カルト・リヒトは不安症

 カルト・リヒトが外遊で少しばかり国を留守にしている間に、最愛の妹の結婚が決まっていた。

 なんとレーベンから馬車で一月もかかる国に、エリカは嫁いでしまうと言う。

 頭が痛い。

 あの太陽のように光り輝く愛らしいエリカと会えなくなってしまうなんて。考えただけでも気が重くなるのに、他国に嫁いでしまうとなると胸が張り裂けるほどに苦しい。

 相手はあのクリーヒプランツェのロペルス王子だ。非常に変わり者で有名で、少し気難しいと聞く。陛下はなぜそのような相手を選んだのかと呪いたくなる。

 思わず歯ぎしりをしていたことに気がつく。

 いけない。レーベンの王族は民を照らす太陽なのだ。こんな暗い姿を見せるわけには行かない。いつも輝いていなくてはいけない。

 カルトは鏡に向かい、笑顔を作り出す。

 よし、完璧だ。

 やはりカルトは美しい。レーベン国民の太陽に相応しい輝く金髪と目の中に無数の星があると称される青い夜空の瞳はまさにレーベン王族に相応しい。

 これから妹の婚約者に初めての挨拶をするのだ。レーベン王族に相応しい姿を見せなくてはいけない。

 カルトは深呼吸をする。

 ロペルス王子は変わり者だと聞いているが、どの程度変わっているのだろう。

 レーベン王族としてある程度のことは微笑んで受け流せるようになったとは思うが、毒薬集めが趣味だったり、得体の知れない薬品の臭いに包まれていたり、血で顔に模様を描いていたりしてしまうのだろうか。

 そんなやつにエリカを渡すわけにはいかない。

 覚悟は決めていたはずなのに、クリーヒプランツェに近づくほど不安が募る。

 何事も初めが肝心だ。

 そもそも初めて会うと言うのに、指定された場所は王宮ではなく、大学であったことが気に掛かる。

 まさか、エリカを監禁しているから王宮には入れられないということはないだろうか?

 もしや、既にエリカは生きていないなどと言うことは……。

 慌てて香水を吹きかける。気持ちを落ち着かせる香りだ。

 どうも、カルトは良くない方向に物事を考えてしまう傾向がある。

 民の前では理想の偶像を演じてみるが、一人になると不安ばかり抱いてしまう。

 そもそもは人前に出ること自体が得意ではない。

 完璧な偶像は演技だ。

 求められなければ、存在意義がないレーベンの偶像。それがカルトだ。こんな臆病な姿は民には見せられない。

 もう一度、鏡の前で笑んでみる。

 これは呪いだ。

 誰もに求められるレーベンの太陽になるための。

 カルトは完璧な笑みを確認して、馬車を降りる。

 クリーヒプランツェの王都の大学はレーベンにあるそれと比べて五倍ほどの大きさがある。装飾は少なく、代わりに蔦が建物覆っており、あらゆる植物に囲まれていた。

(よく燃えそうだ)

