絡め取る。


 クリーヒプランツェの朝はレーベンよりも少し肌寒い。

 エリカは薄手の上着を羽織り、朝食の誘いに来たロペルス王子を部屋に招き入れた。

「おはようございます。エリカさん。朝摘みの薔薇を一番に届けたくて。少し早過ぎたでしょうか?」

 どうやって栽培したのかは聞きたくないが、少なくともレーベンでは目にすることのなかった毒々しい緑と赤の薔薇を両腕に抱えたロペルス王子は少し顔色が悪い。彼はどうも不健康そうに見える。

「……か、変わった色の薔薇ですね」

 思わず引きつった笑みになってしまった。

「ええ、品種改良を重ねてこのような色を出すことに成功しました。まだ、世界で私の温室にしかない薔薇です。なので、是非、エリカさんに見ていただきたくて」

 品種改良にしても、もっと美しい色を作ろうとは思わなかったのだろうか。

「ま、まぁ……その……ロペルス王子の髪色に、少し似ていますわね」

 どう褒めていいのか分からなかったので、何か言おうと思うと、そんな言葉しか出ない。

 しかし、彼は嬉しそうに笑む。

「言われて見ると、そうかもしれませんね。一層、この薔薇に愛着が湧きそうです」

 彼はそのまま部屋に入ると、大量の薔薇をドロテアに渡した。花瓶の用意をさせるのだろう。

 しかし、ドロテアはエリカを見る。

 彼の依頼を受けていいのかと言う意味だ。

「ドロテア、花瓶を」

「はい。エリカ様」

 ドロテアはエリカの命にしか従わない。元々【使役】である妖の類だからだろう。エリカだけを主と認めているようだった。

「そういえば、レーベンには黒薔薇が自生しているそうですね」

「ええ。もともとは大昔にファントムと戦ったときに兵士が持ち帰ったものらしいわ。けど、夜な夜な血を流すとかで、気味悪がる人の方が多いわね。少なくとも、私の庭には無かったわ」

