味わいつくしたい。


 レーベンの女性と言うのは気難しいと聞く。

 とても階級意識が強く、身分の差が激しい相手とは口を利かないだとか、階級によっては自分から挨拶してはいけないだとか面倒な風習が沢山あるのだと噂で耳にしたが、信憑性は分からない。

 そもそもクリーヒプランツェはレーベンとの交流を随分長く怠ってきた。

 敵国であった。互いに相手のものを忌み、拒んできた。

 これはクリーヒプランツェの国民性としては望ましくないものだとロペルスは思う。

 必要なのは常に好奇心であり、固定概念などは捨て去るべきだ。

 しかし、エリカ・リヒトはロペルスが噂で聞いたレーベンの女性とは少し違う。

 表情がころころ変り、直情型だ。

 本心を隠すことを美徳とするレーベンの気質には合わないだろうとさえ思う。どの集団にも合わない個体というものは存在する。もしかすると、エリカ・リヒトという女性はレーベンでは生きにくい性格なのかもしれない。


「そうえば、ロペルス様の見合い相手、随分小さい人ですね」

「私と比較すれば大抵の人間は小さいですよ」

 幸いにも王宮内の天井は高く、頭をぶつける心配はないが、外部の図書館や、小さな学校などを訪れる際は頻繁に頭をぶつけてしまう。近頃は目的の部屋に入るまでは帽子を被るなどをして頭を保護する工夫をしてみるがやはり額などをぶつけてしまうことがあった。