 カルトはぼんやりと建物を見上げる。今日は植物関係の学会があるらしく、大講堂に来て欲しいと言われている。が、残念なことにカルトは学者ではない。

 しかし、クリーヒプランツェとの交流を深めるためには、完璧な笑みで出席しなくてはいけないだろう。正直内容を理解できるか、それ以上に途中で寝てしまわないか不安だ。

 学長らしき人物に出迎えられ、完璧な笑みで挨拶や雑談に応じ、大講堂に入る。

 想像以上に広い。

 少し出遅れてしまったらしい。既に何人かの発表が終わった後だったようだ。

「昼休憩を挟み、午後の部はロペルス王子の夢想花に関する発表になります」

 司会が落ち着いた心地よい声で案内する。

「よかった。間に合ったようだ。彼に招かれていたからね。彼の発表をとても楽しみにしていたんだっ」

 できるだけ普段通りに振る舞っているつもりではあるが、やはり異国だ。緊張はする。

 それに妹の婚約者が未だどんな人物かわからないのも不安だった。

 少しずつ、人が集まってくる。昼休憩は終わったらしい。

 壇上に、すらりと長身の男が現れた。彼が噂のロペルス・ヴィペールかと見つめる。

 長い緑色の髪に、少し暗い緑の瞳。少し顔色が悪く見えるが、造形はとても整っている。

 落ち着いた低音が語り始める。

 正直なところ、カルトは彼の発表自体に興味を持っていなかったが、どういうわけか彼の語り方に非常に引き込まれた。

 エリカの婚約者であることを除いても、研究者としての彼に興味を持ったかもしれない。

 発表が終わる頃には、すっかりロペルスの話に夢中になっていた。



「ロペルス王子、是非、先程の話をさらに詳しくお聞かせ願いたい」

 講堂から出ようとしたロペルス王子に声をかける。

「おや? あなたは……もしやカルト王子?」

 ロペルス王子は少し驚いたように目を見開いた後、穏やかな笑みを浮かべる。

「これは失礼。僕はカルト・リヒト。エリカの兄だよっ」

 最上級の輝きを纏い微笑みかければロペルス王子が手を差し出す。

 握手だろうか。素直に彼の手を取れば、見た目からは想像もできない力で引かれ、なぜか手の甲を舐められる。

「うわぁっ!」

 思わずレーベン王族にあるまじき声を上げてしまった。

「これはこれは……少し風変わりな味ですねぇ……」

(風変わりなのはそっちの方だ!)

 カルトは慌てて手を引っ込める。

「い、いきなりなにを……」

「これは失礼しました。すみません。つい……初対面の方は味見せずにはいられなくて……」

 これは変わり者などという言葉では生温い。

「エリカのお兄様ならエリカのような味がすると思ったのですが……見た目に反して淡泊な味ですね」

「……その感想はいらないかな……」

 エリカにもこんなことをしたのかと呆れたくなる。

 よく火傷せずに済んだものだ。

「おや?」

 ロペルス王子は驚いたようにカルトを見る。

「どうしたんだい?」

「いえ、エリカのお兄様ならば、もっときつい物言いをされるかと思ったのですが……カルト王子は大人しい方なのですね」

 どうしてそんな感想になるのか。

 考えが読めないロペルス王子が恐ろしく思える。

「カルト王子に私のことを少しでも知っていただきたくてこちらにお招きしたのですが、興味を持っていただけてとても嬉しく思います。よろしければ私の温室にご招待したいのですが」

「温室? ロペルス王子は専用の研究室を持っているのかい?」

 カルトの砕けた口調も気にせず、ロペルス王子は丁寧に対応してくれる。最初の【味見】意外は。

「私が長年育てている専用の温室が二つと、改装中の温室が一つあります。植物は全て私が世話をしています。その他に研究室が二つと専用の図書館がひとつ」

 クリーヒプランツェの国民は非常に研究熱心だとは聞いていたが、ロペルス王子は次元が違うように思える。

「それは凄いね。そんなに熱心に植物に関わって、エリカと過ごす時間はあるのかな? 最近のエリカの様子を聞かせて欲しいのだけど」

 まさか肥料にされたりはしていないだろうか。

 また、新たな不安が生じた。

「エリカでしたら、この時間は歴史の講義ですね。初めの頃は座学を嫌がっていましたが、少しわかると面白いと近頃は熱心に勉強しています。結婚するまでにはエリカに専用の図書館を作って贈りたいと思っているところですが、まだ、どういった本が好みなのかわからず、様々な分野の図鑑を集めているところです」