 エリカに与えられた屋敷には大きな庭があった。エリカ専用の庭だ。大きな薔薇の迷路でよく、友達と遊んでいた。

 お茶会も毎日開いて、楽しくおしゃべりしていた。

 可愛いドレスに宝石、美味しいお菓子。エリカに逆らわない友達。

 毎日が同じ繰り返しで、生産性のない日々を送っていた。

「エリカさんは、花がお好きですか?」

「そうね、薔薇とか百合とか、あとは、紫系の花が好きかしら」

「そうですか。では、エリカさんのお部屋は庭の近くに用意しましょう。庭木も、私が厳選させていただきます」

 うっとりと言うロペルス王子に、また、不安を感じる。

 彼の趣味はなんというか、エリカの感覚からすると普通ではない。

「せ、折角だから、一緒に選びたいな、とか言うのはダメですか?」

「エリカさん……是非。ああ、はじめての二人の共同作業ですね」

 心底嬉しそうな顔をされるが、やはりロペルス王子はズレている。個性的と言えば聞こえは良いが、好ましいとは言い難い。

「あなたのような美しい妻と暮らせるなんて、私は幸せものです」

「そ、そうかしら?」

「そうです。ああ、まもなく朝食がこちらに運ばれますよ」

 彼が言うと、扉が叩かれ、ドロテアが、オリーブを招いた。

「朝食をお持ちいたしました。エリカ様は朝は果物しか召し上がられないということでしたので、こちらを」

 オリーブは卓に、色とりどりの果物が美しく切られ、盛り付けられた皿を置く。

「あら、随分沢山ね」

「エリカさんの食べたいものだけどうぞ」

 ロペルス王子は笑んで、エリカに椅子を勧める。

「ロペルス様もこちらで朝食を?」

 オリーブが訊ねると彼は無言で頷いた。

「では、こちらを」

 オリーブは卓に皿を置いてから蓋を開ける。

 エリカは思わず悲鳴を上げた。

 皿の上で、何かの幼虫が蠢いている。

「……ああ、オリーブ、今日は下げてくれ。私も果物を頂こう」

「よろしいのですか?」

「エリカさんが怯えますから」

 どうやらロペルス王子なりにエリカに気を使ってくれたようだった。

「……今日は、って、普段はあの虫食べてるの?」

「程よい甘味とみずみずしい食感で、少量でもしっかり栄養が取れるので朝には重宝しますよ」

「わざわざそんなの食べなくても他にいくらでも食べるものあるでしょ」

 エリカが言うと、ロペルスは驚いた顔をする。

「ああ、そうでしたね。レーベンは豊かな国ですから、食べ物に苦労することは無かったでしょうね」

「え?」

「ああ、いえ。私はたまたま……十五のときに薬草採取に行った山で遭難して……以来目に入るものはなんでも口にしてみることになりました」

 ロペルス王子は少しだけ冷たい目でそう言う。

「最初に口にしたのは有毒な葉だったので、暫く激痛にのたうちまわりましたが、次に口にした虫がたまたま解毒作用があったので、なんとか助かりました。あの頃はまだ魔力も弱かったので、今のようになんでも解毒できるわけではありませんでした」

