があるときは、自分でも料理を作ります」

 昼間見たような不気味な笑みではなく、どこか柔らかい笑みに驚く。

「えーっと、じゃあ、一緒に食べる?」

 エリカは躊躇いがちに訊ねた。

「是非」

 美しい笑みに胸が高鳴る。

 普通にしていれば、とても綺麗な人だ。

「では、こちらにどうぞ」

 ドロテアが彼を席に勧める。

 そして、彼女がタルトを受け取り切り分けようとすると、ロペルス王子に止められた。

「私に任せてください。食事に関しては、いろいろと拘りがあるものでして」

 妖艶な笑みでそう言ったかと思うと、彼は持参したナイフでタルトを切り分ける。

「エリカさんのお口に合うといいのですが……ああ、バターとイチジクはレーベンのものを使用しました。少しでもあなたの故郷の味に近いといいのですが」

 差し出された皿の上のタルトの切り口さえ美しい。

 そして、続けてお茶を出される。白い可愛らしい花が浮かんでいた。

「このお茶は疲労によく効きます。花は彩りですので、特に匂いもないものを選びました。ああ、食べることはあまりお奨めしません噛むと苦味が出ます」

 食べたことがあるのかとエリカは呆れる。

 それでも、彼がとても気遣ってくれていることだけはわかった。

「気をつけるわ」

 そう言って、タルトを一口食べる。

 甘味と酸味の丁度いい味わいと、なめらかな生地に驚く。ふわりと消えるような食感。少なくとも、エリカの知っているタルトとは少し違う。

「……美味しい……」

「よかった。自慢の製法なので、これも嫌われてしまってはどうしようかと思いました」

 どこか艶のある視線を向け、彼は笑う。

 普通にしていると、本当に美しい人。

「これは好きよ。凄く美味しい」

「ええ。あなたの顔を見ればすぐに分かります。なんというか、初めて、他人の食べるところを見て幸福を感じました」

「へ?」

「とても、美味しそうに食べてくださるので」

 笑う彼に、少し恥ずかしくなる。

「お、美味しいものを食べたらそういう顔になるのがふつうでしょう。気取って食べたらなんでも美味しくないわよ」

 そう言って、なぜか急に三回目の見合い相手を思い出す。

 エリカの食べ方が王族にふさわしくないと言って、断られた。

「今日一日で、何度あなたに惚れたか……あなたと一緒なら、食事が一層楽しめそうです」

 こんな風に言われるのは初めてだ。心底楽しそうなロペルス王子に少し戸惑う。

「そう? 私はあなたと一緒の食事に不安しか感じないのだけど」

 また虫やら猿やらを出されては堪らない。国が違えば文化も違うとは思うが、彼の場合はそういう次元ではない。

「……エリカさんの分は、極力故郷の食事に近づけますから、明日の朝食も付き合っていただけませんか?」

「私、朝は果物しか食べないわ」

 きっぱりとそう告げる。

 彼に任せたらまたとんでもないものが出てくるかもしれない。

「あなたが望むなら、なんだって用意しましょう。ですから、国に戻ったりなどしないでください」

 不安そうな目を向けられる。

「う、うん」

 エリカはそう答えるのが精一杯だった。

「ああ、よかった……。あなたに振られたら十年は温室に籠もるところでした」

「そんなに温室が好きなの?」

「ええ。私の自慢の温室です。三つの温室でさまざまな薬効のある植物を育てています。昆虫や小動物も少々。研究と趣味を兼ねた空間ですかねぇ。きっとあなたも気に入るものがあると思いますよ」

 食べ物のこと以外でも、彼が生き生きする瞬間があるのかと驚くほどに、輝く目で話し出す。

「見るのが楽しみだわ」

 出来れば虫の居ない場所をということばはなんとか飲み込んだ。

「では、明日の朝食後に、一緒に温室を散歩でもしませんか?」

「ええ」

 こうしていると普通の人。

 悪食にさえ、目を瞑れれば、なんとかやっていけるかもしれない。

 そんな淡い期待を抱き、再びタルトを口に含んだ。

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