 ロペルス王子の話に驚く。

 レーベンにいた頃のエリカは勉強が嫌いでよく家庭教師から逃げていた。

 本などは少し恋愛小説を読む程度だ。図鑑を広げる姿など想像できない。

「あの勉強嫌いのエリカが……よほどロペルス王子のお話が興味深かったのでしょうね」

「いえ、それが……どうも私とは違う方に興味が向いているようでして……薬効などには全く関心を向けてくださらないのです」

 ロペルス王子は残念そうな表情を見せる。

 つまり。そういうことか。

「まぁ、女性はどうしてもそうなってしまうだろうね」

 夫婦仲良く同じ研究をとはいかないようだ。

「どうも、エリカは古いものが好きなようで、歴史には非常に興味を持ってくださっています」

 少し意外だったが、言われてみれば、伝承などが好きな子だ。ひょっとしたら偉大な考古学者になるかもしれない。

 そんな風に考えるとロペルス王子との出会いはエリカにとって悪いものではなかったようだ。

 ロペルス王子の提案で、彼の馬車に乗る。

 内装まで植物に縁あるもので思わず笑ってしまう。

「ロペルス王子は本当に植物がお好きなんだね」

「ええ。クリーヒプランツェの民は皆植物を愛し、植物と共に生きています」

 ロペルス王子は変わってはいるが、とても穏やかで、きっとエリカも落ち着いた日々を過ごすことができるだろう。

「エリカの魔力は少し特殊だから、こんなに燃えやすそうなものがたくさんある国に嫁いでしまうのは少し心配だけど、この国なら、きっと穏やかに過ごせそうだね」

 彼女の炎の魔力が暴走してしまったら一瞬で火の海になってしまいそうだけど。

「ああ、エリカの魔力でしたら、私が抑えることができます。一度は間に合わずに危険な目に遭わせてしまいましたが……その後は暴走することなく過ごせていますよ」

「おや? 既に経験済みとは。僕もあの魔力を押さえ込むのには結構苦労したのだけど、ロペルス王子はどんな方法で抑えたのかな?」

 カルトは魔力で催眠を掛け、エリカの動きを止めていた。しかし、年々魔力に耐性がついてしまいそれも困難になっていたところだ。

「魔力を使う神経を遮断する毒を流し込みます。微量なので長期間は持続しませんが、瞬間的な暴走を抑えるには適切かと」

 まさかエリカの暴走を瞬時に分析して対処したのだろうか。クリーヒプランツェの研究者は格が違う。

「暴走の心配がないのなら、エリカも安心して過ごせそうだね」

 問題はエリカがこの風変わりなロペスル王子にどのくらい妥協できるかというところだろう。

 おそらく、外見はエリカの好みだろう。少し顔色が悪いことを除けば。

 しかし、あの【味見】は問題だ。

「カルト王子を本日の晩餐にお招きしたいのですが、食べられないものなどはありますか?」

 唐突に訊ねられ、一瞬反応に遅れてしまう。

 まさか同性の彼に見惚れていたとも言いにくい。

「あー、そうだね。一応表向きは苦手なものはないとは言ってはいるけど、実はお酒と辛いものが苦手で……特にお酒はすぐに酔い潰れてしまうから、飲んだふりをしていることの方が多いんだ」

 誤魔化そうと思えばいくらでも誤魔化せたのに、不思議とロペルス王子を前にしてそんなことをしようとは思わなかった。

「なるほど……では酒を除いて、なるべくまろやかな味付けのものを中心に揃えましょう。よかった。エリカほど偏食ではないようで助かります」

 ロペルス王子は嬉しそうに期待してくださいと告げる。


 この時、カルトは自分の発言が軽率であったことに気づかなかった。



 晩餐の席、並べられた料理を目にし、レーベン王族の維持で笑みを浮かべなんとかやり過ごそうとしたカルトだったが、止めと言わんばかりのグラスに浮かんだ得体の知れない目玉を見た瞬間、彼の意識は遠のき、妹の怒声が響いた。



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ロペルス・ヴィペールは食中り 高里奏 @KanadeTakasato

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