 昔話のはずが行動が今とあまり変わらない気がする。

「その割りに、森で倒れてたじゃない」

「ああ、初めて食べるものはそのまま味わいたいので極力魔力を使わないようにしているんです」

「それで死んだらどうするのよ」

 エリカが呆れて言うと、ロペルス王子は笑う。

「でも、おかげであなたに出会えた」

「別に、最初から居てくれたらわざわざ森に行かなくてもよかったのよ」

「でも、森で見たあなたは本当に美しかった。森の女神が現れたかと思いました」

 それは喜んでいいのか、エリカにとっては難しい話だった。

 エリカがじっと彼を観察すると、いつの間にか、新しい果物の皿が置かれている。

「さぁ、いただきましょうか。食後は是非、私の自慢の温室を案内させてください」

「ええ。出来れば気持ち悪い生き物が居ないところにして欲しいのだけど」

「慣れれば案外可愛いものなんですがねぇ」

 彼は軽く笑んで、優美なしぐさでカトラリーに手を伸ばす。

 こうしてみると、彼の食べるしぐさはとても美しかった。

 意外にも開かれる口は小さく、じっくりと味わう。ゆっくりと運ばれる手はまるで一種の舞のように美しい。

「エリカさん? まだ、苦手なものがありましたか?」

「え? ううん。これは大丈夫。少し量が多いけど」

「残したら私にください。全ての食べ物には敬意を持たなくてはなりませんから」

 この人は無理して食べ過ぎて逆にお腹を壊しているのではないかと思ったが、口には出さない。

 エリカは黙って赤い果実を口に運んだ。

 想像していたものと違う。強烈な酸味のあとに、ゆっくりと甘味が広がる。

「これ、なに?」

「おや、恋果ですね。珍しい。どうやらエリカさんの方にしか入っていないようですが……どのような味がしましたか?」

 彼は楽しむように訊ねる。

「ものすごく酸っぱかったわ。最後がほんのり甘かったけど」

「それは残念。エリカさんはまだ私を受け入れては下さらないのですね」

 彼は艶やかな視線を向け色気のある声で言う。

「え?」

「恋果の実は食べたときに目の前に居る相手への感情で味が変るのですよ。私が以前口にしたときは、仄かな苦味しか感じられませんでしたが」

「あら、まだあるわよ。食べてみる?」

「ええ、是非」

 冗談で言ったつもりなのに、彼はとても自然なしぐさでエリカの皿から恋果の実を取り口にする。

「……ああ、こんな味になることもあるのですねぇ」

 彼はじっくり噛み締めるように味わった後、そう、口にした。

「どんな味がしたの?」

「じんわりと優しい甘味が広まります。つまり、これは……私がエリカさんに期待している味そのもの……いえ、エリカさんの味に近いかもしれません」

 どんな味だ。エリカはそう言いたいのをぐっと飲み込む。

「ただ単に個体差があるだけじゃないの?」

「いえ、しっかりとした研究結果が出ていますので。つまり、私の一族を含め、この国の人間の大半は植物学者なのですよ」

「じゃあ、ロペルス王子も?」

「ええ。植物も海洋生物も、爬虫類、昆虫、魔術、薬物、毒。全て私の専門です」

 エリカは耳を疑う。

「もしかしなくても、ロペルス王子って、凄い人?」

 そんなに沢山専門がある人なんて聞いたことが無い。

「前の婚約者を失ってから暇だったもので、つい」

「暇つぶしにそんなに極めないから。普通」

「今は、エリカさんにしか関心が向きません」

 じっと見つめられ、エリカは戸惑う。

「呼吸をするたびにあなたの全てを知りたくなる。目が合うだけでこの上ない幸福感を抱く。年甲斐も無く、あなたに恋でもしているようだ」

 うっとりと歌うように言われても、エリカにはそれを受け入れる覚悟ができない。

 彼は変りすぎている。

 エリカの知る普通とはかけ離れすぎている。

 個性といえばそれまでだが、強すぎる個性は受け入れられない。

「一番の専門はなんなのか、聞いてもいいかしら?」

 エリカは話を逸らすことにした。

「私の専門? そうですねぇ。やはり植物でしょうか。新種を探し、毒性や薬効のあるなしを自分の身体で確かめてから民に活用していただいています」

「……本当に、そのうち食中りで死ぬわよ?」

「死なない程度に解毒の魔力が働きますからね。まぁ、普通の人間なら致死量と言う場合もありますが」

 呆れるエリカに。ロペルス王子は淡々と答える。

「私の自慢の温室にはあらゆる有毒植物が揃っていますよ。毒のある植物の方が美しい」

 彼はうっとりと、エリカを見つめる。

「あなたも、少し毒を含んでいそうですね」

「……致死量じゃないことを祈っといたほうがいいんじゃないの?」

「女性も多少毒があるほうが美しい。それに、あなたの毒は可愛らしい程度だ。ええ、彼女とは違う……美味しい刺激程度の毒……決してあの女のような食べられない次元ではない」

 うっとりとエリカを見つめていた彼は、急に何かを思い出したように苛々とフォークを握り、ついに折り曲げてしまった。

「おや、私としたことが……失礼。替えを」

 どうやら彼は自分のカトラリーセットを持ち歩いているらしく、上着の内側から布の入れ物を取り出し、金のフォークを取り出した。

「私の場合、銀のカトラリーはすぐに駄目にしてしまいますので、カトラリーは金で揃えています」

 彼はそう言って、また美しいしぐさで赤い果実を口に運ぶ。これで少し落ち着いたようだ。

「すみません。取り乱してしまい。エリカさんが目の前に居るのに、他の女性を思い出すなんてあなたに失礼だ」

「別に構わないわ。それより、どんな人? 前の婚約者の人は」

 もしかしたら、その人が戻ってくれればエリカはロペルス王子と結婚せずに済むかもしれない。

 そんな淡い期待があった。

「……とても、美味しそうに見えました。外見はなんというか、愛らしい人で、口元が少しエリカさんに似ていたかもしれませんね。なんというか、甘えるのが上手な人で、他人を操ることになんの抵抗もないと言うか……当時、私は彼女に夢中で、そのまま結婚するつもりだったのですが……味見をしてみれば、とんでもなくおぞましい、悪夢のような味で、食べられないとはああいう味を言うのだと思い知りました」

「そこまで酷かったの?」

「ええ。なので、国外追放にしました」

 まずいなどというかなり主観に作用される理由で国外追放にされるとは理不尽だとエリカは思う。

 しかし、その理不尽すぎる理由で、エリカの期待も砕け散る。

「エリカさんが、とても美味しい人で安心しました。あなたが私の妻ならば、この国の未来も安泰でしょう」

「え?」

「人柄と言うものは嘘偽り無く味に出てしまうものです。そして、私の舌は常に正確だ」

 食べることに関して、もしかすると、彼は自分の専門分野以上に自信を持っているのかもしれない。

「私は、剣術や武術は苦手ですが、この頭脳と知識で生涯エリカさんを護ると誓います。ですから、ずっと、私と共にこの国の未来を見ていただけますか?」

 どこか甘い声と、少しだけ不安そうな瞳がエリカを捕らえる。

 まるで蔓のように、彼の声と瞳はエリカを絡め取る。

「え、ええ」

 逃げられない。

 安心したように、嬉しそうに笑む彼を見て、安堵する。

「ああ、あなたが居てくれるなんて、私は世界一の幸せ者ですね」

 うっとりとした表情を浮かべる彼に、これでいいのかと不安を感じる。

 それでも、おそらく、少し前に時間を戻しても、エリカは彼を完全に拒絶することは出来ないだろう。

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