「いや、まだ子供だなって思って」

 シャルルは呆れて言う。

「そうですね。十も離れていますからね」

 傍から見れば、幼い妻になってしまうかもしれない。

「可愛らしい人でしょう?」

「俺は、正直、ああいう女は苦手です」

「おや、あなたにも苦手な相手がいたのですね」

 ロペルスは少し大袈裟なしぐさで驚いて見せた。

 シャルルは他人に気を遣うということができない男だ。誰にでも言いたいことを言う。だからそんな感情を抱くと考えたこともなかった。

「なんつーか、怒ると怖そう。それに口うるさくて過保護ってカンジがしますよ」

「しかし、エリカさんは間違いなく美味しい人間です。それに、少し気が強いくらいが可愛いですよ」

「少しって次元ですか? まぁ、ロペルス王子が満足されているなら、俺が気にすることじゃ……あれ? この花の色……彼女の瞳と同じ?」

 シャルルは言いかけた言葉を止めて、夢想花を観察する。

 言われば、少しエリカの瞳と似ているかもしれない。

「私はこちらがエリカさんの髪色に似ていると思ったのですが……まさか……エリカさんが来たから咲いた?」

「夢想花の実って、確か、食べると愛する人の夢に入れるとか言う伝説ですよね?」

「ええ。記録によると」

「つまり、王子があの人に本気で惚れ込んだから咲いた、とか?」

「植物にそこまで感情を読み取られるというのは少し納得がいきませんねぇ」

 そう言いつつも、ロペルス自身納得できそうだ。

 エリカに強く惹かれている。

 彼女の全てを味わいつくしたい。

「実を食べたら相手の夢に、ってことは、この樹に生ったとしても、王子にしか効果が無いのか、他の人間が食べてもエリカ姫の夢にしか入れないのか……興味はありますね」

 確かに好奇心は刺激されるが、エリカの夢に他の誰かが入るのは気に入らない。

「エリカさんに、協力してもらえるといいのですが……」

 そういった途端、ぽろりと何かが落ちた。

 硝子球のように透き通る粒。

 ロペルスは思わず口に含む。

「……これは……甘いですね……それでいて、濃厚で、優しい味がします。ああ、エリカさんを味見した時と似ていますね」

「……誰でも味見する癖なんとかなりませんか? 姫に逃げられますよ」

 シャルルの呆れ顔が目に入ったが、ロペルスは気にせずに樹を見る。

 また、ぽろりと、透き通る碧い粒が落ちる。

「夢想花の実のようですね」

「ということは、王子は今夜姫の夢に入れる、ということ?」

「だといいのですが……彼女が夢で他の男に会っていたとしたら、胸が張り裂ける思いです」

 もう、既にロペルスの中心はエリカだ。

 なによりも彼女を優先させたい。

「あんなにも、美味しい人を、手放したくない……」

「王子……そう言う発言ばかりするから、新入りが入ってこないんですよ? そろそろ我々では全ての温室を管理し切れません」

「私は、雇うこと事態に反対なのですが、では、シャルル、温室を一つ差し上げましょうか? 私も管理する温室が一つ減れば、エリカさんと過ごす時間をもっと多く確保できますから」

 彼女は教えたところで植物の世話など出来ないだろう。

 ずっと清潔な部屋で豪華な服や家具や玩具に囲まれて過ごしていた、正真正銘の姫君だ。汚れ仕事は辛かろう。

「母は元々活発な人でしたから、あまり抵抗は無かったのでしょうが、やはり、レーベンの方ともなると、土に触れることさえ拒むかもしれません」

 そう考えると、レーベンの女性を妻に迎えるという選択肢は間違いだったかもしれない。

 だからと言って今更彼女を手放せないことはロペルス自身理解している。

「この婚約、解消したほうが国のためだと思いますよ?」

 シャルルは少し不機嫌そうに言う。

「ええ、そうでしょうね。ですが、私は既に彼女のために国を捨てられる程、彼女に惚れてしまったので、その選択肢は諦めてください」

「本気ですか?」

「ええ。ですから、シャルル、あなたはどんな手段を使ってでも、彼女がこの国から逃げ出さないように協力してください」

「それ、人権問題に発展しませんか?」

 シャルルはかなり過激な想像をしたらしい。

「一体何をするつもりだったのですか?」

「両手両足を斬り落として鎖で繋いで檻に入れれば逃げないかと」

 予想以上に酷い回答が出た。

「却下です。エリカさんの肌に傷一つ残さない方法でお願いします」

 出来れば、彼女には望んで残って欲しい。

「どうも、折角エリカさんが気を使ってくださったというのに……エリカさんのことしか考えられません」

「あの姫、妖魔かなにかですか? ロペルス王子をここまでおかしくするなんて。元々おかしいけど」

「……シャルル、私は今、あなたに苦汁と辛酸を飲ませたい気分なのですが? 私が直々に抽出した原液を味あわせてあげましょうか?」

「それ、ロペルス王子が暫く味覚障害に陥ったヤツじゃ……」

 シャルルが青ざめる。

「ええ。私のことはどう言っても構いませんが、エリカさんを侮辱するのでしたら、それなりの罰を与えますよ」

 ロペルスは怒りを隠しもせずにシャルルを見た。

「す、すみません……」

 珍しく、シャルルがしおれる。

「わかってくだされば構いませんよ。私はそろそろ、エリカさんの元へ戻ります。ああ、私もいくつか花と実を採取しましたが、念の為保存用にいくつか採取しておいてください」

 ロペルスはそういい残し、エリカの待つ方角へ向かう。

 植物よりも優先したい人が出来た。

 美しく、美味しい婚約者。

 手放したくない。ただ、傍に居てほしい。

 温室を手放してもいい。そう思えるほどに、夢中になった相手は初めてだ。

 どうしたら、彼女は自分を受け入れてくれるだろう。

 一晩中、そのことばかりを考えていた。

 そう、一目惚れだ。どうしようもなく単純。

 彼女に子を産んで欲しい。生物的な本能と、美味しい彼女を味わいたいという純粋な欲望。

 十分すぎるほどに、エリカ・リヒトに執着している。

 なにをすれば、彼女は喜んでくれるだろうか。

 どんな言葉を、彼女は求めているのだろうか。

 ひたすら、彼女のことだけを考えながら歩いた距離は、いつもより短く感じられた。


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